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外国語系の記事が多くなりそうです。

お客様は神様であるかについての論考

日本ではよくお客様は神様であると言われる。ただ、この話題についてはいろいろな人が論じていることだと思うので多くの人の関心の的になっていることだろうと思う。

 

私はあいにく無知であり「考えない葦」で、青二才な人間であるので誰が「お客様は神様」と言い始めたかはわからない。

 

だがこの話題について立ち止まって考えてみると結構面白いと思うので早速本題に入ろう。初めに言っておくが、私はお客様=神という結論にはしない。

 

なぜなら、お客様=神としてしまうと、キリスト教ユダヤ教イスラーム教などの神の概念を根底から覆してしまうからである。

 

私はそのような歴史を変える革命家ではないのでお客=神というふうにはしない。私はいたってまじめに言っている。けっしてふざけてはいない。

 

1.お客様=神様とのかかわり in Japan 

矛盾して申し訳ないが、どうしてもお客様=神様としなければ話が進まないので、とりあえずお客様は神と同一にしていく。

 

ここ日本では日々、数えきれない神様と接する。特に接客業に従事している人ならそれを痛感するだろうと思う。

 

具体的に例を出すなら、居酒屋やコンビニ、カラオケ、本屋などであろう。もちろんこれらの職業以外にも接客業はあるのは言うまでもない。

 

で、話を戻すと、労働者は日々様々な神様と接し、売り上げというご利益をいただいている。そもそも資本主義経済においては神様がいないと成り立たない。

 

もし買い手がいなくなってしまえば、自分の働く会社は滅び、労働者も生きていけなることだろう。

 

そう考えると神様は崇拝すべき存在である。神様がいなくなろうものなら、私たちは「ノアの箱舟」に乗り、この世界から脱出しなければならなくなる。

 

まあそれは言い過ぎだが、至極全うなことを言えば(最初からそれを言えばよかっただろうが、私は見た目は大人、頭脳は子供で、精神年齢は小学生なので最初から言いたくなかった)、経済がまわらなくなる。

 

資本主義をとっている以上、利益を出さなければいけないので、神様のご利益は必要不可欠なのである。

 

そういうわけで私たち労働者は神様に最大限リスペクトしご利益をいただくため、あらゆる感情を押し殺し、心血を注ぎ、世知辛い世の中を生きている。

 

2.お客様=神様はどのように振る舞うか 

私たちが考える神、そしてキリスト教イスラームユダヤ教(もっといっぱい宗教はあるが)の信者たちが考える神とはどのようなものか。

 

私はあいにく宗教についての知識が乏しいので、そんな状態で神を論じることは冒涜的であると思うので、漠然としたイメージしか述べない。

 

おそらく皆、神様というのは非常に畏れ多く、崇高な存在だと思っているだろう。そして私たちが人生において困難な状況に直面した時、救済してくれるありがたい存在として見ていると思う。

 

このように神は非常に畏れ多い存在で、私たちには手の届かない存在である。そのような存在である神様がまさか無礼な振る舞いをするなんて考えられない。神は私たちを救済してくれるはずである。

 

ただこのブログの話題はThe concept of お客様=神様 in Japanである。接客業に従事している人は神様に救済された経験より逆鱗に触れた経験をした数の方が多いのではないか。

 

居酒屋やカラオケなどで働く人はおそらくドリンクやフードの提供が遅れるなどして神様の逆鱗に触れてしまったことがあると思う。

 

コンビニで働く人は理性より感情を重んじる神様の逆鱗に触れてしまったことがあるだろう。およそこんな具合だろう。

 

店員「お弁当は温めますか?」

神様(というかDQN)「は??うるせえよ!!!!!んなもん温めるに決まってんだろ!!!!!!!(激おこ)」

店員「申し訳ございません!!!!500円になります…」

神様(というかDQN)「このくそが!(500円を投げつける)」

 

まあここまでの輩はめったに降臨しないだろうけど、たばこの銘柄を取り間違うなどして逆鱗に触れてしまったことはよくあると思う。

 

コンビニではないが、私が最近見たのは、本屋で探していた本が見つけられなくて店員に激怒するお年を召した神様だ。神様は激しく怒っていた。

 

ちなみに私は以前、怒りについての考察をしたのでよかったら参照していただきたい。最後に過去記事を貼っておく。

 

話を戻すとその神様はどうやら本を見つけられたのだが、それがわかりずらい場所に置いてあったという理由で我々人間に怒っていた。

 

という検索機があるんだからそれを使えば秒で見つけられるのだが(神様は自分が全知全能であるがゆえ、それを使うという選択肢がなかったかもしれないが)。

 

ここまでいろいろ日本の神様の例を出したが、日本には「荒ぶる神」が無数に存在する。

 

ただいったん立ち止まって考えていてほしい。私たちのほんのささいなミスにどうして怒り狂うのであろう。ミスを謝罪しているのにどうして許しを与えられないのであろう。

 

やはり私たちは生まれながらにして原罪を背負った生命体なのであろうか。その罪を償うために私たちは生きているのだろうか。

 

こういう風にお客様=神様論を考察すると実は結構複雑な問題であることがわかる。やはりこの手の話題は多くの人が考えてしまうのは必然であることがわかる。

 

3.お客様=神様はどのようなものか

今まで述べてきたことを考えると、お客様=神という存在は畏れ多いというよりもはや恐れ多い存在であることがわかる。

 

中には感情より理性を重んじる良識ある畏れ多い神様もいるが、接客業に従事している人たちは「荒ぶる神」があまりに怒るので、その印象が強くて、「荒ぶる神」の割合の方が多いと感じてしまうのではないか。

 

と考えるとお客様=神様 in Japanはおおよそ私たちの抱く神様のイメージ、つまり畏れ多くて神々しい存在とは対極に位置する存在ということがわかる。

 

誤解されるといけないので、繰り返し言うが、もちろん良識ある素晴らしいお客様も多く存在する。

 

ただやはり、お客様を過度に過度に神聖視すると大きなリスクを伴う。そうならないためにも、というか労働者と消費者お互い気持ち良く経済をまわしていくためには、お互いに敬意を払うことが大事だと思う。

 

ありきたりで申し訳ないが、こういうことを意識していくとより良い世の中になっていくだろう。

 

 

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