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「逃げること」は悪か

私たちは子供の頃から「嫌なことから逃げてはいけない」と教わってきた。それを聞き、部活や勉強をしっかりこなしてきた人もいるだろう。

 

確かに逃げずに目の前の問題に取り組むことで得られるものが多いことは認める。だが、昨今の社会において結構それが限界に来てるのではないかと感じ始めた。というかみんなそう感じているだろうと思ってこのブログを書いている。

 

そこで今日はタイトル通り「逃げる」という行為について考察していきたい

 

1.「逃げるな」という教育 

で、繰り返すが、私たちは義務教育の段階から「嫌な事から逃げるな」と教わる。例えば算数がめちゃくちゃ得意で、それ以外は結構ひどかったとする。本人にしてみれば算数はしんどくてしかたがない。

 

これ、冷静になってみれば、このままにしておいたほうがよいのであるが周囲の人間はそれを許さない。つまり全教科均等にこなさなければいけないのだ。均等にこなさなければ人生において不利になる皆はいう。

 

確かにそうである。日本の受験システムにおいては圧倒的にまんべんなくできるほうが選択肢の幅が広がる。これは言うまでもないだろう。

 

そういうわけで算数の天才はいやいやそれ以外の科目をこなすようになる。これが日本の教育システムのありがちなパターンだろう。

 

ただこれはあくまで受験の例である。根本的なことを言うと、「嫌な事」から逃れられないようになっているのである。

 

考えてみれば当たり前である。算数の勉強以前に欠席が慢性的に続いたものなら、いわゆる「社会のレール」からははずれるようになる。その結果、進学や就職などあらゆる場面において不利益を被ることになる。

 

こういう逃れられない「社会システム」の中で私たちは生活し社会へでていくことになる。

 

考えてみると、学校という教育の延長線上に社会があることがわかる。会社や役所においては何か一つ秀でた人よりも、まんべんなくこなせる人が重宝される。

 

またコミュ力が高くいいかんじに組織をまとめられる人が出世レースを駆け上がっていく。この事実を知ると「逃げるな」という教育は日本において重要なことがわかる。

 

2.昨今の社会 

1で例に出したのは学校の勉強という例である。もっと例えのスケールを大きくして話していこう。

 

私たちが悩むのはおそらく人間関係であろう。というか最悪勉強が不得意であったとしても周囲の人間関係が円滑であればさしてストレスはかからないだろう。

 

ただ結局直面するのはやはり人間関係であろう。私たちは小学校から高校まで同じメンツで固められる。公立の小学校、中学校ではだいたい同じ町に住み、同い年の子供たちが一つのコミュニティにいれられる。

 

そこで6年プラス3年大体同じメンツで日々を過ごすことになる。この「耐久レース」が逃げてはいけない典型的な例だろう。ここから外れると私たちは普通のレールにもどることはたやすいことではなくなる。社会においてもこういう考えを強く持つ人が多くでて、その会社を辞められない、という人が結構いるんではないだろうか。

 

そういう風にストレスをため続け、結果、命を落とすというのが日本ではありふれている。

 

と考えると「逃げてはいけない」という教育はネガティヴな部分が多いことがわかる。

 

ただ幸いなことにこの「逃げてはいけない」ことの弊害を唱える人が以前にも増して多くなっていることから、状況が良くなることを期待してもいいだろう。

 

というか私たちは他人のことをあまりに考えすぎている部分もあるのだけれども。

 

3.結局逃げるのは悪か

もう結論は出ている。というかさんざん述べてきたが、私たちは自分の身に危険がせまったら逃げるべきなのである。確か過去の自殺の記事でも書いた気がするが。

 

これは考えてみれば動物が日々行っている当たり前のことである。犬や猫、他の動物にしろ自分の身に危険がせまったら、逃げている。

 

逃げてはいけないと思うのは、逃げてはいけないという教育を小さいころから受けてきているからである。その結果、人間関係、過酷な労働環境から逃れられず、命を落としているのである。

 

もう現代においては逃げてはいけないという考えは身を亡ぼす行為に等しいので、個人個人、やばかったら逃げるべきなのである。

 

ただこれは各人の判断が重要になってくる。今行っていることが自分のスキルの向上につながるのなら、少し逃げるのを待ってみたほうがいいと思う。いちい嫌だといって逃げるとかえって問題を大きくしてしまうこともあるからだ。ただそれでも日本の労働環境はあまりにやることが多いと思うんだけど。

 

そういうわけで私たちは自分の現段階の能力をしっかり見極めて逃げるか逃げないかの判断をしていく必要がある。

 

今日はこれまで!