以前有益な情報を得ることで人生を優位に進めることができるようなことを書いた。カテゴリーでの情報のところを参照していただければ。ただ、情報を得すぎることがかえってマイナスに作用することがある。
ということで、情報過多の危険性を考察していこう。
あふれる情報
私たちは日々、いろいろな情報に接している。新聞やテレビ、スマホなど様々な媒体から情報を得ている。その内容はおおよそ政治やスポーツ、芸能など人によって得る情報は違うだろうが、とにかくかなりの情報を得ていることは間違いないだろう。
その記事の内容が良いものであれ、くそなものであれ、とにかく多くの情報を得ている。スマホやタブレットの普及によって容易に多くの情報にアクセスできるようになったことは言うまでもないだろう。
ただ結果として情報というものがあふれてしまったということができよう。あふれかあのでえるとどうなるか。それはあなた自身が情報を取捨選択することになる。なのであなたの良識が良い情報を得るか、おかしな情報を得るか、重要な要素になる。
しかし近年、この情報の取捨選択が難しいがためにいろいろな問題が起きている。例えば、災害などが起きた場合、あまりにも多くの情報が錯綜してしまったがために、デマ情報に踊らされる人が結構多くいたのはご存知の通りだ。
またLINEとかでもいじめや犯罪の問題が起きたりと情報社会における問題は山積していることがわかる。したがって、情報が氾濫することによって、多くの人々がそれに飲み込まれているのが昨今の社会である。ただそれだけ情報を扱うというのは難しいことなのだということもわかる。
次は情報の得すぎによってどのようなことが起きるのかを述べていく。
判断の歪み
情報を得る際、多かれ少なかれ、私たちは自分にとって都合のよい情報を得ていると思う。考えてみればそうである。グーグルの検索だって自分の欲しい情報を獲得するのがごく普通の行動であろう。
ただ、欲しい情報を得すぎるとどうなるか。見出しにもしたが自分の判断力が歪んでしまう危険性がある。例えば、政治に関する情報を見まくったとしよう。最近では森友とかの報道ばかりなのはみなさんご存知だろう。
で、官僚がいろいろ弁明し政治家とトラブってる報道がめちゃくちゃ流れている。どこのテレビ局、だいたいどの時間帯でも。こういうのを見せ続けられれば、もうそちらのほうに関心がいきまくり、それ以外の重要な点がわからなくなってしまう。
そうなるとますます政治に対する不信感は強まっていく。まあこれはあくまで政治の例であって他にも様々な例があるんだけど。あと厄介なのが占いとか。ヤフーとか結構占いが多いんだけど、その「情報」に踊らされて、運命すら翻弄される人もいるんじゃないか。情報に「」をつけたのは、もはや占いは情報ですらないと私が思っているからだ。
確かに料金が課せられる占いは無料よりかは信憑性がもしかしたらあるかもしれないけれども、それでも情報というレベルではないと思う。そもそも占いとかいっぱいジャンルがある。誕生日とか生年月日とか血液型とか。これだけくそたくさんあるなかで正確に私たちの運勢なんて決定できるだろうか。
「今年はさえないでしょう」と言われてあなたはそれをうけいれるだろうか。もちろん受け入れたくないだろう。人生なんてどうなるかわからないのである。そういうことからも占いの類いはあてにならないのであまりあてにしない方が良いと思う。
しかし本当に悩んで死にそうな時はそれに頼りたくなるときがあるだろう。こういう状況になった時は神仏すがりつきたくなる気持ちもわかる。そうなった場合は適度に利用すればいいと思う。それで立ち直れたならそれはそれでよいと思う。
まあ以上が情報によって判断が歪む際の例である。もちろんこれらだけではないが、都合の良い情報や特定の情報を得すぎてしまうことは実に危険であるということだ。
くだらん情報に左右されないために
くだらない情報に翻弄されないためにはどうしたらよいのか。それはあなた自身の(もちろん私も含めて)知性を日々伸ばしていく必要がある。たしかに多くの情報に簡単にアクセスできるようになったことで、苦労することはなくなった。
しかし知性を磨くというある種アナログみたいな行為を怠ることで良い情報、悪い情報の判断が難しくなったというのは間違いないと思う。したがって、スマホやパソコンだけでなく紙媒体の本などを読んで、教養を身に着けることは非常に重要な行為であると私は思う。
そこで教養を身に着けて良い情報、くそ情報を選別できるようになれば、あなたはもう無双状態である。情報過多な社会はもう避けられない状況ではあるが、あなた(私も)の知識のキャパが上がれば、もうそれらに左右されることはない。
なので、あえて遠回りなことをしてみることも現代では重要だってこと。
今日はこれまで!