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働くことは人生においてどれほど重要なのか

  たぶんこの時期は大学生が就活に励んでいる時期だと思う。うまくいっている人もいればうまくいっていない人もいるだろう。第1希望の会社に内定した人もいればそうじゃない人もいる。内定自体がNot yetな人もいるだろう。

 

 公務員の試験もそろそろ始まっている感じか。

 

 そもそもを繰り返すが就職、あるいは公務員でもいいが、働くことは私たちの人生においてどのような影響を与えるのか。 

 

 就活と公務員試験における本音と建て前

 

 現代においては多様な働き方がある。例えば、フリーランスになったり、起業したり、アフィリエイトなどで収入を得たり。これらのことは後に述べることにするが私たちはそれでも就活や公務員試験を受け、各々職に就くことになる。

 

 なぜ私たち多数派は一般的な社会的ルートを歩むのだろうか。考えられるのは、世間体であろう。高校なり大学なり出て、どこかの組織に所属しないとなると、周りから奇異な目で見られるだろう。

 

 特に地方だとそれが顕著だと思う。組織に所属しない人=プーみたいな考えに支配されている、ことが多い。てか平日の日中に外に出歩いている人とかは高齢者や主婦の方々を除いてほとんどいない。もし若者が歩いていようものならそれはヤンキーである。まあこれは大学がない地域やあったとしても小規模な大学であった場合の話だが。

 

  わかるのは、組織に所属しているのだから(高校とか会社とか)、そんな平日の真昼間に外に出歩いている人などいないということである。地方出身の人(私も含めて)はそういう環境で育ってきているので、上京して真昼間に人が多いことに驚いたりする。

 

 話が逸れるので話を戻すが、そういうこともあり、組織に所属するということがもう当たり前のように思っている。

 

 では都会はどうなのか。確かに地方と比べれば、自由に生きられるが、それでも皆、組織に所属する道を選ぶ。地方と多少環境や条件が異なってはいるが、やはりどこかに所属しなければいけないという「強迫観念」みたいなものがあるのは同じである。

 

 結局、周囲の目と脅迫観念が絶妙にマッチするのである。そうやって、私たちは皆にたような人生を歩むことになる。

 

 で、世間体ということであるが、優良な企業や公務員など(特に特別区とか県庁とか国家とか)に進路が決まったら、周りに優越感を得ることができる。そういう組織では待遇も良いので、さらに良い気分になれる。

 

 なので良いことだらけなのである。そう、組織に所属する前までは。建て前は自分の生きがいややりがい、人脈の形成であるけれども、本音は世間の目と待遇の良さなのである。もちろん生きがいややりがいを本気で求めている人もいるけれど。

 

社会人としてのやるせなさ

 多くの人は本音と建て前が乖離した状態で社会に出ることになる。

 

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  そうして上の記事でも書いたがいろいろ絶望するのだ。もちろんその中でも働くことに生きがいを感じる人も出てくることはいうまでもない。それはそれでハッピーである。

 

 ただ不幸なこと私たち大部分はその境地にありつけないのだけれど。ここにきて本音と建て前の乖離によるツケがきてしまう。受験までは全然それでなんとかなったのだけれど(というか大体ネームバリュー)、社会に出るとそれを許さない。

 

 それだけではない。日本の企業は大体ブラックなので、労働環境の劣悪さという「特典」もついてくる。福利厚生が良い思って入った企業がゴリゴリの残業フィーバーだったり、公務員にしても定時に帰れると思いきや、自治体によっては残業フィーバーだったりする。

 

 で、給料自体はまあ良いのだけどそういう労働環境に翻弄され、日々の生活が味気なくなってしまうという事態になる。金曜日になればテンションが上がるのに、日曜日はサザエさんを見て月曜日が憂鬱になる。

 

 それの繰り返しだ。そういう日々の中でやるせなさを感じるようになり、人生とはというなんか哲学的な問題を考えるようになる。

 

 それって突き詰めると人生において労働とはどのような位置づけなのかと問うことと同じなのである。自分の理想とする仕事でもなく、労働環境もあまりよろしくない、一体何なんだ的に思う人も少なくないだろう。

 

 そう考えると実は働くこととは実はさして重要ではないんじゃないのかと思い始める。いや、もちろん収入を得るためとかそういう事情があるのはわかるんだけど、深刻に考えすぎてたみたいな想いにとらわれてた気持ちにもなってしまう。

 

 就活ってそんな真剣にやるもんなのかという考えにもなってしまうのだ。いろんな記事で書いてる気がするがあのリクルートスーツオンリーは見てるこっちがつらくなってしまう。

 

 話が逸れてしまった。

 

 まあ労働というのは、そもそもそんな深刻に考えるほどでもないのだ。そういう結論になる。働くというのは人生においてはそれほど重要ではないということもできる。もちろん人によっては違うが。

 

働き方の多様化とこれからの展望

 最初の方でも述べたが近年は本当にいろいろな働き方がある。フリーランスアフィリエイトアドセンスなど。ここからわかるのは収入を得ることと、組織に所属することはイコールではないということだ。

 

 ここをわかっていない人がおそら多いと思う。あるいはそれらをやるのにも腰が重いというか、そういうめんどい感を抱く人も多いと思う。

 

 もちろん上記の働き方(といっていいのかわからない)において金を稼ぐのはそうたやすいことではない。が、時代が時代なので、組織をあてにした生活設計というのもかえってリスクが高いと感じる。

 

 昔のように経済が劇的に良くなるわけでもないし、終身雇用でもなくなってるし、人生どうなるかわからない。

 

 なので組織で生きるのも良いけど、自分なりに会社以外から収入が入るシステムを構築しておいた方が、安心だろう。

 

 そういう収入的なライフスタイルの問題だけでなく、そもそも組織で生きるのが苦手な人だっているだろう。そういう人が会社や公務員として生きていくには世知辛いと思う。いや、はおかしなことをしないかぎり首にはならないけど。笑

 

 自分にとって不利な環境で生きているから人生で歪みが生じてしまうのだ。なのでもし所属先の組織が自分に合わないと思ったら、辞めるというのも選択肢の1つかもしれない。

 

 で、ライフスタイルの話から変わるが、これからはAIとかが仕事に大きく関わってくるだろう。そうなるとわざわざ人間がやらなくていいことはAIがすることになる。そうなると人間のやることが少なくなり、労働環境はよくなるだろう。

 

 よくAIが人間の仕事を奪う的なことを言う人がいるが、奪うのではなく、負担を減らしてくれるので、その発言は筋違いだ。産業革命の時も機械とかが導入され、仕事がなくなるといってラダイト運動が起きたが、別になんともなかった。

 

 なので、これからは働くことについて考えつつも深刻になりすぎず、自分は今なにをしたいのかということを考えることが重要になる。順調にテクノロジーが進んで行けば、おそらくブラックな企業は淘汰され、労働環境は良くなっていくだろう。

 

 もしよくならないならそれはこの国に問題がある。

 

 みんなすごいマジメすぎる気がする。だから簡単に追い詰められ、逃げ場を失って息苦しい人生を送っている気がする。

 

 まあしまりわるいけどこんな感じ。笑