生きていくうえでコミュ力が重要なのは言うまでもない。皆コミュ力の重要性は理解しているだろう。
だから本屋に行けばコミュ系の本がいっぱい置いてある。そしてコミュ系の本は大変に売れている。
このことからもコミュ力がどれだけ重要かがわかる。
だが、コミュ力といっても土台がしっかりしていなければ上達は難しいと私は考える。今日はそういう類いの話題を考えていく。
コミュニケーション系の本に書かれていることは
コミュニケーション系の本に書かれていることは、「こういう時はこんな返答をするのがいい」みたいなことだろう。あるいは「このタイミング(こういうとき)に相槌をするのがいい」という感じか。
まあどっちも言っていることは同じなのだが。
つまり会話にはある程度の型があるといいたげなことがわかる。型があり、それに従って進めていくと会話が円滑にいくのである。
そういうことを主張したいことが伝わってくる。
ただ、例を出さないとわかりづらいと思う。典型的なのは就活の面接に関する「対策」本だ。
というか面接に「対策」があること自体すでにおかしいんだけど 笑。
話がそれてもうた。
この「対策」本こそ、「こういう質問がきたら、こんな返答がいい」みたいなことが書かれている。
例えばアルバイトに関する質問がきたら、本当のことを言ってはいけない。「なぜそのアルバイトをしていたか」をしっかり答えられなければいけない。で、「バイトをしていた際どのようなことを意識していたか」を聞かれる。
これは一見すると型にはまった質問ではないように思える。だが、「模範解答」を見ると、だいたい意識高いことが書かれている。
「どうしたら利益を出すことができるか」、「どのように接客をすればお客様は喜ぶのか」を答えられなければならない、みたいなことが書かれている。
結局意識高い系の、具体性をもった型どおりの質問が求められているのだ。
しかし、しかしである。20年そこらしか生きていない、しかもアルバイトで「どうやったら店に利益が出るか(あるいは客足を伸ばせるか)」、「どうしたらお客さまを満足させられるか」などを考えている学生なんてほぼほぼいないだろう。
学生がアルバイトをする理由なんて、「ラクに稼ぎたい」、「時給がいい」、「家から近い」などそんな感じのものだろう。
確かに教師志望の学生が塾講師や家庭教師のアルバイトをすることはあっても、そうでない学生は上の例に挙げた感じの理由でバイトをしているのが現状だろう。
かくいう私だってラクに稼ぎたい!家から近い!、そんな理由でアルバイトをしていた。
まあそんな感じでアルバイトをしている学生が大部分なのに、就活の際に意識高い系の答えを要求すること自体酷だと思うんだけどな!
結局言えることは本に書かれているコミュ系の本は、型があることを前提とした内容になっている。
今回は就活の面接の「参考書」を例に出したが、ビジネスなどに役立つコミュ系の本とかも意識高い系ではないが、ある程度型にはまった会話があるよーっていう内容だろう。
読解力と思考力の重要性
型にはまったコミュ力よりも重要なもの、それは読解力と思考力だ。
理由は明らかだ。
上っ面の型にはまったコミュニケーションができても必ずどこかで限界がくるのが目に見えている。
それよりかは相手の主張していることをしっかりと理解し、それに対して適切な返答ができるほうがよほど良い。
そうしたほうが物事が円滑に進むし、お互い良好な人間関係を構築することができる。
このことができるために必要なことは読解力と思考力だ。
読解力と聞いてどのようなことをイメージするだろうか。多くの人がイメージするのは、いわゆる受験などの現代文の読解力だろう。
つまり文章に書かれていることを理解し、問題を読み解く力。これが多くの人が考える読解力だろうと思う。
まさにそうである。文章に書かれていることを理解し、問題を読み解く力である。
しかし何もテストのような紙に書かれていることを理解し、読み解く力に限ったことではない。
相手の言っていることを理解し、適切に答えることも読解力である。繰り返すが、この読解力ができると円滑に物事を進められ、良好な人間関係を構築することができる。
では思考力とは何か。それは質問に対し適切な答えを出す力と新たに何かを創り出す力である。言い換えると創造力である。
この読解力と思考力が上達するとどのようなことが可能になるのか。
まず読解力が伸びることで様々な物事を吸収することができる。本に書かれていること、相手が言っていることを吸収し、その話題に関することを理解することができる。
そうなると深い知性と幅広い好奇心が生まれる。まあ魅力的な人間になれる。
んで、次に思考力。吸収した物事を多面的に考える。そうしていくうちに様々な考えをすることができるようになり、自分の力でイノベーションを起こすことができる。
型にはまったコミュニケーションを身につけることよりも良いことは明らかだ。
そういうことから、型にはまったコミュニケーションを身につけるより、読解力と思考力を要請した方が良い。
読解力と思考力を伸ばすには
読解力と思考力を伸ばすことは容易ではない。こんなことをいうと、たちまち落ち込んでしまう人もいるだろう。
だがこれらの力をしっかり身につけた方が長期的に見ればあなたを幸せにする。
読解力と思考力を伸ばすために必要なことは大量のインプットだと思う。
このことを主張すると、批判がくるかもしれない。
なぜなら昨今は知識を詰め込むことは悪とされ、主体的に考える力の方が重要だというコンセンサスが強いからだ。
現に大学入試も「知識偏重主義」から「思考力中心主義」になりつつある。
いや、入試だけではない。学校の授業などもアクティブラーニングをする機会が増えているようである。
「とにかく知識に偏ってはだめだ。これからは議論などを通じてアウトプット中心にしていかなくてはならない」。こんな主張が聞こえてくる。
アウトプットを行うことは私も賛成だ。それをしなければ身に着けた知識が生きない。
だが、知識がパーでアウトプットをすることができるだろうか。無から有を生み出すことは難しい。
それなのに現在はそんな感じの言説が強いように思える。
というか知識パーで議論しようとしてできないから型にはまったコミュニケーションに逃避するのではないか。
その結果、建設的な会話をすることができず、知識も十分に吸収することができずに終わるような気がする。
なので現在の知識パーの「思考力中心主義」はあまり良くないと感じる。
そうならないために読解力と思考力の養成が必要である。
では読解力と思考力を伸ばすためにはどうすればよいのか。
一番手っ取り早いのは現代文などの参考書を手にとってみるのが良いだろう。しかし、現代文の参考書は本屋の参考書コーナーへ行けばめちゃくちゃある。
選ぶのが難しい。そう考える人もいるだろう。なので、参考書コーナーで選ぶのがしんどいと感じる人は新書コーナーでも売っているのでそちらに足を運んで選ぶのもいいだろう。
国語ゼミ―AI時代を生き抜く集中講義 (NHK出版新書 554)
新書の読解力系の本は参考書のように氾濫しているわけではないので割合選びやすいと思う。こなすべき量も参考書より少ないので取り組みやすい。
自分にとってよさげな参考書、あるいは新書を選び読解力の向上に努めれば、物事の吸収量も変わってくるだろう。
そういうトレーニングをすることで読解力は伸びていく。
それと同時並行でいろいろなジャンルの本を読みまくれば良質なインプットを図ることができる。
まとめると、良質なインプットを行うこと、読解力の向上に努めること、これらをこなせれば読解力と思考力は伸びていくだろう。
読解力低下の深刻な問題
中高生の読解力ピンチ 文法分からず中学生43%が誤答 国立情報学研究所調査 - 産経ニュース
主語と述語の関係といった「係り受け」など、文章の基本的な構造を理解できていない中高生が多くいるとみられることが、国立情報学研究所の新井紀子教授らの研究チームによる調査で分かった。新井教授は「読解力が不十分だと社会生活を送る上でも大きな影響が出る」と懸念している。
引用 中高生の読解力ピンチ 文法分からず中学生43%が誤答 国立情報学研究所調査
上の記事からもわかるように、近年読解力の低下が深刻な問題となっている。
しかもビジネスパーソンではなく、国語を授業で勉強している中高生の読解力が低下しているのだからその深刻さは明らかだろう。
これでは、そもそも教科書を理解する段階から支障をきたすので、インプットする訓練ができない。
つまりインプットする以前の問題なのだ。
こんな状態で世の中が、国家で全力で「思考力中心主義」を推し進めるのだから深刻な問題だ。
思考する段階以前の力を本来はつけるべきはずなのに、順序を間違えている。にも関わらず教科書をゆとりの時より分厚くして、授業時間を増やすとか一体何を考えているのか。
これ以上は話が逸れるのでこの種の発言を控えるが、とにもかくにも読解力低下は深刻な問題なのである。
もしこのような状態でAIの知性が飛躍的に伸びていったら、考えると恐怖である。AIに頼るのはどうでもいい作業を省くのには良いが、依存しすぎるとAIに支配されるというSFみたいなことが起こりかねない。
したがって何もかもを「アウトソーシング」するのではなく、私たちも知性の向上をしていなければならない。
タイトルが型にはまったコミュ力よりも読解力と思考力なのに最後の方はコミュ力の話題がほぼ消え失せてる点で私の読解力と思考力もまだまだ低いのだ 笑。
しかも結構話言葉使ってるし。良かったら過去記事もどーぞ。