自分の好きなことは何なのか。
自分が没頭できることは何なのか。
このことは、生きていくうえで非常に重要になってくると思った。
なぜか。現在は職業選択が昔と比べて幅広くなっている。結果として、これまで考えられなかった職業が生まれているからだ。
例えばユーチューバ―などはその典型的な例だろう。他にもブロガーだったり、様々な職業がある。
これらは高度経済成長やバブルの時代に生きていた人にとっては考えられないことだろう。というか、そもそも組織に所属しないで働くことができる時代である。
上の例に挙げたユーチューバーやブロガーはそもそも「嫌々」やって生まれた職業ではないことは容易にわかる。
自分のやっていることが好きでたまらない、そんな感情から生まれた仕事なのである。
では自分の好きなことに気付くにはどうすれば良いのか。
「現実」を突き付けられる現実
誰だって生まれてから現在に至るまでハマってきたもの、ことがあるはずだ。
野球やサッカー、テニス、バスケなどのスポーツ。それだけでなくゲームやパソコンなどのプログラミング(プログラミングは結構ニッチな趣味かも)。
時間に余裕がある大学生とかは旅行などにもハマっている(人もいるだろう)。
これらは自分が心から楽しいがためにやっていることは明らかだ。コストがかかる割に利益にならない。それなのに取り組むということは心からそれを行うことを求めているからだ。
しかし、私たちはどこかのタイミングで「現実」を「世間」によって「教えられ」る。
就活などが最たる例だろう。
私たちは建前上、「自分の興味関心あること」から職業を選択するように言われる。
しっかりと自己分析を行い(と言いつつそんなことしたって自分のことなんてわからないんだが)、その適性にあった企業を選ぶように周囲の大人から言われる。
だが、実際それは本当に建て前で、ホワイトな大企業、あるいはおかしなことをしない限りクビにならない公務員(それでもおかしなことをする人が後を絶たない気がするが)になりたいというのが本音であろう。
大学側だって進路において優秀な実績を出せばそれだけ株が上がる。そして受験生の目に留まる。で、優秀な受験生が入ってきてくれる確立が高くなる。
つまり双方にとってwin-winの関係なのである。
そういうわけで大学側は学生に自己分析させつつ、優良な企業or公務員にいくよう仕向ける。
学生も優良な企業、公務員に進路が決まるように「対策」をする。そして内定をもらい、進路が決定する。
おおよそこういう流れだろう。
しかし、好きなことより「現実」を優先してしまったがために(もちろん自分の興味関心で選び、進路が決定した人もいるだろう)、深い絶望を味わってしまうケースはよくあることだ。
加えて、労働環境もクソなこともあり、さらなる絶望を味わうことになる。労働環境がまだマシなら救いがあるが、そうでないことは電車のビジネスパーソンを見れば明らかだろう。
もう見るからに顔がイラついているのがわかる。ってかそれだったら転職すりゃいいんだけど。ただ、昔の企業文化が根付いている人ほどそれができないように思える。
話を戻すと、「現実」を優先した結果、自分の人生が色あせてしまうのである。
だが、「現実」を優先することのすべてが悪いわけではない。
これを言ったらじゃあ今までの記述は何だったのかという批判も出てくるだろう。
「現実」を優先することのメリットは何なのか。
なんといっても福利厚生が整っていることである。税金や保険など、個人では負担がかかることを企業、あるいは役所が負担してくれる。
要は経済的負担が軽くなる。これは経済的に苦しんでいる人にとっては非常に良いことである。
そうであるなら、自分のやりたいことより「現実」を優先したいと思っても無理はないだろう。
それだけでなく、クレジットを作る際やアパート、マンションを借りる時もスムーズに行うことができる。
そういうわけで身の安全は確保されるわけである。
なので経済的基盤が安定しないうちは組織に所属するのもいいだろう。
しかし、安定と引き換えに自由を奪われているということも忘れてはいけない。
「現実」を選ぶことはとても難しいものである。
嫌いなことをして好きだと気付くこともある
物事にハマる、没頭する以外に好きなことを見つける方法はないのか。
それは、意外かもしれないが自分がたいして好きでないことをやることである。
今まで自分がなんとなく好きだと思っていたことがある。しかしそれが本当に好きかどうかわからない。
そんな感情を抱く人が多少はいると思う。
例えばコミュニケーションであるとしよう。まあ人と関わることと言い換えてもよい。
今まで自分はそれが好きかどうかなんて意識せずに生きてきた。
ごく普通に周囲の人と接して特に問題なく生きてきた。
人と関わることに特に嫌だという感情もなければとりわけ良いという感情もない。
だから、就職も別に人と関わろうと、そうでなかろうとどっちでもいい。
そういう思いで就職したとしよう。結果、その仕事は人と関わらない職種だ。
まあパソコンとずっとにらめっこしてるような職業、職場環境だ。
そういう日々を送っている内に気づくのである。
「あ、私人と関わることが好きだったんだ」ということに。
この例でなくとも嫌いな事をやって初めて自分が好きなことに気づく人は一定数いると思う。
そしてその本心に従ってようやく自分にとって最適な職場(あるいは独立して)を見つけるのである。
なので、嫌いなことを一定期間行うのは決して悪いことではないと思う。自分の好きな事に気づく良い機会なのだ。
ただ問題なのは、嫌いな事をずっとやり続け、そのことに不満を抱き、居酒屋やカラオケをストレスのはけ口の場所とすることである。
不満ばかり言っていて現状を変えようとしないのは愚かな末路を歩むだけである。だが、こういう人は結構多いと感じる。
自分の好きなことをして生きていくためには
自分の好きな事をするためにはどうすればよいか。
それは繰り返すが、まず自分の好きな事に気づくことである。
自分の好きなことに気づくタイミングは人それぞれである。もう幼少のころから気付く人もいれば、例に挙げたように嫌いなことをやって初めて気づく人もいる。
で、その心に素直になる。
おそらくここまでは誰でもできることである。
そういう心を抱くだけでいいのだから。
問題はその後である。
それは行動できるかどうかである。自分の好きな事ができる仕事を見つけ転職したり、独立したりすることができるかが好きな事を仕事にできるかそうでないかの分かれ目になる。
この行動することに躊躇してしまう人が多いのが今の日本の現状だろう。
なぜ躊躇してしまうのか。
その理由は皆、社会のレールに当たり前のように乗ってきたからだと思う。
過去記事に書いたので省くが、要は新卒→就職(公務員)という選択肢が日本社会における「社会のレール」だからだ。
大学卒業後(あるいは高校卒業後)、ニートやフリーターを経て就職する人はゼロではないにしても少数派である。
したがって人生の選択肢について深く考えずに社会に出るので、組織に所属する以外あり得ないという考えに支配されてしまうのである。これは日本の義務教育でそういう風に教えられた結果である。
それゆえに行動することためらいが生じてしまうのである。
組織から抜け出せない人は「会社、あるいは公務員を辞めたら人生つむわ」と考えているだろう。
しかし実際はそんなことは全くなく、むしろ道が開かれることが多いのだ。グーグル先生で検索すればそういう体験をした人が多いことがわかる。
むしろ、「組織から抜け出せない」という考えに支配され、現状を変えようとせず、居酒屋で不満ばかりいっているようでは人生つむのが目に見えている。
なので自分の心に素直になり、積極的に行動した方が人生は開けるのだ。