タイトルそのまんま。
ネットで検索してみると、かなり多くの人が読んでいることがわかった。
その流れに乗って私も読んでみた。『10年後の仕事図鑑』。
感想を言うと本当に面白かった。まじ小学生並みな感想であるが、良いものは素直に良いというしかない。
まず内容がわかりやすい。なので理解しやすいのである。もちろんそのような形式的なことだけでなく、書いてある内容も現代に生きる私たちにとって参考になる。
というか、もう古い考えでは世の中生きていけなくなるぐらいの衝撃だった。
ということで印象に残ったことを書いていきまする。すべて書くとネタバレになるのでいいとこどりで。
名前を奪われるということ
高校や大学(院)を卒業すると、たいていの人は組織に所属する。つまり企業や公務員の道に進む。
今このブログを読んでいるあなたも身分としては会社勤め、あるいは公務員のだいたいどちらかだろう。もちろんフリーターやニートの方もいるだろう。
ここでは組織に所属していることを前提に話を進める。
そのように組織に所属することのメリット、デメリットはある程度把握しているだろう。
メリットとしてはずばり安定である。保険などの金は企業や公務員など所属先がふたんしてくれることがほとんどだ。家賃補助をしてくれるリッチなところもあるだろう。
つまり働くうえで組織はあなたを守ってくれているのである。
それが組織に所属することに対する最大のメリットかもしれない。加えて自分の社会人としてのスキルを身につけることや人脈を築くなど、人によっては安定だけではない様々なメリットがある。
しかし、その安定と引き換えに自由を奪われているという見方もできる。
組織に所属する以上は当然、その組織に合わせて生活を考えていかなければならない。
朝弱い人にとっては8時半とか9時の出勤はもう地獄だろう。そうやって始まる時間厳守なわりにいくらでも終業時刻は守らない、Japanである。
ただ組織に所属することのデメリットはそのような生活面だけではない。
その他に何がデメリットなのか。
ここからは本の中での内容である。
組織に所属することのメリット、それは名前が奪われることである。『10年後の未来図鑑』において落合陽一氏はこう主張する。
どういうことなのか具体的にいうと、要はあなたの発明、開発したアイデア、あるいは商品などは全て会社の発明、開発したものとなるのである。
もっというとあなたの功績は会社の功績となるのだ。
このことを落合氏は「湯婆姿に名を奪われる」と言っている(千と千尋の神隠しのあのばあさんだ)。
まさか映画みたいなことが現実で起こっているとは…。そうなんだ。あの映画結構内容に社会性があるのだ。
このように組織に所属することによって、あなたはよほど、めちゃくちゃ実績を上げない限り湯婆姿に名を奪われる千尋のようになるのだ。
イカれた就活
名前を奪われる以前に行われることがある。
それは就活だ。本においてはこの就活に関しても言及されている。
この就活において特徴的なのは何か。
それは労働性根性や同一性回帰願望だ(『10年後の仕事図鑑』p.34より)。
就活が労働性根性や同一性回帰願望であることは私もそう思っていた(んだけど結局就職してしまた)。
あれはどう考えてもおかしな光景だろう。みな同じリクルートスーツで決まりきった礼儀やマナーなどの振る舞い、御社御社の狂想曲。
いくらそれが建て前であってもあんなのは狂っている。しかも悪質なのが炎天下の中、あのダークスーツを着なければならないのである。
そもそも炎天下の中スーツとか最悪だろう。もう汗びっしょりじゃん。
しかしそういう理不尽にも耐えられる人材こそ、会社にとっては都合が良いのだろう。
組織にとって、名を奪われたことに気が付くような学生は都合が悪いのである。
だから、社畜根性が強い学生は好まれる。
そういう学生を入社後に酷使し、精神を痛めつけ、死に追いやる、というのが昨今の日本だ。
その就活においてすることがある。
それは履歴書の記入である。
これがまた非効率。
最近はまだまともにはなったもののいまだに履歴書を手書きでさせる企業が多い。
手書きによる履歴書の記入は無駄なコストが多い。
そもそも間違えたらまた新しい履歴書からやり直しである。
私は書き間違いが多いのでこれに手間取った。
と、同時になんて非効率なんだ!とも思った。
しかし、これが現在の日本である。
非効率をまかり通すことは就活の段階から既に始まっている。
就活の段階でそのような非効率を課すのだから、入社した後は本当にひどいだろう。
もうはんこ、はんこ、はんこ、はんこである。いちいち確認するのにハンコを押さなければならない。
もちろんハンコだけではないが、そもそもしなくて良い仕事を増やして、そのことによって収入を得る、これほど非効率で不合理なことはないだろう。
確かに最新の技術を採用して効率化を進めている企業はある。
それによって社員の負担を減らしているのも事実だ。
だが、それでもいまだに非効率をまかり通している企業が圧倒的に多いのである。
なので、まだまだ改革には時間がかかるのかな。
収入源という概念
収入源という概念がそもそもおかしい。
これが本書における堀江氏の主張だ。
なぜか。
それは、世の中には働くことが不得意な人が一定数いるからだ。
そのような人たちにまで労働を強いることは果たして良いことなのか。
それよりかは働きたい人たちに積極的に働かせた方が効率が良いのである。
働きたくない人たちには、ベーシックインカム(政府が国民に一定額のお金を支給すること)を与えて生きるのに負担のない人生を歩ませた方がよいのである。
ただ、ベーシックインカムの導入は今のところ不透明である。
が、それでも働きたくない人に無理やり働かせること健全なこととは思えない。
(私みたいに根がニートな人間が働くことは良いことではない!!!)
そう考えるとベーシックインカムの導入というのは、考えなければいけない問題だろう。
では現在はどのように生きていけばよいのか。
嫌なことを嫌々こなして生きていかなければならないのか。
そうではない。
好きなことを徹底的に突き詰めていけばそれが仕事につながると堀江氏は主張する。
確かにこれは説得力がある。
今はネットの普及の影響もあり、様々な職業が生まれている。
ブロガー、ユーチューバーなど。例を挙げればキリがない。
彼らは自分の好きなことに没頭した結果、確固たる地位を確立した。
このような事実から無理に嫌いなことをして生きていく必要は必ずしもないと言える。
しかし、この好きな事に没頭して収入を得るということに関してはかなりハードルが高い。
まず圧倒的な努力量が必要だ。
圧倒的努力を続けることにはかなりの労力がいる。この努力を続けられる人の数というのは決して多くはない。
なので、好きな事をして生きていくと決めた以上は、人生において相当な覚悟が必要である。
しかし、嫌いな事をムリにこなしていくよりは、よほど人生有益だろう。
まあ、人生の選択肢は様々なので、どういう人生を歩むかは自分自身で決めていく必要があるということである。
まちがっても「安定しているから」という理由で職業を決めるのはよろしくない。
職業の未来
現在の職業は今後どうなっていくのか。これも本の中からピックアップ。
事務職、管理職、公務員など
→これらの職業はAIの発達とともにどんどん代替されていく。
この主張に異論はないだろう。データの管理などはそもそも人間がやらなくてもできる。
人間がやらなくてもいいものをわざわざ人間がやる結果、非効率がまかり通っているのだ。お客に対しても気を煩わせてしまうことが多い。
住民票などで長い時間待たされた人は多いだろう。
いろいろ理由はあるが事務系の仕事といいうのはどんどんなくなっていく、あるいは残るにしても形骸化するだろう。しなくてもいいことをやって収入を生み出しているのはおかしな現実である。
エンジニア
→エンジニアの需要がなくなっていくことは私も驚いた。
エンジニアというと、もう圧倒的に世の中に必要とされている職業だと認知している人は多いのではないか。
何度も言うが私もそう思っていた。てか、世の中エンジニア不足だと言われているので本当に驚く。
が、本書を読むと納得。
そもそも現在は安い価格でプログラミングを学べるサービスが誕生している。
したがってそのようなサービスを利用してプログラミングを学習する人が増えることによって、多くの人がエンジニアという職業をこなせるようになっていく。
そう、エンジニアという職業は一握りの人間しかできないものではなくなるのである。
それゆえ、エンジニアの価値はどんどん下がっていく。
教師、スポーツの監督
→ともに人間と直接関わる職業。
もちろん流れ的にこれらの職業も淘汰されていくことが書かれている 笑。
AIが授業のカリキュラムを考えたり、戦術を考えたほうが効率的である。
結果として生徒の学力は確実に向上し、スポーツの世界は精密さを増していくことだろう。
しかし、人間と直接関わっていくこれらの職業はしばらくなくならないだろうと私は考える。
なんだかんだいって、というか少し趣旨とは外れてしまうが、人は人と関わってこそなんぼである。
みんな、学校生活の中で一人ぐらいは良いと思える先生に出会っているはずだ。
そういう出会いというのは貴重な経験である。そういう経験をなくしてしまうのは非常に惜しいことである。
少し話がそれた。が、結構重要なことだと思うので書いた。
スポーツの監督にしたって、やはり人間の持つ可能性に私たちは魅力を感じるのである。
もっというと不合理なことにも私たちは心を奪われるのである。
それをすべて合理的に進めるのは面白みに欠けてしまうと思う。
ただ、それでもAIの技術と共存していくことは間違いないだろう。
人間と技術の共存が今後重要になってくる。
本を読んでみて
本を読んでみて感じたのは、とにかく今までの考えというのはどんどん通用しなくなっていくということである。
AIの技術はもちろんだが、今後はどのようにそれらを運用していくかを考えていかなければいけない。
そうしなければ、リアルに仕事はなくなっていく。
また、自分自身が積極的に世の中に働きかけていく必要がある。
昔よりも人生の選択肢が幅広くなったというのは、それだけ人生に責任を持っていく必要があるのだ。
確かに人生に責任を持つというのは非常に重たいことである。
自分ですべてを管理しなければならない(独立していれば)。
組織に所属していればすべてではないにしても大体のことを管理してくれる。
が、それでも自分で人生に責任を持ち、自由を獲得していくことは重要だと思う。
またまた話がそれるが、「こんなこと言ってるお前はどうなんだよ!」的な意見を持つ人がいるだろう。
そう、私は現在、組織に所属して働いている。
しかし、将来的に組織に所属しない働き方にchangeしていくつもりである。
今はそのための経験である。
なので、私は最終的には自由を選ぶ。
話がそれたが、これまでより自由を得やすい人生だ。
にも関わらずそれを利用しないのはもったいないのである。
確かに組織に所属することによるメリットはあるだろう。
が、それが苦手な人は無理にそれに合わせる必要がないのである。
本の趣旨からそれてしまった。
本の内容に戻ろう。といってもすべて書くとネタバレになるんだけど。
まあとにもかくにも『10年後の仕事図鑑』を読むことで、これからどう生きていく必要があるのかがわかってくる。
当然、どう受け取るかは個人次第だが。
今回のブログで紹介しきれなかった「お金ではなく信用をためろ」という主張や「貯金や節約がもとをたどると戦争中に広まっていった」という話は現代に生きる私たちにとって、衝撃的な事実である。
それとこれからの生活はワークライフバランスではなく、ワークアズライフになるという落合氏の主張は非常に面白いと思った。