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オウム真理教に思う

 オウム真理教の元教祖である麻原彰晃松本智津夫)の死刑執行がさらたというニュースを見た。

 

 長年話題にはなっていたのでようやく事件に終止符が打たれるのかと思いきや、まだまだ疑問は残る。

 

 実をいうと、私はこのオウムに関する事件を詳しくは知らない。

 

 事件が起きた時、私は生まれてはいたけれども、まだ物心なんてほぼほぼついていない時であった。

 

 なので、直接的に実感した事件ではない。

 

 学校などで教えられたり、自分でそこそこ調べたりしたので一応「知識」としてはある。

 

 が、所詮知識は知識である。

 

 今日はオウムの一連の事件を詳しくしらない人間の視点からオウム事件について書いていきたい。 

 

 ただ、これは事件の全貌を知らない素人の意見、考えである。その点はご了承願いたい。

 

 

目次

 

私の知るオウム真理教に関する事件

 私の知るオウム関連の事件は地下鉄サリン事件坂本堤弁護士一家殺人事件である。

 

 地下鉄サリン事件は1995年現在の東京メトロ丸の内線、日比谷線神経ガスサリンが散布され、13人が死亡、約6300人の負傷者がでたということである。

 

 坂本堤弁護士一家殺人事件。これはオウム問題に取り組む坂本堤弁護士がオウム真理教の信者に殺害された事件である。

 

 他にも松本サリン事件があるが、私にとって上記2つの事件のインパクトが強い。

 

 

 以上が事件の素人である私が調べたオウム真理教に関する一連の事件である。

 

犯行を犯した加害者

 オウム真理教の事件に関与した加害者はどのような人であったのか。

 

 加害者はいわゆる学歴エリートであった。東大や京大、それ以外の旧帝、医学部、早慶などそうそうたるレベルの大学を卒業している。

 

 当時は「なぜこのような『エリート』が犯罪を犯すのか」というニュースで話題になっていたという。

 

 確かに、一般的に考えてみればこのような優秀な人は犯罪を犯さないと多くの人が信じているのはわかる。

 

 だが、これは私にとってはあまり不思議ではないように思えた。

 

 なぜか。

 

 

 日本の教育の闇が垣間見えたからである、そして特定の宗教を持たない日本人の宗教に対するリテラシー能力のなさが露見したからである。

 

 どういうことか説明しよう。

 

 日本の教育は世界的に見れば優れている。均質な教育で読み書き能力はだいたいできるようになる。

 

 これは世界的に見ると素晴らしい点であると思う。

 

 発展途上国の中でも貧しい層はおそらくその読み書きすらも怪しいだろう。

 

 最低限の読み書きができなければどうなるか。

 

 結論からいうと国全体の治安が不安定になる。

 

 読み書きができないということは、当然相手が何を言っているか理解できないことがあったり、新聞やネットのメディアに何が書かれているのか理解することができない。

 

 そうなるとそれに対する怒り、ストレスが発生する。

 

 良質な情報に触れる機会がないのだから、B級の情報にしか触れることができない。

 

 理性で行動できなくなるのだ。

 

 理性よりも感情が優先され、まともな行動をとることは難しくなるだろう。

 

 そういう背景から日本の教育は素晴らしい点があるのだ。

 

 しかし、その良質な教育を受けた人たちがオウム真理教の事件において加害者となってしまったのである。

 

 ここに日本の教育の闇が垣間見えるのである。

 

 日本の教育は基本的に教師に言われたことを覚え、それを答案で再現できれば、それがそのまま点数になる。

 

 だからそのようなことが得意な人は必然的に成績が上位になる。

 

 が、これはおよそ日本だけでなくどの国でもだいたい同じようなものだろう。

 

 考えてみれば、言われたこと、書いてあることを理解することは、根本的なことを言うと、人生において最も重要だからである。

 

 相手が何を言っているのか、本に何が書かれているのかを正確に理解する能力がなければリテラシー能力は一向に上がらない。

 

 そういうわけで、この点はまだできる。

 

 しかしそれでも日本の教育が問題なのは常に均質さが求められている点である。

 

 例えば数学が5でそれ以外が1の生徒は「落ちこぼれ」の烙印を押されるだろう。

 

 一方、全教科まんべんなく4を取れる生徒は周囲の評価が高くなる。受験においてもそういう生徒が有利になる。

 

  これ以上書くと完全にオウムの話題からそれてしまうので結論を言うと、上の人間に従順な人ほど成績は良くなるのだ。

 

 中には権威者に抵抗しつつもが学力が優秀な人もいるだろうが、大体は従順で真面目な人だろう。

 

 この従順さこそが邪な宗教に引っかかってしまった所以だろう。

 

 当時はバブルがはじけ、先行き不透明な状態だった。

 

 この先どう生きていけばわからない状態だったと思う。

 

 そんな中、現れたのがオウム真理教である。

 

 人生に迷いを感じていた人がその「魅力」に取りつかれ、はまっていった。

 

 で、持ち前の従順さによって疑うことをせず、誤った行動へと突き進んでしまった。

 

 そういうわけで現在の教育の悪い点によって、人は善悪の判断をせずに反抗に手を染めてしまった、というのが私の見解である。

 

 それに加えて宗教である。

 

宗教を「持たない」国

 日本人は特定の宗教を持たない。

 

 だから結婚式はチャペルで行われ、葬式は僧侶ありで、仏教的な形式で行われる、というおかしなことが起きる。

 

 ただそのことに関してはもうビジネスとして確立されているので仕方がないことだとは思う。

 

 問題は宗教に対する知識がないことなのだ。

 

 普通に考えれば、あのようなパフォーマンスをする宗教は明らかにおかしいことがわかる。

 

 

 しかし、教育によって培われた従順さに加え、宗教に対しての知識が浅はかだったことによって、魅了されていったのである。

 

 いや、知識としてはあったとは思う。何しろ犯行を行った人の大部分は高学歴なのだから。

 

 しかし、宗教の根本的な部分を理解していなかったとは思う。

 

 言葉にするのは難しいが、なんというか、その宗教のもつモラルを理解していなかったように思える。

 

 そういうわけでおかしいものをおかしいと判断できずに罪を犯してしまったと思う。

 

 やった後に気づくのは遅いのだ。

 

 以上が教育と宗教における視点から、オウムに加担した人の行動を考察した結果だ。

 

 繰り返すが、これはあくまでも素人の考えである。なので考察そのものが誤っている可能性もあるし、誤解だってあると思う。

 

 その点はご了承いただきたい。

 

身内の問題

 オウム真理教においてもう1つ気になった点がある。

 

 それは身内の問題だ。

 

 教祖である麻原の子供は学校の入学拒否をされていたらしい(wikipediaの情報)。

麻原彰晃 - Wikipedia

 

 

 誤解を恐れずに言えば、普通の処置であろう。

 

 麻原の子どもを入学させたと言えば世間的に評判が悪くなる。

 

 だが、そもそも子供は別に罪を犯していないのに罪を犯したかのように見るのは間違っていると思う。

 

 そのせいで、教育を受けられないとなると人生において大きな損失である。

 

 教育が受けられないことによって読み書き能力に支障をきたしてしまうと人生において不利益を被ることになる。

 

 子供たちはそのような扱いを受けてきたことを考えると、というのは本当に残酷だ。

 

 特に日本は世間体を強く気にする傾向がある。

 

 今回の例でいえば、親の犯した罪なのに、さも子供も罪を犯したかのように見る。

 

 親の責任と子供の責任は別物なのである。

 

 それを同一に見ることはおかしなことである。

 

 オウム真理教の事件から教育や宗教の問題、また世間体の問題などいろいろな問題が含んでいると感じた。

 

 ただ、事件は思っているより複雑である。