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テクノロジーの発展によって不要な仕事が増える可能性がある!?

 

私たちが「クソどうでもいい仕事」に忙殺されてしまう意外な理由(藤田 結子) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

 

 ツイッターでも少々思っていることは書いた。

 

 書いたのだが、これはもうブログネタとして書くしかないと思ったので、書いていこうと思う。

 

 以前に『10年後の仕事図鑑』を読んでの感想を書いたが、それと比較して読んでいただけるとおもしろいと思う。

 

www.penserblog.net

 

 

 

テクノロジーによって無駄な仕事が増える

 テクノロジー、それもAIを導入すれば、業務は効率化され、負担が減ると私たちは思っている。

 

 どうでもいい残業がなくなり、休日出勤なんてなくなる、そう私たちは強く信じている。

 

 なぜか。

 

 あまりに普通すぎる疑問である。

 

 もうこんなの書くのも愚かだと思うが書くと、単純に人間がやらなくていい仕事をテクノロジーがやってくれるからである。

 

 その行き着く先の考えとして、人間はもっと創造的な活動に従事できる、という考えが出てくる。

 

 だってそうだろう。

 

 現に私たちは本来人間がやらなくていい仕事をやっている。

 

 事務とかが典型的な例だろう。

 

 データの入力など、いちいち私たちがやるより、機械にやっていただいた方が間違いが少ない。

 

 それ以上に深刻なのがハンコペタペタだろう。

 

 このハンコペタペタをやっている方は多いのだろうと思う。

 

 あの膨大な書類にハンコをただひたすらぺたぺた押していく。

 

 あれほど無駄な作業は本当にない、とまじ断言できる。

 

 いくらあれで給料もらえるにしてもしんどすぎる。

 

 てか私もやることあるんだけど、人権を蹂躙してると思う

 

 てかハンコペタペタはもうテクノロジーとか以前の問題だと思うんだけど。

 

 皮肉なことに、とりわけ日本はハンコぺったんが重要視される。

 

 まあつまりこういうウザったい作業がテクノロジーさえ発達すればなくなるだろうと私たちはポジティブに考えている。

 

 だが、テクノロジーの発展によってかえってこれ以上に無価値な仕事が生み出されるとしたらあなたはどう思うだろうか。

 

 ハンコより無価値な仕事それはいったいなんなのか。

 

 考えると恐ろしくなるのでここでは考えない。

 

 テクノロジーの弊害を知るため、記事の記述を読んでいこう。

 

1930年に経済学者ケインズは、20世紀末までに技術発展によって、イギリスやアメリカのような国では週15時間労働になるだろうと予言した。1日に3時間だけ働けばいい。

だが、そんなことは決して起こらなかった。テクノロジーはむしろ人々をもっと働かせるために利用され、無意味なくだらない仕事が次々と生み出された。

20世紀に増えた雇用といえば、専門職・管理職・事務職・販売職・サービス職。とくに管理系の仕事が増え、金融サービスやテレマーケティングなど新しい情報関連産業が創出された。また、会社法部門、大学の管理部門やヘルスケアの管理部門、人事、広報などの部門が拡大している。

 

 そう、学者でさえ、テクノロジーの「未来予想図」を描くのに失敗した。

 

 特に注目なのは「1日3時間働きさえすればいい」という箇所である。

 

 おそらくMen in Black企業で働いている人はこの4,5倍の労働時間で働いているのではないか。

 

 普通に働いている人でも3時間の3倍の長さで働いているだろう。

 

 テクノロジーで労働時間が減るのかと思いきや、かえってクソみたいな仕事が増え、労働時間が長くなってしまったのである。

 

 ちゃんちゃん♪

 

デヴィッド・グレーバーの主張

 デヴィット・グレーバーは社会人類学者である。

 

  彼がどんなことを考えたのかまた記事を引用していく。

グレーバーは、2013年に本のもととなる「クソどうでもいい仕事という現象」(1)という題の小論を発表し、インターネット上で大評判になった。

このエッセイは10ヵ国語以上に訳され、掲載したウェブサイトへのアクセスは1日で数百万に達したという。

「Bullshit(ブルシット)」は、英語を話す人々にとっては下品なののしり言葉で、「くっそどうでもいい!」「うそだろ!」といった感じで使われる。「bullshit jobs」という語感のキャッチーさもバズった理由だろう。

 

 彼はこの「くっそどーでもいい」仕事というのは最初に例を挙げた事務職や管理職、一般職などだ。

 

 繰り返すが、テクノロジーの発達によって本来必要のなかった職業が生まれたと彼は指摘している。

 

「くっそどーでもいい」仕事の方が給料がいいという話

 で、本来社会にとって必要のない事務職や一般職、管理職、総合職はどのような地位を占めているのだろうか。

 

 全部社会的地位高しである。

 

 国家公務員総合職なんて世間において羨望の眼差しが向けられる。

 

 公務員事務職も人気が高い。

 

 これらの職業は給料も高く、福利厚生も充実している。

 

 しかし業務の内容はどうだろうか。

 

 もちろん日々アクティブに働いている人はいるだろう。

 

 それはそれで全然問題ない。

 

 厄介なのがハンコペタペタの生活に慣れきってしまっている人である。

 

 書類に目を通しハンコをぺたぺた♪押したところで社会にとって何の意味もない。

 

 そういう状態なのに収入だけは多いことを考えると、いかに非生産的であることがわかる。

 

 公務員だけではない。企業の管理職の人々もそうである。

 

 めんどいことは基本部下に丸投げしてほとんど仕事をやらず、というのはよくある。

 

 話がそれるがそういう人間に限って、無駄な飲み会とか会議とかが好きだったりする。

 

 したがって、世の中に直接影響を及ぼさない職業の社会的地位及び収入は高いのである。

 

 もちろん医者などダイレクトに世の中に貢献し、高い給料をもらう例もあるので、それは忘れずに。

 

「めっちゃ重要」な職業の地位は低し

 ブルーカラーというとどういうイメージをもつだろうか。

 

 低賃金労働、ホワイトカラーになれなかった人たち。

 

 こういうある種軽蔑の対象をしてみる人は一定数いるであろう。

 

 しかし、彼らこそ本来社会にとって必要なのである。

 

  清掃のおじさん、おばさんがいなくなったら公衆のトイレはどうなるだろうか。

 

 当然汚物まみれになる

 

 飲みなれない大学生、ビジネスパーソンが調子こいて飲みまくり吐いた汚物を処理してくれる人がいなければ、日本は世界最高の「汚物国家」となる。

 

 んま、それは言い過ぎだが、私たちがやるハンコぺったん♪♪よりはよほど生産的である。

 

 道路工事のたくましいおじさんがいなければ、道路はがたがたのままである。

 

 彼らのおかげで道がしっかりと舗装されているのだ。

 

 そういう例を考えると、明らかにブルーカラーの労働に従事している人の方が社会に直接貢献している、ということがわかる。

 

 だんだんとわかってきた。

 

 社会において無意味な職業ほど給料は高く、直接影響を与える職業ほど収入が低くなる傾向がある。

 

 管理職や公務員だけでなく、投資家なるものだって、世の中にダイレクトに貢献しているわけではない。

 

これからもどんどん社会的に無価値な仕事は増えていく

 結局これからもテクノロジーはどんどん進歩していくだろうから、それと同時に社会的に「無価値」な仕事も増えていくだろう。

 

 そしてその「無価値」な仕事の奪い合いで、相変わらず働き方改革は茶番劇のままである可能性がある。

 

 その時私たちはどうなってしまうのだろうか。

 

 AIが仕事を効率化してくれることは大変ありがたいが、今以上に無意味な仕事をさせられることにあなたは耐えられるだろうか。

 

 私は結構ぞっとしてしまう。

 

 だって、ハンコを押すよりも無意味な仕事って…

 

 事務職、一般職、総合職のほかに何か新しい「職」ができるのであろうか。

 

 そういうわけで、私たちはテクノロジーの持つ悪い影響も考慮しつつ、生きていかなければいけない。

 

私たちが価値ある仕事をするために

 私たちが自分にとって価値ある仕事をしていくためにはどうしたらいいのか。

 

 これは堀江貴文氏の言うように好きなことに徹底的にはまり、それをビジネスにしていくことだと私は思う。

 

 『多動力』などで言及している。

 


多動力 (NewsPicks Book)

 

 まんが版も。↓

 


マンガで身につく 多動力 (NewsPicks Comic)

 

 好きな事を仕事にし、まともな利益にするには、多少の時間がかかるかもしれない。

 

 しかし、自分からいろいろと動いていかなければ、それこそ「AIに仕事を奪われる」という事態になるだろう。 

 

 それか自分が得意なことを仕事にしていく必要がある。

 

 というか、この得意なことを金にするのが一番いいし合理的だと思う。

 

 誤解を恐れずにいうなら、大した苦労もせず、圧倒的な成果を上げることができる。

 

 なので、好きな事や得意な事を徹底的に突き詰めていけば、「AIに仕事を奪われる」というようなことはないだろう

 

 そして「価値を生み出さない高給取り」になる可能性も低い。

 

最も危険なのは

 私たちにとって最も危険なことはなんだろうか。

 

 それは思考をせずに、真面目さをアピールすことである

 

 このパターンの人間は淘汰されやすい。

 

 まず思考をしない。

 

 思考をしないとはどういうことなのか。

 

 あらゆる可能性を考えないことである。

 

 例えば、自分がリストラにあったり、くそブラック企業に不幸にもありついてしまった場合、「仕方のないことだ。頑張るしかない」と持ち前の「真面目さ」を発揮し、事態の改善を図らないことだ

 

 そもそもリストラされたら転職するなり、起業するなり、様々な選択肢があるはずだ。

 

 ブラック企業にありついたらとっとと辞めるなりなんなりを考えなければならない。

 

 実際、ブラック企業にはあらゆる選択肢を考慮に入れてない人が多いように思える。

 

 企業もその社員の「真面目さ」を利用し、結果としてブラック化するのである。

 

 ブラック企業は「考えない真面目マン」がいて成立するのである

 

 そういうわけで、真面目な人の行き場は失ってしまう。

 

 テクノロジーのネタからそれてしまっているが、これは大事なことなので書いている。

 

 ただ、矛盾するようだが、真面目な人を否定するつもりはない。

 

 真面目さというのは、他者から信用を得るための重要な要素である

 

 期日を守らなかったり、時間を守らない人間というのは他者から信頼を得ることができない。

 

 その結果、大きなチャンスを逃してしまうことだってある。

 

 (ただ、1,2分の遅刻とかはしゃーない気がするんだが、出勤時間に関しては、日本はやたら厳しくないですか?終わる時間はいくらでも破るくせに

 

 なので、真面目さというのは人生において重要な要素である。

 

 だめなのは、思考を働かせないことである。

 

 おかしな職場環境や労働時間を守らないようなところはとっとと、見切りをつける大胆さが必要である。

 

 世の中は、考えない真面目な人からいかに搾取するかを考える輩で満ち溢れている。

 

 だから、あなた自分のこと、周囲のことを客観的に分析していく必要が。

 

 思考ができる真面目な人になればあなたは幸せに生きることができるだろう。

 

 テクノロジーの話題からそれてしまったが、しっかりと日々思考していくようにしよう。

 

これからどうなっていくか

 テクノロジーの発達によって、今後どうなっていくかは予想できない。

 

 これまでの歴史と違い、人間が労働から解放されるかもしれない。

 

 もしくは、さらに人間がやらなくていい仕事が増え、働くことに対する意欲が下がってしまうかもしれない。

 

 どのような世の中の流れになったとしても、世界は続いていくことに間違いはない。

 

 どんな流れになろうと重要なのは、しっかりと物事を考えることである。

 

 そして能動的に動いていくことである。

 

 この2つの行動が取れれば、仕事が奪われ、意味のない仕事をする可能性は低くなるだろうし、人生はよりより一層ハッピーになることだろう。

 

 今回扱った記事はやや極端な内容ではあるが、今後の世界の流れを考える上で、参考にすべきものであると思う。