なぜ少子化が進んでいるのか?と聞かれれば、ライフスタイルの変化と答えるのが一般的だ。高度経済成長やバブルの時とは違い、生活に余裕がない。そんな状態で子育てをするには莫大なコストがかかる。
ゆえに子供を持つことは割に合わない。そういう考えが支配的になり少子化が進んだ、というが数ある答えの中の一つである。
しかし、それだけではないのだ。自然の減少という一見子育てとは無関係な現象が少子化に影響を与えているのだ。
果たして自然の減少はどのようにして少子化に影響を与えているのか。
都市化と子供の性質
都市化ということは、根本的に子供を育てることに反するからです。子供は自然です。そして都市化するということは自然を排除するということです。脳で考えたものを具体的な形にしたのが都市です。自然はその反対側に位置しています。つまり子供は都市から排除される存在なのです。-『超バカの壁』-p.73~74より引用
注目なのは「子供は自然」ということである。子供というのは大人たちの思った通りには動かない。それは電車の中や街中を歩いていればよくわかることだ。
必死に子供をあやして、泣くのをやめさせようとしている親はいるが、うまくいかないのが実情だろう。
自然だって本来は私たちの思うようにはならない。それは自然災害などが起きることによって強く実感する。
私たちの思うようにはならないのが子供であり、自然なのだ。それにも関わらず私たちはそのような自然の摂理に反することをする。
それが都市化なのである。都市化というのは当然のことながら、自然を排除する。本来は人間の思うようにはならないもの、つまり自然を都市化という人間の望む姿に変える。
このようにして自然は排除されていくことになる。私たち人間は自然という不完全なものを完全なものに変えているのだ。
そのようなことを考えると、子供という自然と同じ性質をもった存在が少なくなっていることは納得できる。
完全性の実現と人間の思考
都市化を進めるというのは完全性を求めることを意味する。建築物に欠陥があってはいけないし、それがあろうものなら大事故に発展する可能性がある。
エスカレーターやエレベーターがいきなり止まってはいけない。自動ドアが自動で開かないのはけしからん。信号が「自分の意思」で赤になったり青になるのはシャレにならない。
私たちは普段あまり意識していないけれど、日々利用している公共物は完全性というものをフル稼働させているのである。そのような環境に私たちは慣れてしまっている。
(だからこそ電車が遅延したりすると過剰なストレスがたまるのだが)
常に自分の思ったとおりになる環境、モノに囲まれて生きていれば、必然的に私たちの思考も完全性を要求するものになる。
私たちが日々考えていることと目に見える環境は全く同じなのだ。私たちの思考は日々完全性を実現するものになっている。
完全性の思考と子供の存在
今まで書いてきたことから、私たちの思考と子供の存在というのはある意味でミスマッチであることがわかるだろう。それゆえに少子化が進んでいるという見方もできるのだ。
子供が泣いているのに露骨にキレている親を目にするが、完全性を要求する思考になっていることを考えれば、当然の結果だと言えよう。確かに仕事のストレスなどで子育てがうまくいかない、自分の自由な時間が全然とれないなどいろいろ理由はあるだろう。
しかし、それらを考慮しても完全性を要求する思考が子育てを煩わせるのである。子供はスマホのように操作してうまくいくものではない。
子育てはネット社会のように、自分にとって必要のない情報を切り捨てることはできない。良いことも悪いことも全て受け入れなければできないものである。
が、日々自分の望むように動く機会や環境に慣れきっているがゆえ、そのような重要な本質を忘れているのではないか。