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パワハラや違法残業のないブラック企業

 やっかいなブラック企業とはどのような企業なのだろう。私の会社で働いた経験からそのことについて書いていく。

 

 需要があるかはわからないが、ブラック企業ネタである。日本では今もブラック企業に苦しんでいる人もいるだろうと思う。露骨な上司のパワハラ、違法な残業…、他にもあるだろう。

 

 なので日本の会社なんてそんなもんだろと斜に構えるのがいいだろう(そんなこと言ったら泣き寝入りしなければならないのだが)。

 

 やっかいなブラック企業とは何なのか。

 

 

 

やっかいなブラック企業とは

 やっかいなブラック企業とは一見しただけではブラックな状態だとわからない企業である。これだけだと何を言っているのかわからないのでもう少し具体的に述べていく。

 

 誤解を恐れずに言うと、露骨なパワハラや違法な残業を堂々とやっている分にはまだ労働者にとってはマシなのである。なぜならすぐに対策を講じることができるからである。例えば会社を辞めるなり部署を変えてもらうなり、レベルの高い人だと法的手段に出たりと。

 

 すぐに「やるべきこと」が明確になるのだ。

 

 一方で私が主張する、一見しただけではブラックだとわからない企業はこのようなことがないのである。つまりパワハラもなければ違法な残業もない。「だったらそれは平凡な企業じゃないか」と思う人もいるかもしれない。

 

 

 私の過去記事を読んでもらえればその意味がわかるだろう。

www.penserblog.net

 

www.penserblog.net

 

 驚くほどにパワハラや違法な残業がないのである。まあそのような会社に就職した自分に非があるのは最もだが。

 

 しかし、一週間ごとに生活リズムが変えたり、仕事の内容が本来のものと著しく異なっていたり、様々な問題が降りかかってくるのだ。

 

 確かに働く前にある程度わかっていたことはある。生活リズムが一週間おきに変わることとか(早朝→昼→夜勤なので)。だが、それ以上にいろいろなブラックな環境に身を侵され神経が徐々にすり減っていくのである。 てかそういう生活って実際に経験してみないとわからない部分があるんだけどね。

 

 だがそれ以上にやっかいなことがある。それを次に述べる。

 

企業はブラックだと思っていない

 だからこそである。だからこそ「一見ブラックでない風」のブラックな労働環境を実現させることができるのである

 

 平然と労働者を不確実な労働環境に置き、仕事の内容とはおおよそかけ離れた業務をさせることができる。で、労働者を最大限にこき使える。

 

 言葉の使い方が適切ではないが、資本家と労働者の間でwin-winな関係が成立しているのだ(ぜんぜんwinではないのだが)。

 

 ここで気付く人も出てくるだろう。「そんなブラックな労働をさせられたら一人や二人くらい労働者はブラックだとわかるんじゃないか」と。

 

 そうなのだ。まさにそうなのだ。だが彼らは自分の運命を変えることを諦めた人間なのだ。おかしいとは思いつつそれに抗議せず、行動に移さず、あるがままの状況を受け入れてしまった人なのである

 

 

 あるいはそれがブラックだと感じないほどに無教養なのだ。自分が何をされているのかをわからないでいる。堀江貴文氏の『多動力』に「教養なきものは奴隷になる」と書かれていたが、本質を突いた言葉だと言えよう。

 

 ブラック企業とは狡猾な資本家と無知な労働者の関係で成立するものなのだ

 

あなたが「やっかい」なブラック企業に気づくためには

 どうしたらそのようなやっかいなブラック企業に気づくことができるか。それはあなた次第だ。と言われたらどうすることもできないんだが 笑。

 

 なので気付くための方法としては「何かがおかしい」と感じるかどうかである。露骨なパワハラや違法な残業がない。だけど何かがおかしいと感じたらそれは「ブラックじゃない風」を装うブラック企業である可能性が高い

 

 その「何かがおかしい」という感覚が一週間、一か月と続くようであれば、あなたは行動に移さなければいけないかもしれない

 

 では「なにかがおかしい」と感じる感性はどのように身につければよいのか。確かにインスピレーションが働いてそれに気づく人もいるが(私がそのタイプ)、もっと実践的に身につけたいと考える人もいるだろう。

 

 それは知性を身につけることだ。知性と言っても何も学校のお勉強や受験を頑張れということではない(それを今やっている人はがんばってほしいが)。もちろんそれが手っ取り早く身につける方法なのだが、それらに限ったことではない。

 

 例えばテレビやネットの記事を漫然と受け身で読むのではなく、批判的に読むだけでも「なにかがおかしい」と感じる感性は養うことができる。

 

 別に「読む」という行為だけではない。町を歩いているだけでも批判的な思考を養うことはできる。「なぜ雨が降っているのに傘をさしながらスマホを操作する人がいるのだろう。マルチタスクって効率悪くないか」や「なぜビジネスパーソンほど駆け込み乗車をするのか」など。

 

 これらのことは都会で生活していないとなかなか難しいことだと思うが都会に生きている人はぜひそのような批判的な思考を養っておいたほうがいい。

 

 地方に住んでいる人ならば田舎特有の村八分や自分の住む町の問題点などを考えると批判的思考、というか「なにかがおかしい」と感じる感性を身につけることができるだろう。

 

 最も重要なのは日々思考をするということだ

 

 one of themに成り下がるな!!