Sakuはゆるく生きる

外国語系の記事が多くなりそうです。

「ウサギとカメ」の話を真に受けとめるのは思考停止

 「ウサギとカメ」の話は誰でも聞いたことがあるだろう。ウサギとカメが競争してカメが勝つアレである。

 

 なんでこんな話をブログのネタにするかと言えば、現代において「ウサギとカメ」について考えることは私たちが思っている以上に重要だからである。

 

 ただ単にカメがコツコツ努力してウサギに勝ったというそんな単純な話ではない。そのようなことを述べていこう。

 

 

 

カメにとって条件が不利すぎるウサギとの戦い

 状況を考えてみれば「ウサギとカメ」の戦いはカメにとって条件が不利すぎる。まずフィールドだ。陸上でウサギと競走なんかしたらカメは勝てるはずがない。カメは水中での活動がメインなはずだ。

 

 よくよく考えてみればこれは当たり前なのだが、多くの人はこの事実に無思考になっている。まずフィールドにおいてカメは不利な状況に置かれている。

 

 次に種目である。陸上での移動はカメにとっては困難だ。それなのになぜそのような状況で陸上での移動が圧倒的に得意なウサギと競走をするのだろうか。

 

 

 陸上では移動速度が遅いカメ、かたやスピーディなウサギ。こんなのどっちが勝つかなんて誰でもわかるだろう。

 

 ごく普通に勝負をすればウサギが勝つはずである。もしウサギが休憩という「職務怠慢」を起こさなかったら(適度な休憩であったなら)当然ウサギが勝っていたはずである。

 

 にもかかわらずなぜかカメの「諦めないコツコツした努力」によってカメが勝利した、みたいな話になっているが、全然違うのだ。

 

 カメに勝利をもたらした要因はカメの「コツコツ積み重ねた努力」ではなく、ウサギの「職務怠慢」によってである。

 

 大事なので繰り返し言うが、ウサギが途中で休憩しないで普通に突っ走っていたらカメに「コールド勝ち」していたはずなのだ。「陸上で競走」というウサギにとって圧倒的に有利な条件なのだから。

 

現在の日本も「ウサギとカメ」のようなものだ

 考えてみれば日本も「ウサギとカメ」のようなものである。働き方が多様化した現在、稼ぐ手段も同時に多様化している。それなのになぜか未だに会社勤めか公務員の二者択一的な教育(という名の洗脳)が行われている。

 

 当たり前だが全ての人が会社勤めや公務員という組織に適応できるわけではない。デスクワークが苦手な人もいるし、人間関係を形成するのが不得意な人もいる。8時間拘束されるのが嫌な人だっている(これはかなりいるはずだ)。

 

 そのような人たちがコミュ力が高くてデスクワークが得意で拘束されるのをいとわない人、要するに学校生活が向いていた人たちと勝負したら勝てるはずがない。

 

 本来であれば自分の得意なフィールドで勝負して生活し、生計を立てるのが最善の行き方なのにそのような生き方がまだ主流になっていない。

 

 

 だから私たちは「あるがままの心で生きられない」のだ。そして「誰かのせいにして過ごしている」日々を送っている。

 

 世の中にはスポーツが得意な人もいれば絵を描くことが得意な人もいれば手先の器用な人もいる。歌が得意な人だっている。本来人にはそれぞれ特有の能力がある。それなのに組織に適応させるような教育を行なうのは間違っているのではないかと思うのだ。

 

 これではやっていることが「ウサギとカメ」と同じである。持っている能力が違うのにどちらかに有利な状況下で(つまり組織の中で生きるのが得意な人)、勝負をさせるのは明らかにアンフェアである。

 

カメがウサギに競走で勝つためには

 なんか前の章との整合性があっていないのだが(というか文字攻めしてアクセス数を増やしたいという私の欲望で)、ではカメがウサギに競走で勝つためにはどうすればいいのか

 

 フィールドを変えることである

 

 陸上で競走はカメにとっては圧倒的に不利である。だったらカメが得意なフィールドで競走をすればいい。もちろん対戦相手のウサギとの合意が必要であるが。

 

 それは水中だ。水中ならばカメは本来の力を発揮することができる。もう陸上では考えられなかったほどのスピードでウサギを追い抜くことができる。そうなれなカメが「コールド勝ち(個人競技でコールドとかないのは承知している)」することができる。

 

 いや、そもそも水中戦だとウサギはゴールすらできず生命の危機を考慮して棄権するだろう。もし水中でまともに勝負なんかすると溺死してしまう。なので途中棄権するしかない。

 

 水中でウサギとカメが競走をしたらカメが不戦勝という結果になるのだ

 

 まさにブルー・オーシャン戦略である(ちょっと意味違うけど!)

 

 

 ただこれは自分の弱点を知らないアホなウサギでなければ成り立たない勝負であるが。

 

ウサギの休憩は適切であったか

 ウサギは途中で余裕をぶっこいてガチな休憩をした結果、カメに負けてしまった。ではその休憩という行為自体は間違っていたのだろうか。

 

 否である。

 

 休憩なしで突っ走ったウサギを考えてみよう。いくらウサギといえども休憩せずに走っていたら、疲労困憊になりペースが落ちてそれこそカメに敗北していただろう。

 

 ゆえに休憩は、ウサギにとっては勝負で勝つための戦略のうちの一つであったのだ

 

 そう考えるとウサギは実は賢明であったといえる。「いくら自分に有利な勝負であっても調子にのって突っ走りすぎたらカメに負けてしまう」。ウサギはそう考えていたのではないか。調整に余念がなかったのだ。

 

 しかし、休憩に多くの時間を使ってしまったのがいけなかった。ペース配分を誤ってしまったのだ。突っ走りながらも適度な休憩をとってカメに勝利していれば、ウサギは今頃立派なビジネスモデルになっていただろう。

 

 しかし不幸にもその計画が失敗し、結果として「カメのコツコツ積み重ねた努力が実を結んだ」という間違った考えが広まってしまったのだ。まさに二次災害(!?)である。

 

「ウサギとカメ」の話から学ばなければいけないこと

 「ウサギとカメ」の話から学ばなければならないことは自分の得意分野で勝負しなければ、圧倒的に不利な状況になってしまうということだ

 

 ニートが言うのも説得力がないが、これはビジネスにも当てはまるだろう。自分の得意分野で勝負するか、それとも「カメが水中でウサギと競走すれば勝てる」というように自分の得意なフィールドで勝負するというのが、自分の今の状況を優位に進めるための戦略であろう。

 

 間違っても陸上でウサギと競走をするカメになってはいけない。そうなってしまったらウサギが「職務怠慢」を起こさないと勝ち目がないのだ。そのような状況でコツコツコツコツ努力をしても報われる可能性の方が低いのだ。

 

ここまで書けばわかるだろう。「ウサギとカメ」の話はコツコツ努力したら最後は報われるというものではないのだ。コツコツ努力してもそのことに勝算がなければ苦労が水の泡に終わるのだ。

 

 重要なのは自分は何に興味があり、何が得意なのかを把握することである。それと同時に自分の弱みというのもしっかりと把握することだ。

 

 こう書いてみると「ウサギとカメ」の話ってとても重要ではないか。現代にも通じるビジネス書である。下手な自己啓発の本を読むよりこのような「古典」を読んでいったほうが何十倍も役に立つのだ。

 

 最後に言っておくが、別にコツコツ努力することが間違っているわけではない。自分に向いてないこと、不得意なことをコツコツやっても結果は思ったほど出ないということを言いたいのだ。

 

 逆に自分の得意分野の努力をコツコツ積み重ねていけば、とんでもない力になるのだ。

 

 ニートな私は自分の強みを把握できていない。←