例年通り渋谷がハロウィンで大変な状態になったらしい。やんごとなるパリピが軽トラひっくり返したというニュースを見たんだが、力すごくないか。
「一億総活躍社会」においてふさわしい人材である。ま、「魚は頭から腐る」という言葉があるように国家の権力者たちが腐っているのでこういうことが起こるのだろう。
若者が暴れるのは決して偶然ではない。あと、不思議なんだがこういう「事件」が起きている時って必ずカラ館がテレビで映るんだが、偶然か?
ということでハロウィンの暴徒化についての私見を、一般論→必ずしも若者だけに責任があるわけではないという流れで書いていこう。
ルールを伝えよう
そもそも明確なルールが明文化されてないからこういうことになってしまう。いくら「楽しもう!」と言ったって、具体的に何をして良いのか、何をしたら悪いのかをはっきりさせないとパリピな人たちは張り切ってしまう。
私がもしパリピなら(見た目は全然パリピではないが、考えていることはパリピかもしれない。というかアナーキーである)、具体的なルールを知らぬまま聖地渋谷にハロウィンイベントに行ったもんだったら、それはもうアナーキーぶりを発揮し、この国の権力者たちの罵詈雑言を酒を飲みながら言い放ちまくるだろう。
国民の税金使って好き勝手使ってんじゃねーよ!
おい、報ステではアツモリが人気だが、カケモリはどうした!?説明なしか!?
カケモリ!!!!!(報ステ風)
軽減税率の基準とかまじわかりずれーよ!!てめーら働く側の立場になってみろよ!馬鹿か!タコ!!
何が「一億総活躍社会」、「生産性革命」、「働き方改革」だ!平成も終わろうとしているのに戦時中とか昔のソ連とか中国みたいなキャッチコピー考えてんじゃねーよ!あほが!!そもそも働きたくない人だって世の中に一定数いるんだよ!考えろタコ!反知性主義が!
こんな具合に。(文字のサイズをデカくしたら思った以上に書体が過激になったから、文字を大きくするのはやめた)
いや、私が知らないだけでハロウィンイベントin渋谷にもやってはいけないことに関するルールは存在していたかもしれない。というかさすがにあっただろう。
しかし、それが伝わっておらず、このような事態になったのではないか。もっと世間にはっきりと伝えなければイベントに参加する当事者だってわからないのだ。
しかも渋谷でハロウィンとかかなり規模の大きなイベントである。ルールをはっきり伝えることは非常に重要である。
「伝えなくてもわかるっしょww、日本人は言わなくても相手の言っていることがわかる文化があるからモラルを無視した若者たちが悪い」と主張する人がいるかもしれない。
それは全くの間違いだ。言わなければわからない。確かに日本人はそのような能力はあるかもしれない。だが、それを過信しすぎると今回のような(というか例年)結果を招いてしまうのだ。「初めに言ありき」なのだ。
しっかりとはっきりと具体的にルールを伝えなければ相手だってわからないのだ。
だからルールを設けたらはっきりと具体的にイベント当事者に伝えなければいけないのだ。
参加する人のモラルの低下
これも一般論である。だが、モラルの低下は深刻な問題であろう。
暴れまくり、街にゴミを出してしまうというのは仕方がないのかもしれない。それに日本という国だ。ただでさえ働く環境が劣悪な職場が多いので、多少のストレスがたまり、その鬱憤をこういうイベントで晴らしたいという心理もあるだろう。
だが、さすがに軽トラをひっくり返したり、警察官にギャクギレするのはまずい。何の理由もなしに警察のお世話にはならないのだ。
そういうわけで確かにルールをはっきりと伝えることは大事なんだが、それでも聞く耳を持たない者も一定数存在する。
そのような聞く耳を持たない人たちの心ない行動によってイベントが悲劇へと変わってしまうのだ。
なにより被害を食らうのは労働者である。飲食店やカラ館(テレビに映っていたので)のクルーもやべーぐらい大変だっただろう(というか私、カラ館でバイトしたことあるので、やばいときの状況はなんとなくわかるんだが、ドリンクのオーダーのピーピー鳴りやまないアレはまじエグイ)。
労働者の大変な状況を無視して暴れまわるのはいかがなものなのかなと思う。というか日本人ってこういう飲食店などで働く労働者に対するリスペクトがあまりないような気がする。
若者に限らずビジネス―パーソンでもちょっとオーダーが遅いと店員にキレるのを目にするんだが、日本という国は果たして健全なのであろうか。
人は生来刺激の求める生き物
ここからは必ずしも若者だけの責任ではない論である。いろいろ参加者に対する否定的なスタンスを述べてきたが、だからといって若者だけに責任を押し付けるのは酷である。
軽トラひっくり返したのはさすがにまずいが。
そもそも論だが、人間というのは刺激を求める生き物である。「いや、そんなことはない!」という人ももしかしたらいるかもしれないが、刺激の一切ない生活なんてありえないだろう。
刺激なしに野球やサッカーやテニスや音楽をやっている人なんていないだろう。何の刺激も求めずに海外旅行する人なんていないだろう。ハロウィンのイベントだってしかりである。
何らかの刺激を喚起させるものである以上、刺激を求めるパリピが出てきても仕方がないのだ。というかもっと言うと、資本主義経済なんて人々の刺激を喚起させないと回らないシステムになっている。
したがってそのようなイベントを「一部のパリピが暴れるから中止!」ということにさせてしまうと、この国の経済が潤わなくなってしまう。
文明というのは人類の刺激によって発展してきたのである。なのでどんなことにも刺激はつきものであり、必ず何らかの問題は生じてしまうのである。
そこをどうするかが重要なのだ。
正直大人たちにも責任がある
テレビやネットを見れば、大人たちがしたり顔で「若者のモラルが低い」だの、「逮捕者がもっと出ていい」だのと主張している。
だが、何の理由もなしに聖地渋谷で暴れることなんてない。確かに盛り上がっているうちにだんだんテンションが上がっていき、結果歯止めがきかない事態にはなってしまったことは推察できる。
だが、実のところ、若者たちは大人たちにフラストレーションが溜まっていたのではないだろうか。
電車に乗っていれば、スーツを着たビジネスパーソンがイラついた顔でスマホをいじっているし、テレビをつければ会社や公務員、政治家、官僚の不祥事、&その謝罪会見。こんなのを見せつけられればムカつかないはずはないだろう。
それに改善されない労働環境、したり顔で「一億総活躍社会!!」と叫ぶ政治家、そのくせに国民の生活を豊かにしようとはつゆも考えない。こんな状況ではどこかで鬱憤を晴らしたいという気持ちになっても仕方がないように私は思う。
結局のところハロウィンの暴動というのは社会に対するストレスを晴らすという形で体現されたのではないだろうか。
何度も言うが何の理由もなしにこのようなことが起こるのはあり得ない。必ず社会においてなんらかの問題があるから「事件」が起こってしまう。
そしてその責任というのが、実は大人たちにもあるのである。だとしたら、優雅に若者を非難することは全くのナンセンスである。