『多動力』は去年出版された堀江貴文氏の著書である。堀江氏の主張については賛否両論あると思うが、私は彼の考えや主張については共感する。
『多動力』は重要なエッセンスが詰まった本である。その中からとりわけ私が共感した点を述べよう。
1.電話をかけてくる人間とは仕事をするな
まずはこれ。1番共感したと言ってよい。
私も電話の存在についてはかねがね疑問を抱いていた。これほど非効率な連絡ツールがどうしてビジネスの場で「マナー」として平然とまかり通っているのか。
いくら電話をかけても相手が出なければまず情報伝達として成立しない。というか、一発で成立しないことの方が圧倒的に多い。
そうなるとすることは「折り返し電話」である。だが、それも相手が出なければ情報伝達として成立しない。これも「すれ違い」が生じることの方が多い。
結局情報1つ伝えるのにムダな時間を要することになる。たかだか情報1つ伝えるのになぜこれほど非効率な段階を踏まなければならないのだろうか。
実は私が前職でもろに被害を食らった。私の直属の上司がとにかく何でも電話で伝えたがる人であったのだ。もうとにかくさして重要でもない事務連絡ですら、電話で伝えようとする。
「○○を確認いたしましたので連絡いたしました。折り返しお電話よろしくお願いしまーす。ガチャ」
私は電話に出られない環境にいる場合(飲食店とか電車の中とか)、無理に電話には出ない人間なので、「すれ違い」は数多くあった(それが間接的に怒りを買ったかもしれない)。
私がかけ直すと、今度は相手が出ない。結局どうでもいい情報を得るのにめちゃくちゃムダな時間がかかることになった。
なぜ相手はこのような事態になることが想像できないのか。そう思わずにはいられなかった。電話をする以上、情報を伝えるのに少なからず困難を伴う。これは少し考えれば容易に理解できる。
だが、相手はわからなかったのだ。しかもこういう人に限って労働時間外に予定を入れているのだ。19時から打ち合わせとか。しかも会社の経費で飲食店を利用する。
残業代+会社の経費。もう迷惑でしかない。それなのに正社員としてのうのうと生きられるのである。しかも(2回目)、やたら意識高い系でリア充を装っているので本当に困ったものである。
話がそれまくってしまったのでもとに戻そう。電話をかけてくる人間はえてして想像力が欠落しているのだ。そして相手の時間を奪っているという意識がない。
そういう意味で電話をかけてくる人間と仕事をしてもムダな時間を食わされるだけである。
ただ、誤解のないように言っておくが、私は電話を完全否定するつもりはない。いや、ビジネスでも状況によっては電話をしなければいけないときもある。
それは緊急事態の時だ。例えば医療現場などで患者の情報を迅速に得たい時などはむしろ電話でなければならない。メールなどでは相手が気付くかわからないし、その間に患者が死んでしまったら、もうどうすることもできない。
なので一刻も早く情報を得たい時は電話を使うべきだと思う。他には大学生はビジネスマンあるあるだが、居酒屋に今すぐ行きたいとして、その店の混雑状況を確認することである(ただし予約はネットですべし)。
これもメールではかえって手間がかかる。なので今すぐ情報を聞きたい時には電話は有効である。
他にはビジネス利用ではなくコミュニケーションツールとしても電話は必要だと思う。家族や彼氏彼女の声を聞きたいという気持ちはわかるし、それは相手の失礼にならない程度にやればいいだろう。
とにかくさして重要でもない事務連絡ですら電話で伝えようとする人とは距離を置いた方がいい。そういうわけで堀江氏の「電話をかけてくる人間とは仕事をするな」という考えに共感した。
2.教養なき者は奴隷になる
現代ではインターネットの影響で情報が腐るほどあふれている。腐るほどあふれているということはその情報が正しいかどうかを判断する知性がなければいけない。
知性がなければ誤った情報を信じてしまい、誤った人生を歩むことになる。それゆえに教養を身につけることは非常に重要である。
堀江氏は教養のことをこのように言っている。
教養とは、表面的な知識やノウハウとは違い、時代が変化しても変わらない本質的なことを言う。『多動力』p.117より引用
しかし現代では実に多くの表面的な知識やノウハウがあふれている。教養がなければそのような情報に踊らされて、本質が見えなくなってしまう。
自分の人生を間違った方向に行かせないように正しい知識を獲得することが重要である。
3.永遠の3歳児たれ
これはどのようなことを言っているのかというと、3歳児のようにあらゆることに好奇心を持てということだ。3歳児というと、色々なことに興味を持ちすぎて周りを心配させたりする。
そんな風に3歳児のごとく、いくつになっても好奇心を持ち続けなければいけないのである。
しかし、私たちは学校や社会で「やりたいこと」よりも「やらなければいけないこと」をやるように矯正されていく。『多動力』p.202
そうして遊ぶことを忘れて老いて枯れていつしか「全力少年」ではなくなってしまい、このような政治家のようにヘマをやらかすことになってしまう。
というのは冗談だが。別の意味で「全力少年」だが。
いくつになっても絶えず好奇心を持つことは大切である。日々いろいろなことにアンテナを張り、それを調べたりすることによって、新鮮な気持ちになるのだ。
こういうスタンスで生きていれば、会社の人間関係の悩みなんてちっぽけなことに感じるようになるだろうし、パワハラをする人間なんてしょうもなく思えるようになるだろう。
というか、自分がいかにくだらないことに悩んでいたかに気づくはずである。
したがって3歳児のように色々なことに興味を持つことは大事。