現代において最も無敵だと思うことは何だろうと考えた時、それはモノ(実体的なモノ、バーチャルなモノ関係なく)を持たないことだと私は考えた。
桜田サイバーセキュリティ、五輪担当相はサイバーセキュリティの担当でありながら、パソコンを使わないと言って世界に波紋を広げた。
で、どこのメディアかは忘れたが、「パソコンを使わない以上、ハッキングされることはない」みたいな報道をした。
私はそれを聞いて「確かに!」と思った。パソコンを使わない以上ハッカーがパソコンをハッキングすることなど不可能である。
パソコンを使わないというのは、モノを持たない例とは若干違うが、盗むことができないという点では同じである。
持たないことは強い。
なぜモノを持たないことは最強か
もう最初に答えみたいなものは書いてしまっているが、モノを持たない以上、ヌスットは何も盗むことができない。
クレジットカードを持っていない人は個人情報を盗み取られる可能性が低いので金を口座を狙われ、金を盗まれる心配はない。
ラインのアカウントを持っていない人はその情報を盗まれる心配がない。
Gメールや携帯のメールアドレスを持っていない人はその情報を盗まれる心配はない。
金を持っていない人から金を盗むことはできない。
パソコンを持っていない、使わない人からパソコンを盗むことはできない。使っていない以上、その情報をハッキングすることなど不可能である。
そう、私たちはあらゆるモノさえ捨て去ってしまえば、平和な生活を送ることができるのだ。
何も持たないことは最強である!!!
では何もなしに生きていくことは可能であるか。
文明に抗うべきか
もし何も持たないことが最強であるなら、あらゆるモノを捨て去れば最強になることができる。
ではそのような生活を送ることは可能なのか。
理論上はそのような生活を送ることはできる。スマホもパソコンもクレジットカードもテレビもなかったところで死ぬわけではない。
だが、日本で暮らすとなると、もはや死に等しい生活となる。いや、日本だけでなく他の多くの国々でも生活するうえでも様々な不利益を被ることになる。
自給自足的な生活を送ることができるのは未開の文明だけである。
私たちはテクノロジーの恩恵を拒絶して生きていくことはできないのだ。テクノロジーを拒絶するのではなく受け入れて、共存して生きて行かなければならない。
モノを持たないことは確かに最強である。だが、だからと言ってあらゆるモノを拒絶してしまってはもはや生活を維持することはできない。
持っていると最強なモノ
では逆に持っていると最強なモノは何か。
それは知性である。教養や知識と置き換えてもよい。
知性は生きてうえで必要不可欠なモノである。これがなければ生きて行くうえでかなりの不利益を被ることになる。知性があるかないかで収入や、いやらしい話、社会的な地位も変わってくる。
知性を持つことは人生において圧倒的なアドバンテージとなるのだ。
知性は誰も盗むことはできない(現段階では。もしかしたら「知性を盗む」というSFみたいなことが起こるかもしれないが、その時はワロウしかない)。
したがって鍛えれば鍛えるほどにそれが蓄積されていき、気づくと人生においてかなりのアドバンテージがつくのである。
しかしこのことの重要性に気づいている人はどれくらいいるだろうか。
私たちはどうしても日々目先の欲望に支配され、惰性に身を任せる生活を送ってしまう。だが、これでは周囲との差をつけることができない。
かくしてサイレントマジョリティーとなってしまう。
だが、1日30分でも読書なり勉強なりに充てれば、1年たてば大きな差となる。
知性は最強である。
知は力なりである。