『ドラゴン堀江』という企画がある。若手タレントを半年の受験勉強で東京大学に合格させようというモノである。
当然その企画自体にはかなり賛否両論が出ている。で、おそらく否定的な見解の方が多いように思える。
確かに半年の受験勉強で、しかも東京大学に合格というのはいくらタレントの学力水準及び勉強のポテンシャルが高くても難しいかもしれない。
ただそういう意見がネットで腐るほどあるので、賢明なる意見については彼らに任せよう。
私は無謀かどうかという観点ではなく、別の点から『ドラゴン堀江』というものを考察していきたい。
そういえばAKBの前田彩佳さんも90日でマーチ合格!みたいなことをやっている気が。まあいいや。本題に入ろう。
前例のないことに挑戦することは素晴らしい
テレビ番組の企画なども含め、「芸能人が東大に合格」みたいなことはいまだかつて起こっていない。センター試験ですら、突破したという話は聞いたことがない(私が知らないだけかも)。
そういう意味では「半年」で「東大に合格」というのは革命的であり非常に素晴らしいと私は思う。それでもし合格したら「受験は長期間でやるもの」という常識が崩れ去り、新たな考えが出てくるであろう。
仮に合格できなかったとしても、企画に挑戦したタレントの人たちは何らかの恩恵を受けると私は思う。それはゴールデンの時間にやっているクイズ番組などを見ればよくわかる。
どういうことかというと、クイズや知識問題は純粋に学歴があっただけでは解くことができない。膨大な知識量がある程度ストックされていないとできないのだ。
そういう点を考えれば、知識があった方が勝てる可能性は高い。東大受験で培った学力はそこで大きく発揮されることだろうと思う。
したがってもし合格すれば、これまでの受験の常識が崩れ去ること、仮に合格できなかったとしても何らの恩恵があることを考えれば『ドラゴン堀江』の企画非常に画期的である。
前例のないことに挑戦することは大きな意義があるのだ。
「高学歴タレント」のレベルが上がっている
「東大ブランド」を獲得すれば大きな恩恵を受けるということは逆に考えると、東大より下の大学ではあまり差がつかないという問題に直面する。
ひと昔前では芸能人でmarchレベルの大学を出ていればそれなりに需要があった(ような気がする)。早慶なぞ出ていたらもうイケメンであった。
オリラジや小島よしおなどはその例であろう。あとはくりいむしちゅー(彼らは中退だが)。
しかし今やテレビをつけると東大卒(あるいは在学中)のタレントが出まくっている。そしてクイズ番組などで遺憾なくその力を発揮している。
もうマーチや早慶レベルでは「芸能人の市場価値」としては突出しないのだ。
で、昨今は推薦入試やAO入試の拡大などによって、必ずしも学力が高くなくても私大に関しては入れるようになってきている。
確かに東大も推薦を始めたが、それでも依然高い学力が要求されるのは変わらない。
そういうことを考えてみても「東大ブランド」の価値はむしろ高まり、他の難関大学の価値は相対的に下がってきているといえる。
したがって「高学歴タレント」の「東大ブランド」の価値は突出しているのである。
『ドラゴン堀江』は計画力の重要性を私たちに示す
半年で東大に合格するかはわからないが、それ以上に重要なことがある。
それは計画を立て実行することの重要性である。受験は(受験に限らず社会では)限られた時間で最大限の結果を出さなければならない。
ということはどの分野を重点的にやらないといけないか、とか記述式なのかマークなのかなど傾向に応じて綿密に戦略を立てなければいけない。
半年という期間ともなるともうほんとにピンポイントで試験範囲をこなさなければ点数を取ることができない。
ということは長い期間だらだらやるよりもどちらかと言えば短期間で成果を残すという行為の方がより一層頭を使うということになる。
これは社会に出てからなども同じことが言えよう。会社勤めでも公務員でも会社経営でもフリーランスでも、限られた期間で成果を残すほうが社会から信頼されるだろうし、社会的ステータスや収入でも大きな差となりだらだらやる人との格差が生まれるだろう。
それゆえに短期間で成果を上げる計画というのは非常に重要なのである。
「資格はクソ」は人によりけり
『ドラゴン堀江』の企画の中で堀江氏は「資格はクソ」と言っていた。
これはある人にとっては「クソ」であり、またある人にとっては「そうではない」と私は考える。
ある人にとって「資格はクソ」とはどのような状況において生じるのか。それは自分の考えをもたずに、周りの人間が取得しているからという理由で盲目的にその資格を取ることである。
最たる例はTOEICであろう。TOEICは就活においてかなり力を発揮する。なのでハイスコアを取るに越したことはない。
しかしさして英語に興味がなくただ周りが取っているからとかシュウカツに有利だからという理由で受けたとしらその効力はゼロであろう。
そういうタイプの人はいったん高い点数を取った時点でだいたい英語の学習を辞めてしまう可能性が高いのではないか。
ある人にとって「クソ」とはそういう場合である。
一方ある人にとって資格を取ることが「クソ」ではないというのは純粋に、TOEICの場合で考えて見ると、その分野の力を伸ばしていきたいという場合である。
将来英語を使って生きて行きたいと考えてTOEICでハイスコアを取るならそれはその人にとって大きな恩恵をもたらすであろう。
弁護士や医者の資格もそうである。「食えるから」ではなくその職業に強い憧れがあれば、その人に恩恵をもたらすだろうし、人生に実りをもたらす可能性が高いのだ。
なので資格はクソというのは人によりけりなのである。
以上が『ドラゴン堀江』の企画から考察したことである。「無謀だ!」などと考えるのではなくいろいろそこから学習してみると何らかの発見があるのだ。