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文科省が絶望的存在である3つの理由と絶望しないための対策

 ネットの記事を見ていたらまた文科省が問題を起こしたらしい。

 

www.asahi.com

 

 人によっては「またか」という意見を持つ人もいれば、怒りまくっている人もいるだろう。

 

 1番望ましくないのは「文科省だから仕方がない」というニヒリズムを人が持ってしまうことだと思う。

 

 「政治家だから不祥事はよくあること」、「官僚の不祥事なんて不思議ではない」。

 

 こういうふうにあきらめモードになると、彼らはそれをいいことに暴走し、私たち国民からあらゆる自由をはく奪するだろう。

 

 そうなってしまわないためにも私たちは絶えず権力者に対しては厳しく見ていかなければならない。

 

 では本題に入ろう。

 

 

 

1.あまりにも多い不祥事

 文科省に対する絶望はまずあまりにも多い不祥事である。天下り、金銭問題、その他もろもろこれでもかというぐらいに不祥事が多い。

 

 別に文科省に限ったことではないが、日本の教育のトップがいちいち不祥事を起こしていると不信感が強くなるのは言うまでもない。

 

 日本の教育のトップがこうだと国力が低下する。

 

 

 教育は国家にとっては最大の投資である。そのトップがおかしいから今日本が乱れているのではないだろうか。

 

2.いびつな思想統制と生徒の生活管理

 詳しくは下記の記事を参照していただきたい。

www.penserblog.net

 

www.penserblog.net

 

 詳しい内容は上記の記事に書いているのでここでは省略するが、ここ数年になって、やたらと国民に対する思想統制などが強くなっている気がする。

 

 考えるに、なぜこのようなことをするかと言うと、やはり国家に対して反抗的な国民は都合が悪いのだろう。

 

 そもそも国の言うことに国民が反抗していれば、国家は成り立たないわけである。

 

結婚なんかしなくていい

・持ち家を持つ必要はない

・会社なんてがんがん辞めて起業するなりフリーランスになる。あるいは外資系の企業に行く

・勤労の美徳なんてバカ。長時間労働をしないと利益を出せないなんて愚の骨頂

・車なんて所有する必要なんてない。カーシェアーだけで十分

・子供を持つかどうかなんてその家族の自由である。愚かな政治家にごたごた言われる筋合いなんてない

・もっというとそもそも政治家や官僚なんて現代において必要なのだろうか

 

 国民がこのような考えを抱くと、もはや自分たちの立場が危うい。そういうわけで国民がまだ判断力の弱い小学生から家畜化の訓練を受けさせるわけである。

 

 国家を運営していくために、国民が何も考えず従順であることは極めて重要な要素なのだ。またそうしてくれると自分たち(つまり政治家や官僚や経団連)は既得権益を保持し続けることができるのだ。

 

 

 従順で無思考であれば、絶望なんてしないだろうが

 

3.教師や生徒を絶えず翻弄する

 教師や生徒に限らず教育に従事する全ての人間が文科省に翻弄される。大学入試の改革はその最たる例だ。

 

 入試自体を変えるとなると、教師(というか学校)は授業のカリキュラムを変えなければならないし、生徒もそれに応じて勉強のやりかたを変えなければいけない。

 

 時代によって教育内容が変わることは避けられないことであるが、それを考えてもストレスである。

 

 そもそもいちいち不祥事を起こすような教育機関が教育に対して口を出すだなんてアホじゃないか

 

 これだけ不祥事を起こすような期間を教育内容を決める資格なんてあるのだろうか。

 

 結局自分たちが得をしたいだけだからなんじゃないか。

 

 と、話がそれたが、彼らの意向によって私たち国民は絶えず翻弄されるのだ。

 

 大学入試を変える前にやらなければならないことはあるはずだ。

 

教師の負担を減らすことはその例だろう。最近ようやくまともになってきているが、教師の部活の問題はいまだ解決されていない

 

 本来教師というのは生徒の学力や人生を良くしていくことが目的なはずである。にも関わらず、自分の知っている競技とは全く関係ない畑違いな部活を担当させたりして多大な負担を負わせている。

 

 これを完全に解決し、なおかつ生徒の学力や生活を改善しなければ教育が良くなることはあり得ない。

 

 

 取り組まなければならない問題の優先順位を間違っている。国家のトップがこれではこの国は絶望的である。

 

私たちはどうしていかなければならないのか(対策)

 私たちがデモなどを起こしたりしたところで問題は解決しないだろう。選挙で愚能な政治家をペケしたところで別に官僚組織はびくともしない。

 

 ではどうすればよいのか。

 

 私の考えとしては国家に対し絶えず批判的な眼差しを向けることが必要だと思う。

 

 今の政治家や官僚の不祥事って結局私たちが「自民党だから仕方がない」、「官僚の不祥事なんてよくあること」みたいな、ある種の諦めの感情によって生まれたものだと思う。

 

 私たちがこのようなスタンスを続けるようであれば、政治家や官僚はますます暴走し、私たちの生活は一層苦しくなるだろう。

 

 そうならないためにも権力機関には絶えず批判的に見ていかなければならない。

 

 またある政策が行われる場合、それが権力者にとってどのような利益をもたらすのかを考えてみるのもよいだろう。

 

 

 それが具体的に権力者にどのような利益をもたらし、その結果国民はどのような損失を被らなければなるのか、という「権力者」目線で物事を考えてみるのも国家を批判的にみることの1つである。

 

 権力の暴走を許してはならない。