私は大学受験は世界史受験であった。世界史はとにかく範囲が広く、カタカナが多く覚えずらかった。しかも地名なんだか人名なんだかよくわからない聞きなれない言葉も多く、それらが結構しんどかった。
が、結果として大学受験で世界史を勉強して良かったと思っている。確かに難しかったがやった分良い感じに教養になったからである。
ということで世界史を勉強して良かったと思うことを述べていこう。
世の中の出来事に関心をもつ機会が多くなった
最初はこれかな。勉強することで否応なく知識が入るので、それに伴い興味関心のアンテナが広がっていく。
世界史は古代から現代までの世界の歴史を幅広く扱う。それぞれの国の成り立ちを勉強することによってなぜ今このようなことが起こっているのか?みたいなことを理解できる。
それぞれの国がいかにして成立したかを理解することで日本のマスコミ特有の「感情論」で物事を見ることがなくなるのだ。
冷静に論理的に物事を見ることができるようになるのは人生で生きていくうえで重要である。
したがって世界史の勉強をすることによって世界で起こっている出来事に関心を持つ機会が多くなると同時にその世界をフラットに見ることができるようになる。
大学に入った後に役立った
私は大学は文学部の英文科を卒業している。世界史の文化史などの知識は英米文学を勉強していくうえでかなり役立った。
知識があるのとないのには理解にかなり差がでることもわかった。
ヘミングウェイとかヘミングウェイとかヘミングウェイとか彼の作品である『武器よさらば』、『誰がために鐘はなる』とかホーソンの『緋文字』とか既に作者や作品の名前は知っていたので、授業とかで知識がなくてストレスがたまるということはあまりなかった。
歴史的背景とかもある程度理解していたのでそれも授業の内容を理解する助けにもなった。
あとは授業の内容が結構楽しかった。別に英文科の専門的な授業だけでなく大学の一般教養でも世界史の知識は役に立った。大学の一般教養でイスラム史をとっていたのだが、世界史で学んだ知識があったので、シーア派とかスン二派とかのあのややこしい関係性がスムーズに理解できた。
他には文化史で作品名とかガッツリ覚えていたのでそれらの書籍を大学入学後に結構読んで教養が深まったのも世界史を勉強してよかったと思う。
ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』とかラッセルの『幸福論』とかヴォルテールの『寛容論』とかは結構面白い(難しいが)。
大学受験の英語の予備知識ができる
これは大学受験の実践的な話になるが、世界史の勉強をすることで英語の長文読解の背景知識を身につけることができた。
これは本当にデカい。私の経験測でしかないが、難関の大学になるほどに世界史の知識があるかないかで差がつくような気がした。
難関の大学は単語のレベルが高く、英文の構造も複雑であり、読みずらい。それだけでも時間が食われるのである。
だが、長文の内容を見てみると、やはり世界史的な知識を持っているかどうかで理解する速さが変わってくると思わずにはいられないのだ。
特に早慶上智の長文読解はそれが顕著であるように思えた。まあ落ちたんだが。
もちろん英語の読む力それ自体が重要なのは言うまでもないが、それでもどこかしらで世界史の知識があるかないか、というのは大きいような気がする。
ここからは少し話が逸れるが「じゃあ日本史か世界史受験かで結構差がつくんじゃね?」みたいな考えをもつ人も出てくるだろう。
確かに世界史を勉強するに越したことはないが、日本史と比べてどうしても勉強しずらい点が多い。そのせいで世界史の勉強に時間が食われ他の教科の勉強ができないという事態になってしまったら、それこそ本末転倒である。
それに英語の長文の背景知識とかは英語の長文の問題集で補えるレベルでもあるので(世界史の知識があるかないかで差がつくことと矛盾するが)、日本史受験するか、世界史受験をするかは個人の好みや各大学の入試に合わせるのがよいだろう。
最後は少し話がそれたが、世界史の勉強をすることのメリットは多い、と思うよ。