日本民営鉄道協会の「駅と電車内の迷惑行為ランキング」によると「荷物の置持ち方・置き方」が第1位になったという。
具体的に内容を見てみると背負いリュックが迷惑になるらしい。
あなたはどう感じたか。
私は非常に驚いた。いよいよ日本も末期だと思わずにはいられなかった。考えてみよう。いや、考えるのもバカバカしいが、リュックは本来背負うものである。
背負ってて当たり前である。それなのにその普通の状態が迷惑になるってヤバくないか。こりゃあ日本が世界から置き去りにされるわけである。
外国人はリュック背負いまくり
日本に来ている外国人は重たいリュックを背負い、重たい荷物を持ち観光している。
首都圏に住んでいる人ならよくわかるだろう。
彼らは重たい荷物を持ち、時としてウザい満員電車に乗って移動している。彼ら彼女らは電車内において背負いリュックが迷惑行為だと知っているのだろうか。
いや、そもそも電車内でリュックを背負うことが迷惑だという概念を持っているだろうか。私がもし外国人なら「電車でリュックを背負うことが迷惑だ!フン!」なんて言われたもんなら噴き出すだろう。
Are you kidding?
Give me a break!
Why Japanese people!
こんなふうに思って帰国し次第、友人などに言いふらし話のネタにするだろう。で、友人や家族にYou should not go to Japan because the country is stuid. You will be tired of tragical comedy in Japan.みたいに言うだろう。
The Japanese are economic animals,but they do not think efficieny of work is important.
日本が背負いリュックごときで迷惑だと思うなら世界から見放され、軽蔑され、オワコン国家になる日もそう遠くないだろう。
満員電車で背負いリュックは悪か
リュックを背負っていると、自分の後ろにいる人がどう感じているかはわかりにくい。満員電車であれば、「自分の前に立っている人のリュックがぶつかって痛い」と感じる人もいるだろう。
民鉄協・総務広報部の富井裕広報主幹は、「混雑している列車に乗ったら周囲を見渡して、迷惑にならない持ち方を考えてみてほしい」と話す。JR西日本など関西の鉄道事業者は「車内でのリュックサックは、前に抱えるか網棚の上に置くなど、他の方のご迷惑にならないようお願いします」と呼びかけている。
満員電車であればそもそも後ろの人がどう感じているかなんて考える余裕なんてない。というか周囲の状況を見渡し、イマジネーションを働かせ品行方正に振る舞う猛者などいるのだろうか。
考えなければいけないのは満員電車で品行方正に振る舞うことではなく、満員電車という状況がヤバいことである。
満員電車になるということは単純に人が多いということもあるが、みんな同じ時間に行動しているということでもある。
だとしたら、満員電車にさせないために(完全には無理だが)、出勤時間をフレキシブルにするなどの対策を考えるべきである。
満員電車は避けられないもの、ふつうであるもの、こういう思考停止が「背負いリュックは迷惑だ」という考えを生み出したのではないだろうか。
もしこのまま思考停止を続ければ電車でのあらゆる行為が迷惑になり紛争が起きるだろう。
問題なのは背負いリュックではなく満員電車である。
ビジネスマンの背負いリュックに批判的なのは老害
「最近は若いビジネスマンが“背負いリュック”で通勤するようになってきた。これを苦々しく感じる中年ビジネスマンもいるのでは?」。ある鉄道関係者はこんな見方をする。
確かに一昔前のビジネスバッグといえば、手提げタイプが一般的だったが、その後はショルダーバッグが普及し、今やさらに便利なビジネスバッグに取って代わりつつある。今なお手提げバッグで通勤するビジネスマンから見れば、「自分はマナーを守っているのに、最近の若い者は」と不満に感じるのは理解できなくもない。
この 引用した内容が老害であり思考停止である。手提げタイプの鞄とか持ちずらく、重い。ただでさえ人混みの多い電車でむかついているのに、それに手提げの鞄を持ったもんだったらストレスが倍増する。
普通に労働するだけでもストレスがたまるのに手提げ鞄、満員電車の通勤なんてたまったものではない。
背負いリュックで通勤するというのは、ストレスをいくらか緩和することができる。
これは仕事の効率や生産性を考えたら、非常に重要である。いかに外的ストレスを減らして仕事をするか、これは今後の日本の労働では必要不可欠である。
背負いリュックというのは極めて合理的なものだ。もしそれを「ワシは我慢しているのに最近のワカモン…」という老害がいるなら、とっとと引退してもらうのが最善であろう。
仕事はスーツを着てビジネスバックを持ち、苦痛極まりない満員電車に揺らされ、その過程を経た後にするものだ、という考え自体が思考停止である。
くだらない常識をぶち壊してはじめて生産性や効率性が生まれるのである。
「背負いリュックが迷惑」という考えがヤバいという考えを持とう
背負いリュックは迷惑行為ではない。
背負いリュックは迷惑行為ではない。
背負いリュックは迷惑行為ではない。
背負いリュックが迷惑になる状況の方が問題なのだ。背負いリュックが迷惑と思うのは全く本質的ではない。そして思考停止でもある。
本来は背負いリュックが迷惑に思ってしまう満員電車が問題なのであり、この日本という国が問題なのだ。
本質に目を向けずに「背負いリュックは迷惑だ!」だというスタンスを続けていくと、今度は「隣の人の座り方が良くない」、「立ち方が良くない」、「座っている人の前でスマホをいじるなんてなんたる行為だ!」みたいな意味不明な不満が出てくるであろう。
そもそも論だが人間は生きている以上人に迷惑をかけてしまうものである。悪意ありきで迷惑をかけるのは言語道断だが、背負いリュックに関しては全く悪意のあるものではない。
迷惑をかけるのがよくないと考えるのは日本の常識であり、世界の非常識である。
私たちはこの国の愚かな常識によって飼いならされているのだ。