自己紹介欄にもちょろっと書いているが、私は今は昔、大学を中退した。が、その理由についてあまり述べることはなかった。
断片的に言っていた記憶もあるが。
なのでなぜ私が大学をかつて中退したのか詳しく書いていきたい。もし大学を中退しようか迷っているがいれば参考にしていただければ。
ただ、言っておくが中退後のビジョンが何もないままに辞めるのはリスクが大きいからそれは控えたほうがいい。
私は他大に進学するという目的があったので辞めたが、「中退して起業します!」みたいな考えで辞めると露頭に迷うこともあるので注意。
もちろん在学中に企業しある程度利益を上げている人なら中退しても問題はないが。
1.管理体制が厳しかった
私が中退した大学は管理体制が厳しい大学だった。といっても「あなたたちの生活を本学が管理します!」みたいなモノではない。
要は就職とか資格取得に関する話が多かったのだ。あとは大学の課題とかもいろいろウザかった。ウザいが具体的にどのような意味を持つのかはあなたの想像にお任せする。
確かに就職の支援や資格取得の推奨は人によってはありがたく思うかもしれない。自分がいろいろ手間をかけなくてもそれなりに情報強者になれるからだ。
だがそういう大学のスタンスは私にとっては苦痛でしかなかった。
私のブログ記事を読んでくださっている人ならわかると思うが、私の性格はかなりひねくれている。権威に対して強烈に反抗的で、常識に対して強烈に批判的だ。企業のランキングとか本当にばかげていると思う。
みんながありがたがることを私は素直に受け入れられない性格なのである。
そういう人間が「面倒見の良い大学」に入学したらどうなるかわかるだろう。
もうとことんうざい。大学1年から就職とか資格とかそんなもん気にしてどうすんのよ。学生の好きにさせろや。こんなことを思っていた。
そりゃあうまくいかないわけだ。
私は自分でいろいろ調べたり勉強したり行動するのは好きなのだが、こうやっておしつけがましいことをされると強く反発したくなるのである。
そうなると「日本の会社とかなんてやっていけないのでは?」とあなたは思うだろう。日本の会社、というよりかは組織全般は社員に目標設定や資格の取得を熱心に推奨する(ところが多い)。まあ介入が多い。
もちろんやっていけない。私事なのだが先日転職した。しかしもう既にストレスがたまりまくっている。日本の会社特有のうざい社会常識にはうんざりしている。
なので将来的に私は自分で金を稼ぐような働き方をするだろう。フリーランスとか起業とか。今は収入的な不安があるので副業が生活費になるレベルになったら会社を辞め開業届を出すことに決めている。
ここでまとめるが大学中退の1つ目の理由は管理体制が厳しかったからである。(言い方がよくないな。面倒見の良い大学だったからにしたほうが良かった)
2.大学の雰囲気や人間関係
大学の雰囲気や人間関係に悩み大学を中退してしまう人は多い。私もその1人だ。
私の中退した大学は保守的な人間が相対的に多かった。もちろん大学という規模なので全てが全てそうではないし、そう思い込むこと自体当時の私の偏見だったのかもしれない。
ひねくれた性格を持った私にとってはそれが苦痛でしかたがなかった。話していてもなんか普通のことしか言わないし、冗談1つ取ってみてもまあ普通な感じ。
で、そういう保守的な学生が集まると大学の雰囲気が保守的になる。それゆえに資格取得や就職に熱心だったのだと思うのだが。
また、保守的なだけでなく、人とべたべた仲良くすることも多い雰囲気だったので、それも私をうんざりさせた。
人と群れることを良しとし孤独でいる人を放っておけない。そんな言い方が適切なのかもしれない。
これもまた人によってはありがたいことかもしれない。1人でいるのに耐えられない人はそれはもう天国でしかない。
しかし私は人とべたべた仲良くすることはあまり好きではない。適度に仲良くするのはいいが、常時べたべた人間とくっつくなんて無理だ。
そういう人間関係に嫌気がさしたのも中退に至った理由である。
誤解してほしくないが、別に私は人間嫌いなわけではない(といっても会社という組織の中での人間関係は大嫌いだが)。
人間嫌いだったらとっくに再入学した大学と辞めている。
まあ1人でいることを良しとしない人間関係がムリゲーなのだ。
3.偏差値的な問題
もう典型的。今でこそ大企業や政治家や官僚の相次ぐ不祥事や、日本に跋扈するブラック企業、効率や合理性とは全くかけ離れた日本の労働環境によって「偏差値信仰」はなくなったが、当時の私はもう偏差値野郎だった。
偏差値の高い大学に行ってこそ人生が拓かれる!
偏差値の高い大学に行かなければ大学受験をする意味がない
偏差値の低い大学に行くなんて、僕は嫌だ!(欅坂風。当時は結成されていない)
もうこんなくだらんことを考えていた。ただ受験生はそんな感情を抱いてしまうのも仕方がないかもしれないが。
当時はまだ幼稚な考えであった。皮肉だが、この幼稚な考えを強く抱いた結果、まあ世間一般的に偏差値の高い大学には合格できたのだが。
なので中退した大学に在学していた時も「偏差値信仰」は持ち続けていた。振り返るとあまりにも屈折していたもんだ。
もちろん大学の管理体制的な問題や人間関係もあったが、最後偏差値という問題が決定的となり受験勉強をし別の大学に入学した。
ちなみにもしその受験に失敗していたらどういう未来が待っていたかというと、その大学を中退し実家に帰るという「都落ち」かその大学に在学し続けるかのどちらかであった。
いま振り返ると冷や汗モンである。
良くも悪くも偏差値というのは絶えず受験生を翻弄する。確かにレベルの高い大学に入った方が意識の高い友達に恵まれる可能性は高いだろう。
しかしその偏差値というものに振り回され自分のやりたい勉強ではなく「偏差値の高い大学・偏差値の高い学部」に行ってしまったら、それこそわざわざ受験勉強した意味がないのではないか。
私は結果として世間一般的には高いとされる大学に入り、自分のやりたい勉強ができて友人関係や教員にも恵まれたので良かったが、本当にこれは運の要素が大きかったと思う。
受験で合格するというのは努力の結果であるが、その後の人間関係や大学の雰囲気というのは結局のところ運であることが大きい。これは私たちの力ではコントロールすることができない。
もしあなたの進学した大学が志望校ではなかったとしても、もし人間関係や大学の雰囲気が自分に合っているのなら再受験するかどうかよく考えた方がいいかもしれない。
受験生が最善の結果になるように願う。