ここ数年は「AIが人間の仕事を奪う」みたいな話がけっこうでている。
確かに今多くの企業でも、AIでできるとことはAIに任せるケースは増えている。
その結果どうなるかというと、人間のやることは徐々になくなる、、、ということになるという「未来予想図」。
そのことで今恐怖を抱いている人も多いだろう。
やべ、、、、、明日は我が身だ、、、、
仕事がなくなり食っていけなくなったらどうしよう、、、、
AIはほんとに人間の生活を豊かにするのか、、、?
こんな具合に。現にこんな記事がある。
もうね、ホント「君の名は絶望」。
果たしてAIは人類にとって絶望か、それとも希望か。
AIに仕事を奪われるのは人間にとって希望
「君の名は希望」(乃木坂のシングル曲)
私はAIに仕事を奪われるのは希望だと考える。言い方が悪い。言い方を変えてみよう。
AIが人間の仕事をやってくれる
こういう言い方にすると印象が変わる。
AIが人間がやっていた仕事をやってくれるんだ。これほど素晴らしいことはない。
そもそも今まで人間は人間がやらなくてもいいことをわざわざ率先したやっていた。
実際にAI化の影響か、三菱UFJFGは1万人規模の人員削減をこの先10年で行うことを発表。みずほFG、三井住友FGもリストラが進められるという。
実際、都内在住の吉野武彦さん(仮名・38歳)は“AI”で某大手銀行からクビを切られた一人だ。
「首都圏を中心に数店舗を渡り歩き、営業成績は良かったほうです。7年前から融資審査部署に配属され、中小企業さんを相手にやっていたのですが……。3月のある日、本社の重役クラスが来て『融資審査にAIを導入する』と告げられました。審査は過去のデータを基に、対象企業の資産などの数字を打ちこめば、誰でもできるように。程なく、私の所属部署は解散になりました……」
吉野氏は派閥争いなどを避けていたこともあり、今年8月にリストラを宣告されてしまう。
「君の名は絶望」だね。
AIに仕事を奪われると嘆き、ずっとAIがやってくれることをやり続ければ職を失うことになってしまう。
これからはAIがやるべきことはAIにやらせ、人間がやるべきことは人間にやらせる。
そうすることによって文明は発展していくし、私たちの生活が豊かになっていくんじゃないか。
AIが仕事を奪う、といのは時代の流れであって私たちは抗うことができない。だとしたらその現実を受け入れより人間らしい人間にしかできないことをやっていったほうがいい。
それが、、、、、、、、「君の名は希望」。
それでもAI批判をする人がいるかもしれない。
いや、AIのせいで俺らの生活が脅かされる!!
あいつら(AI)のせいで働き口がなくなり、食えなくってしまう!!!
AIなんてけしからーん!!!!(おこ)
(なんかラダイト運動みたいだ!)
じゃあずっとこのままで良いのか。相変わらず変化のない仕事内容、単調な生活、意味不明な組織のしばり、能力とは何の関係もないソンタクによって社内の評価がきまる日本社会。
んまあ、AIとは直接関係ないにしても、効率化しなければこれらの伝統的悪習は打破できない。
AIに仕事を奪われるという人は勝手にそう思いこんでいるだけである。というか仮に仕事を奪われたところで食っていけなくなるほど絶望的な状況になるわけではない。
さすがにそこまでイノベーションが起きたら政府だって何かしら策は講ずるだろう。
AIは人間がやらなくてもいいことをやってくれる。人間は人間がすべきことをやる、もう「君の名は希望」でしかない。
AIは人間の没頭する力を開放する
人間がやっていたことをAIがやるようになる。そうするとどのようなことが起きるか。
人間の本来持っている没頭する力が解放される。
人間は自分たちの興味関心のあることに向き合うようになる。好きでやっていることなので当然没頭することができる。
好きで没頭する、これはもう最高の好循環だ。好きで没頭するという行為は今の人々(特に大人)が忘れていることではないんじゃないか?
私たち大人は自分の好きなことを我慢し、好きでもない仕事に向き合っている(ことが多い)。で、それを無理に頑張ることを「勤労の美徳」と呼んでいる。
その結果どうか。企業とかは不祥事ばかりじゃないか。
そもそも苦痛極りないから「ちょっとぐらい水増ししちゃえ!!」とか「ズルしちゃえ!ばれないっしょww」と考える人が一定数いるのではないか。
好きなことをやり没頭していたら不正をしようなんて考えない。
私は小学校中学校はポケモンやロックマンエグゼにはまっていたが、不正なんてアホみたいなことを考えたことはなかった(たとえがちょっと違うか。まあいい)
みんな子供の頃はそうだったはずだ。好きなことに徹底的にはまり没頭していたはずだ。野球が好きな人は野球をやり、サッカーが好きな人はサッカーをやり、ゲームが好きな人はゲームを全力でやっていたはずだ。
それが大人になり、「大人の世界」に侵食され、いつしか辛いことも我慢してやるという勤労の美徳を身につけてしまった。
人間が本来持っている創造性を解き放つためには、徹底的に没頭する力を取り戻さなければならない。
そのためにAIの力が必要だ。AIがやるべきことはAIにやらせ、人間がやるべきことは人間がやる、そうすることによってこの閉塞感漂う世の中を明るくすることができる、と私は信じている。
AIの恩恵を100%手放しで喜ぶべきではない
確かにAIは人間に多くの恩恵をもたらしてくれる。これからはテクノロジーの発展とともにAIも付随して私たちの生活はますます豊かになるだろう。
が、それを100%手放しで喜ぶできかというとそうではない。
AIといっても所詮機械だ。機械である以上電源をぶち抜けばそれでもう機能しなくなる。
しかも地震などでいとも簡単にぶち壊れ機能しなくなることもある。今は地震が頻発している。それゆえに機能しなくなる可能性が大だ。
私たちの生活はいつどうなるかわからない。そうした中でAIが全てをやってくれると丸投げしていたら、痛い目にあうだろう。
人間がやるべきことをAIにやらせるのもナンセンス
あとは人間がやるべきことをAIにやらせるのもそれはそれで間違っている。私がその例として挙げるのは面接だ。
企業とかでもこれから増えていくんじゃないか。確かにあの膨大な志願者をいちいち人間がやるのは面倒かもしれない。
でも、面接をAIにやらせます!というのは言ってみれば、「私たちの目は節穴です!私たちは優秀な人材を選別する能力がありません!だからAIに丸投げします!」と言っているもんじゃないのか。
We are 無能!!
じゃん!面接すらもAIにやらせれば今度は人間が一層無能になってしまう。無能な人間に溢れかえったら困るのは私たちである。
きっと今以上に非効率と不合理がまかり通りかえって仕事の生産性は上がらなくなる。
とりあえずAIの使い方を誤ると人間は一層無能になる可能性を秘めている。そういうことにも注意しつつAIの活用の仕方を考えていったほうがよろしいかと私は思ふ。