何年か前に「国公立大学の文系学部廃止!」みたいな話が文科省から出た。
もちろん非難ぶーぶーだったのは言うまでもない。その後は沈静化し、今はあまりそういう話は出ていない。
私は考えてみた。もし日本の大学から文系の学部を廃止したら社会はどうなるのか。
ただこの情報だけだとアバウトすぎるので細かい条件設定をしたうえで考えてみよう。
条件
国公立、私立すべての大学の文系学部を廃止
大学受験は文系科目なし
高校の授業では一応文系科目あり
大学受験の方式:国公立大学はセンター試験で英語+数学ⅠAⅡBⅢC+物理化学生物地学。二次試験は数学ⅠAⅡBⅢC+物理化学生物地学のいずれか1つ
私立大学の受験方式は国公立の二次試験と同様。つまり数学オール+物理化学生物地学のうちいずれか1つ
推薦入試・AO入試・指定校推薦は理数系の小論文と理数の話題に関する面接
大学付属の内部進学は高校3年間の理数系の科目の評価で決める
大学院も理数系の科目のみ
中学入試・高校入試も国社英はなし。理数系のみ。小学中学も授業としては文系科目あり。だが、圧倒的に理数系の授業ばかり。
ここまで条件をつけるとイメージしやすくなるだろう。文系科目の授業の意味。
というかこれ、理系でも相当キツくないか笑?いや拷問だろこれ笑
西暦2xxx年、時の総理大臣安倍(やすべ)晋一は「国家の利益に結びつかない歴史、哲学、文学などという学問は必要ない。必要なのは直接利益になり、役に立つ学問理数系だ!だからこれから文系の学部を廃止する!!!」といって文科省に指示をする。
そして日本から文系科目はなくなり、国民は過激なまでに理数系の科目を勉強することになり理系中心の社会になる。
こういう状況を踏まえ社会がどうなるのか考えよう。マジこえーーーーー!
社会が合理的に動く
理数系の勉強をするとどのような恩恵を享受することができるかと考えたら、論理的に抽象的に物事を考える力がつくことだと私は思う。
確かに国語も論理的思考が身につくのは間違いないが、やはり理数の勉強に比べるとその力は劣ってしまう。
その論理的、抽象的に物事を考える力を社会に適用したらどうなるか。
社会からムダなことがほぼなくなる。
例えば本や新聞、雑誌などの紙媒体は消滅する。こんな重たいものを持ち歩くなんてバカバカしい。それだったらスマホで全部読めるようにしてしまえばいい。
こんなふうに。
こうなるとテレビとかもウザい。なんであんな幅を取るものを家に置かなければならないんだ?スマホで見れるようにすればいい。かくしてテレビは家庭からなくなる。
ゲームなどもスマホとコントローラーだけでできるようにすれば無駄なスペースはなくなる。んで、スマホだけでゲームができるようになりゲーム機はなくなる。
パソコン。もう悪の権化。でかい。重たい。確かに軽量のパソコンもあるがスマホで全部できるようにすればパソコンなんてもたなくていい。かくしてパソコンはなくなる。
すごい。理数系人間が大量に産まれ、あらゆるムダがなくなっていく。彼らの知性ならいとも簡単に全てをスマホに集約できる。
まあといってもこれは現に進行していることもあるので何ら不思議ではない。
公共交通機関はどうなるか。
電車やバスは人間が運転をするから遅延をする。人間が事故の状況や天候を判断するから遅延する。だったら全部AIに委ねて自動運転にしてしまえばいい。
という考えになり電車やバスの運転は人間がしなくなる。事故などの事態が起きても人間ではなくAIに判断させる。
んで電車やバスの運転は完全無人化し、遅延することもなくなる。彼ら彼女らの知性ならいとも簡単に実行に移すことができる。
自動車もしかり。人間が運転するから事故が起きる。だったらもう自動運転にしてしまえ!人間が自動車を運転することは野蛮になる。
あれ???これも現に進行してない???
理数に強い人間が増えるということは、上記のようなイノベーションを急速に行うことができるようになると言ってよい。乗り物の運転から人間を排除し、人間から重たいモノを排除する。
理数系人間が増えることはこのような動きを加速化させる。
というか現実世界でも無人運転とか急速に進んでいるんだから、それが「理数過激社会」になったら、もっと速く進むということになる。
利益獲得のためには手段を選ばなくなる
理数系の人間は物事を論理的に考え、身近な現象から法則を導きだすこともできる。
ということは実社会で考えてみれば金を稼ぐことは得意、、、とも言える。
だが、ここに致命的な弱点がある。確かに金を稼ぐことは得意かもしれないが、一般教養が著しく欠如している。歴史哲学宗教文学など。
そうなると、儲かる儲からないの判断はできるが、善悪の判断はできない。
するともうやりたい放題だ。人間がどうなろうと利益さえ出せればいい。それが過激になるとカルト宗教化し歯止めが利かなくなる。
今ですら大企業の不祥事は後を絶たないのに、これが加速化したら大変になる。てか足を引っ張ることすらも合理的に考えて、平気で問題を起こしまくるようになってしまう。
やっかいなのは問題を起こしている彼らに自覚症状がないことだ。だって今まで文系の科目なんてすっぽかして理数しかやってこなかったんだ。そりゃ思考がいびつになるのも無理はない。
利益は出せるが人間関係がギスギス。「過激な理数主義者」になるとこんな恐ろしいことになる。
世界からガン無視される
欧米諸国や中東はその歴史上宗教文化が強く根付いている。ゆえに彼らは聖書やクルアーンをベースに世界を理解する。もちろんその信仰する宗教から歴史や哲学を学びとっている。
したがって彼らは確固たるアイデンティティを持ち、また善悪の判断も同時に持っている。
確かに歴史上宗教がらみの戦争はたくさんあったが、それでも宗教が彼を救ってきた。
宗教とは生活から切り離せないのだ。
理数系の知識しかない、善悪の判断もつかない、自国の歴史も知らない、宗教なんてなにそれ?な人間が外国人と出会ったらどうなるか。
まずまともな会話にはならない。理数しかしらない人間と幅広い教養を持った外国人、会話の接点なんて生まれるはずがない。
何の思想も哲学もない薄っぺらな人間は世界からバカにされ、取り残され、いつしかガン無視されるだろう。
文系科目の勉強をしなくなるというのは要はグローバル化からの断絶を意味する。自分たちにとっては確かにいいんだが、いざ外国人を相手にすると相互の理解ができない状態になってしまう。
世の中は理系が結構ブームだが、もちろん理系科目ができるに越したことはないが、文系科目を一切無視してしまうと取返しのつかないことになってしまう。
「文系学部廃止」というのは社会で生きて行くうえで思っている以上に危険なんだな。んまあ学部自体にコストがかかるし、「すぐに役にたつ」ものではないので国家からしたら都合が悪いものかもしれないが、私たちにとってはなくてはならないものなんだ。
まあ一番ヤバいのは文系の学部全て廃止!という極端な考えなんだけど。そういう極端な考えが利己的な考えを生み出し、カルト化し、人間関係すらも脅かしてしまう。
「すぐに役に立つ!!!」この意味を考えたほうがいい。