Sakuはゆるく生きる

外国語系の記事が多くなりそうです。

定番だけど無意味だと思う就活の質問

 就活ってだいたい聞かれることがパターン化している。

 

 「社会では答えのない問題に満ち溢れている!」と言っておきながら、その実ちゃんと「模範解答」の「ような」ものが存在する。

 

 その矛盾を知る第一歩が就活だろう。

 

 ・個性が大事!

 ・自分で思考することができる人材を求めています!

 ・行動力がある人を必要としています!

 

 もちろん上記3つの「優れた」人材を求めるべく企業は面接をする。

 

 で、面接の内容はと言うと、面接の参考にも書いてあるようなマニュアルどうりのことを就活生にすることになる。

 

 んまあどうしても面接だからありがちな質問になってしまうのは仕方がない。

 

 けど、それでも「これって今の社会環境で聞く意味あんのか?」みたいな質問がある。それを列挙する。

 

 

 

10年後あなたはどうなっていると思いますか?

 いや、別に10年じゃなくても5年とかもあるんだけど、これって質問する意味あるのか?

 

 今は転職の動きが活発になっている。その結果として3年以内に会社を辞める人が増えている

 

 そんな中で5年とか10年のスパンでどうなっているか聞くとかナンセンスじゃないか?

 

 5年とか10年後なんて残っているか全然わからない。だとしたらそんなこと聞くんじゃなくて、長く勤めてもらうように企業努力すべきなんじゃないのか

 

面接官:「あなたは10年後どうなっていると思いますか?」

 

意識高い系:「はい。私はオンシャでしっかりスキルを身につけ、責任ある立場を任されていると思います!(☆彡)そしてコミュニケーション力を生かし、グローバルに活躍していると思います!(☆彡)」

 

意識低い系(つまり私):「そーですねー。うーん、、、、、、、。10年後なんてどうなっているかなんてわからないでぇす。てゆーか、1年後すらどうなっているかわかんないと思いまーす。もっとゆーと、明日のことすらtomorrow never knowsだと思いまぁす」

 

面接官:「(意識低い系の私に激おこ)それ、本気で言っているんですか?」

 

意識低い系(つまり私)「会社のために生きてみてもtomorrow never knowsだと思いまあああああす。私はとどまることを知りましぇん!(見た目は大人、頭脳はマジで子供)」

 

 もし面接をしたらこんな具合になるだろう。

 

 そもそも本当に10年後にどうなっているかなんてわからないし、明日のことすらどうなっているかわからない。

 

 しかも今の社会とか変化が速い。そういう状況で長期的なスパンのことを考えていると時代に取り残されてしまう。

 

 その会社だって10年後どうなっているのかわからない。

 

 もしかしたらよくありがちな不祥事が発覚し、経営が傾き倒産していても何ら不思議なことではない。

 

 

 「10年後どうなっているか」という質問は無意味である。

 

挫折経験を教えてください

 ありがち。本屋で面白おかしく面接の参考書を眺めてたらだいたい載っていた

 

 ということは結構メジャーな質問なんだろう。

 

 でも思考停止で挫折経験を神聖視してしまうと挫折に潜むワナに気づかなくなる

 

 一般的に挫折を経験することは素晴らしいと思われがちだが、あまりにも挫折した経験が多すぎると、かえって卑屈な人間になってしまう危険性だってある。

 

 必ずしも挫折は人を強くするとは限らない

 

面接官:「挫折経験を教えてください」

 

意識高い系:「はい。私は受験に失敗しました。十分に勉強をし試験に臨んだのですが、点数が足りず落ちてしまいました。しかし合格した大学に入った結果人間関係に恵まれ充実した4年間を送りました。したがっていままでしてきた自分の努力は間違っていなかったのだと思います。そこから努力することの重要性を学びました」

 

面接官:「(うん、いいね。彼は問題なさそうだ。採用するか)では次、意識低い系さんお願いします」

 

意識低い系(つまり私):「はーい(^O^)/。わたしの辞書に挫折という言葉はありまてーん(^o^)/。私は小学校からエースで4番を任され、受験では全国模試1位で開成かーらーの、東大文科Ⅰ類かーらーの、Harvard留学を経験してきましたぁぁぁぁ!挫折とは縁がありましぇーん」

 

 (もちろん全部ウソ。大学はマーチだし、KO大学に受験でKOされてるし、入った大学のゼミとかも第一志望落ちてるし、高校のときレギュラーじゃないし。てか東京出身じゃないから開成とか選択肢に入るはずがない)

 

 どうだろう。世の中には一定数挫折経験なく人生やってきている人もいる。

 

 さすがに小学校から4番でエースを任せられて開成東大ハーバードは激レアさんだが、開成からストレートで東大文科Ⅰ類とか灘から東大理Ⅲとかはいるだろう

 

 で、彼らの人間性に問題なければ採用せずにはいられなくないか?

 

 

 同じような性格で、かたや挫折ばかりする凡人とかたや挫折を知らないエリート

 

 あなたが面接官だとしたらどちらを取りたいと思うだろうか。

 

あなたは他人にどう思われていると思いますか?

 タ・ニ・ン・ニ・ド・ウ・オ・モ・ワ・レ・テ・イ・ル・カ

 

 これが日本人だろう。他人にどう思われているかを気にする。これほど生きずらいことはない。だから日本社会は閉塞感ただようのだ。

 

 他人にどう思われて生きているかなんていちいち考えていたら身がもたない。

 

 当たり前だ。ほんと、みんなホリエモンの本買ったほうがいい。

 

 面接官:「あなたは他人にどう思われていると思いますか?」

 

 意識高い系:「はい。友人や先輩は私のことを真面目で努力家な人間だと思っていると感じます。実際に先輩からも『意識高い系は努力家だな』と言われました」

 

 面接官:「(うん。素晴らしい。彼は将来優秀な社畜になってくれるだろう)なるほど。わかりました。ありがとうございます。では次、意識低い系さんお願いします」

 

 意識低い系(つまり私)「、、、はい。私は恥の多い生涯を送ってきました。私には人間の生活というものが見当つかないのです、、、、、」

 

 面接官:「質問の内容と話がかみ合っていませんが?」

 

 意識低い系(つまり私)「はい、、。私は人間というものが何を考えているのか全くわかりません。したがいまして自分が他人からどう思われているのかなんて考えることすらできないのです、、」

 

 面接官:「(意識低い系はもう人間失格だから無理)」

 

 でも実際自分が他人にどう思われているかなんてわからなくないか。

 

 全ての人間が自分に対して同じ印象を抱いているなんてありえない。ある人は私のことを「なんか面白いことを言うやつだ」と思っているだろうしある人は私のことを「話さない、根暗な野郎だ」と思っているかもしれない

 

 というかこれおそらく事実だと思う。会社の人間は私のことを「会話をしない、そっけない、仕事の話以外何もしない謎なやつ」という印象を抱く一方で、学生時代の友達やバイト先の人は私のことを「飲み会にくる。ノリがいい。結構話す」という印象を持っていると思う。

 

 人によって受ける印象が違うのだから「他人にどう思われているか」と聞いたところでその人の人となりの有益な情報は得られない。

 

 もう他人にどう思われているかなんて気にするのはやめよう日本人。

 

 こんなくだらないこと考えてたらこの先の人生絶望しかない。このグローバルな社会で生きていくことなんてできない。

 

 他人にどう思われているかを気にするのをやめれば、もっと人生は良くなるはずだ。

 

 ここまで書いたきたが、重要なのは既存の常識を疑うことだ。ごく冷静に考えたらおかしなことは山ほどある。それに気づくかどうかが情報強者として生きていけるかの基準となろう。

 

 

 就活の面接もよくよく考えてみよう。

 

 面接官の心を操れ!