以前のブログでも歩いたほうが良いアイデアが思い浮かぶことを書いた。↓
で、今になってとりわけそのことを実感するようになった。やっぱり引きこもっているよりも外に出て歩き、動くなどしたほうが良いアイデアが思い浮かぶ。
勉強、仕事、スポーツなどありとあらゆることにおいて「良いアイデアが思い浮かぶ」ということは重要である。
アイデアなしに良い人生は送れない(というのは言い過ぎか…)。
今日書くのは私の生活のbefore after、今引きこもっている人も外に出たほうがいいこと、まとめの3点。
目次
私の生活のbefore after
今の状態の私
転職をして仕事が始まっているので(といってもまだ研修なので本格的な仕事ではないけど!)、当然自宅にいるよりも外に出ている時間のほうが長い。
転職活動についてはこちら↓
無職期間と比べると自由な時間は多くない。したがって「ブログを書く時間やブログネタを考える時間はないのではないか??」と思うかもしれない。
でも今の方がブログを書けている。というのはやっぱり外を歩いていたり、電車の中にいたり、オフィスにいるほうがブログのアイデアが思い浮ぶ。
結果として無職期間よりも更新頻度が多くなり良い感じにブログを書けている。
まあ歩くと良いアイデアが思い浮かぶことはある程度証明されているので、私があえてのべることはない。
時間的には無職期間のほうがあったのに今の仕事をしている方が結果的に書けている。
無職期間の私
で、無職期間。先月は転職活動をしていたので実質無職であった。
その時は転職活動の時間を除いたら、無職ニートという幸せな生活を満喫していた(生活費は貯金を切り崩していた。筆者はあまり消費しないマン)。
いや、もうね、ほんと幸せだった!!
この瞬間が永久に続けばいいのに!!と思った!!(写真は筆者ではない)
よく「ニート生活は最初の一週間ぐらいは幸せでそれ以降はやることがなく、かえってつらくなる」という人が圧倒的にいるが、私は全然そんなことはなく「ニート最高!!!」と思い続けていた。
(筆者はたぶんニートに向いているヤツだと思う)
そう考えると、ブログも書けるんじゃね!?とあなたは思うだろう。
でも、ブログネタが思い浮かばない。そしてブログを書くことができない。
その理由を考えるに、ヒッキーの時間が長かったんだと思う。
自宅にいるとやることがない。せいぜいネットサーフィンかスマホをいじるか読書ぐらいしかない。
となると、「ニート最高!」という気持ちが湧く一方、ネガティブな気持ちも湧く。なんかアンビバレントな状態だけど。
そういう不摂生な生活を送っていると、ブログネタが思い浮かばない。というか自分の世界の中心が「ネットの情報」になってしまうのでブログネタどころではなくなる。
と言うと、「ネットにもブログネタになる情報はいっぱいあるのでは!?」と思う人もいるだろう。
でも、繰り返すが、動かない、自宅にヒッキーな生活をしているとネタなんて考える余地がなくなるんだ。
結局外に出て動いたほうが良いアイデア(この記事に関していうとブログネタ)は思い浮かぶのだ。
今引きこもっている人も適度に外に出たほうがいい
本記事の内容とは関係はあまりないかもしれないが、今何らかの理由で家に引きこもっている人も適度に外出したほうがいい。
別に良いアイデアが思い浮かぶとかそういう理由ではなく、ずっと部屋にいると気分が悪くなる。
「別に家にずっといても平気!」という人もいるかもしれないが、そういう生活をずっとしているとどこかで煮詰まる。
というか「未来永劫ずっと引きこもり」を望む人はいないだろう。いや中にはいるかもしれないけど。
でも外に出た方が家にいるよりも気分は良くなると思う。これはあくまでも私の経験でしかないが。
外の空気を吸って周囲の景色を見渡したほうが、ヒッキーをしているよりも視野が広くなる。
なかには「人間嫌い」な人もいるかもしれない。なんらかの理由で人と関わるのが嫌になり、人といるぐらいだったら自分の世界に居続けたほうがいい!と感じる人もいるかもしれない。
それはそれでいいと思う。無理に人間を好きになれとは言わない。それでも少しでも外に出たほうが、気分はよくなるし、知らずに溜まっていたストレスを解消することができる可能性がある。
なので今家に引きこもっている人も外に出ることで、現状を打開する考えが思い浮かぶかもしれないよ。
まとめ
何事も動くことで良いアイデアが思いつく。もし今煮詰まっている人がいたら、とにかく外に出て歩きまわったほうがいい。そうすることで今の状況から抜け出せるかもしれない。
実体験を通して、何もしないよりかは何かをしている状態のほうが気分が良くなるということがわかった。
無職は確かに時間的な制約はなく、いろいろできるかと思いきや、思ったほどできることは少ない。
何かをする時間が多いほど、良い人生を送ることができると私は感じた。