私の出身はもともと北海道だ。進学と同時に上京し、以後東京で消耗することになる。
私は「まだ東京で消耗して」いる。都会は便利である一方、ストレスがたまる場所でもある。
今日書く内容→私の身に起きた変化・東京で消耗した結果の2点。
目次
私の身に起きた変化
音に敏感になった
東京という場所は音がダイレクトに耳に入ってくる。車の走る音、原付の走る音、電車の走る音、工事の騒音。
あらゆる音が騒音として人々の耳に入る。北海道にいた時も車の走る音、原付の走る音などは当然あった。
いや、全国津々浦々そういう類の音が存在するのは当たり前といえば当たり前である。
でも、なぜだろう…。北海道にいた時は別に周りの音なんて気にならなかった。
ただ車や原付が走っていただけだった。工事もただ行われていただけだった。それ以上でもそれ以下でもなかった。
東京に来てから、耳に響く音が「ただの音」以上の存在になっていた。「ただの音」は私に絶大なるダメージを与える。
特に車・原付・工事はヤバい。それらの音を聞くと、もう露骨に精神に悪影響をもたらしていることがわかる。
まあ何が言えるかというと東京で消耗しているということ♪。
見ず知らずの他者に対する不快感
知らん人間に対してもやたら敏感になったような気がする。いや、そもそも人に対して怒りや嫌悪感をもつことなんてあってはいけない。
いちいちそんなムカついていたらいつまでたっても争いが絶えない。
でもあの狭い場所に大量の人が溢れかえっていると、どうしてもストレスがたまらずにはいられない。
特に電車の中。満員電車じゃなくても、人がそれなりに多い。人が多いということは人と人との距離が近い。
人が多い中、距離も近いというのは思いのほかストレスになる。満員電車だととんでもない殺意が車内に蔓延している気がする。
あとは歩きスマホ。まあ別に歩きスマホをしようとしなかろうと、それは法律で禁止でもされていない限り、本人の自由である。
まあでもストレートに言ってしまうと、普通に歩いている人たちにとっては邪魔な存在でしかない。
普通に歩いている人の歩く速さを遅めているという事実に彼らは気付いていない。
まあこれも東京で消耗した結果抱く感情だと思う。
歩く速さがアップ!
ストレスを避けてとっとと目的地に着きたいから。
以上。
東京で消耗した生活を送る結果…
で、東京で消耗した生活を送ることで、合理的・効率的・論理的思考が格段に身についた!!!
思わぬ副産物。
いや、もうね、いかにしてストレスを最小限に抑えて生活をするからいやでもそういう思考が身につく。
満員電車・満員ではないけど混雑した電車がイヤ!→出勤時間帯であれば時間をずらす。人が多く乗るであろう真ん中の車両(5号車~8両車)は避け、端の車両(1号車、あるいは10号車辺りに乗る)に乗る。
外の騒音がイヤ!・歩きスマホの「サイレントマジョリティー」がイヤ!→様々なルートから人が少ない道を探す。あまり音が響かないルートを探す。
行列に並ぶのがイヤ!休日の新宿紀伊国屋本店の2階(新書や小説などがあるので実質メインのフロア)→1階に下がるか3階に上がるかして会計を済ませる。
こんな感じに。
こんなことを日常的に考えていたら嫌でも思考力がつく。
皮肉だが、これは「まだ東京で消耗ライフ」の最大の恩恵だと思う。
もし北海道で生活し続けていたら、こんな経験はできなかった。
北海道は広大で雄大な自然が広がる。一方、中規模以上の都市ならショッピングモールが充実していて生活にはあまり不自由しない。
(車社会は仕方ないけど)
なので東京と比べればかなりQOLの高い生活を送ることができる。QOLが高いということは日常ストレスにされられることはあまりない。
ストレスがたまらないから見ず知らずの他者に不快感をもつことなんてないし、車や原付の騒音ごときでイラついたりしない。
でもそういう恵まれた環境だから、あえて効率的・合理的思考をする必要がない。なので思考力がそこまでつかない。
よく本州の人が北海道に移住したりすると、「北海道の人はわりとおっとりしている人が多い」と言うがやはり環境的な影響が大きいからだと思う。
ストレスにされされないからおっとりしたところでなんら問題はない。平和が一番。
キリが悪いけど以上。