ごく普通に考えて労働時間は長い。週5日、1日8時間。
21世紀でテクノロジーも発達しているのになぜこんな形態の労働を続けるのか。「働き方改革」はどこへ行ったのか。
と、不満を言ったところで問題が解決するわけではない。時間は変えることができない。
でも、意識の持ちようで時間の流れは変えることができる。この時間の流れさえ変えられれば、「働かされている状態」から「自分で働いている状態」にすることができる。
今日書く内容→時間の流れを変える方法・自分の時間を生きることで日々の生活が充実する・組織の時間に支配されることの弊害・まとめの4点
大事なところは太字にしているので興味あるところだけサクッと読んでくだされば。
目次
時間の流れを変える方法
自分で時間設定をする
勤務時間が9:00から18:00だったとする。そうすると休憩1時間を除いて8時間労働である。
8時間は分単位に直すと、60×8で480分になる。その480分を自分の中で細分化する。
例えば45分×約11セットという具合に。これでだいたい480分前後になる。
これが私の言う、自分で時間設定をすることということだ。そうするとなんだか短いような感じがしないだろうか?
45分×11セットだと、午前中は12:00までだとしたら、3時間(つまり180分)やればタスク終了ということになる(9:00から12:00まで)。
だとすると、午前中は45分を4セットぐらいやればオシマイということになる。
午後は13:00から18:00だとすると、残り45分×7セットをこなせばいいことになる。
これで8時間労働(約45分×11セット)は終了。
こうやって時間の流れを自分で決めることで、滞りなく時間が流れていくことになる。
ただ、必ずしも9:00-18:00の勤務形態ではない人もいるだろう。これよりも労働時間が長い人など。
それでも自分の中で時間を細分化して働くと、時間の流れはそれなりに美しくなると思う。
スマホのストップウォッチやタイマーで時間を計る
自分で時間の流れを設定することに加えて、その時間をストップウォッチやタイマーで計測をする。そうすると、確実に時間が過ぎている感じがする。
職場についている時計とかだとどうしても時間がたつのが長く感じる。学校とかでしきりに時計を見まくり、「まだ10分残ってる。長え…」と思っていたのと同じ感覚である。
でも自分で時間を計れば、「まだ10分ある…」から「あと10分で終わる」という感覚を持つことができる。
全然関係ないが、私は前職、前前職とスマホ持ち込み禁止の職場で働いていた。エ・ン・ジ・ニ・アなのに!!
それでいてやっていることが書類の仕分けやらハンコを押すのなら明らかに事務作業だったので(しかも程度の低い)、時間が過ぎるのが本当に長かった。
まじで草
で、そんな草な場所で働いてもムダな時間を過ごすことになるのでエン転職をした。
転職の時に使ったのはマイナビだが。
というふうに職業によっては仕事現場にスマホを持ち込めない人もいるだろう。そういう人は職場の時計を見て自分で時間を計るより他ない。
自分の時間を生きることで日々の生活が充実する
QOLが高まる
1日の仕事の時間の流れを自分で設定することでQOLは格段に高まる。
そもそも働くことの何がイヤかって、「働かされている」という感覚になることだと思う。
それを1年のうちおよそ3分の2やるわけだからそりゃ消耗するわ。でも自分の時間を生きるとなると…、自分で主体的に働いている状態になるので仕事をやらされている感覚がなくなる。
なので不平不満やストレスが少なくなっていき、日々の生活に対する満足度が上がる。
「働き方改革」は自分で起こす
誰かに何かを期待することはナンセンス。「働き方改革」といっても結局、それを提唱している人たちが「働き方改革」の経験がないので、たいして成果がないまま終わるだろう。
それで「政府が悪い」、「企業が悪い」と不満を言ったところで、私たちの状況が変わるわけではない。
だとしたら、自分自身で「働き方改革」を起こし、自分の現在の生活を変えるしかない。
誰かに何かを期待することはまったく意味がない。
自分で時間を設定し、自分の時間を生きよう。
組織の時間に支配されることに弊害
「オッサン化」する
組織の時間に支配されることの弊害として「オッサン化」が急速に進むことだ。
ここで言う「オッサン化」は常に不平不満を口にし、自分の不幸を嘆き、サラリーマン川柳で当選を狙う人のことを指す。
たぶんあなたが思っている通りの「オッサン」である。居酒屋で仕事のこと、上司のこと、冷戦状態の家庭のことを自慢げに大声で話している人だ。
そして店員にタメ口で「生!!!」をオーダーする人だ。
カラオケでちょっとでもドリンクのオーダーが遅いと激おこするオッサンだ。詳しくは下記の記事にも書いてある↓。
なので「オッサン」は年齢の問題ではない。50~60代の人でも若い人はたくさんいるし、逆に20~30代ですでに「オッサン」になっている人もたくさんいる。
組織の時間に支配され、自分の時間を生きることを放棄すると、日々の生活が廃れていき、急速に「オッサン化」が進行する。
自分の時間を生きるか、組織の時間に支配されるか、あなたはどちらの道を選ぶか。
思考停止になる
「オッサン化」すると、思考停止状態にもなる。
自分の時間を生きないことは考えることを放棄することだからだ。
そうなると生活を改善させようとする考えができなくなる。自分が不幸な状況にいたとしても無思考でそれを受け入れる。
求めない。だから与えられない。
叩かない。だから開かれない。
この状態は本当に怖い。あとはただ惰性と慣習に身を任せ、満員電車という名の奴隷船に乗る日々を送るだけである。
あなたはそんな人生望まないはずだ(といっても地方とかだと満員電車にはならないんだけど、というオチ 笑)。
まとめ
たとえ労働時間が長くても、自分なりに細分化し、自分でその時間を管理すれば時間の流れはキレイになる。
キレイになるということは日々の生活の充実度が上がることを意味する。それを1週間、1か月、1年と続けると、どんどん自分自身が進化していくような気がする。
組織に帰属していても、自分の時間を生きる術は残されている。
むしろ「組織で生きる」という制約があるからこそ、時間の流れについて真剣に考えることができる。
絶対に必要なのは、考えるということ、今の状態をベストだと思わない姿勢だ。
考えることを放棄し、現状に満足すると、自分の時間を生きることができなくなる。
私はそういう人生は絶対にイヤなので、低能な頭をフル回転させ、常にベターな選択肢を模索し続けている。
特に都会暮らしで思考放棄することは本当にヤバい。よくわからないが、ベルトコンベアの如く電車で運ばれる感がすごいあるんだ。
思考放棄の満員電車は思考停止社会の縮図だろう。
自分の時間を生きるか、それとも組織に支配され、「オッサン化」する人生を歩むか、あなたはどちらの道を選ぶか。
とにかく思考を放棄するようなことをしてはいけない。
徹底的に考えまくると人生が拓ける。