私は一度大学を中退しているが、再受験をしてMARCHの大学に合格し、入学し、卒業した。
まあ「再受験して早慶じゃないのかよ!」という人もいるだろう。
だが、独学をして大学に合格したことは自分にとっては大きな自信となった。通信教材はやっていたが。
今思うと、受験勉強は人生において貴重な経験だった。なので今日は受験ネタである。
今日書く内容→受験勉強を通して得た学歴より重要なこと・これからの社会・まとめの3点である。
大事な箇所は太字にしているので、興味のあるところだけをサクッと見てくだされば。
目次
受験勉強を通して得た学歴より重要なこと
勉強する習慣が身につく
まずは勉強する習慣が身につく点である。受験というのは長期的なスパンで勉強を継続させていかなければならない。
なのでその苦しさゆえ、途中で放棄する人も少なくない。ほぼ毎日勉強とか、正直いってつらい。
いくら勉強が好きであっても毎日積極的な気持ちで受験勉強をするのは難しい。浪人生とかは本当にしんどい毎日を送っていると思う。
(でも勉強に楽しさを見いだせた人は完全な勝ちレースを歩む)
なので自分の性格的なこともわかったうえで勉強を進めていかなければいけない。
途中で放棄することは絶対にできない。でもかと言って、毎日全力で勉強をしてもどこかで息切れしてしまう。
そのサジ加減が難しいが、自分自身をコントロールしていかなければいけない。
ゆえにいかにして途中で息切れすることなく長期的に勉強を継続させていくかを必死に考えることになる。
難しい作業ではあるが、そういう経験をすることで、勉強する習慣を身につけることができる。
言ってしまえば自分のペースで勉強する習慣が身につく。
勉強のやり方を身につけられる
受験は勉強のやり方が適切でないと、勉強量に対する成果を得られない。
なので自分で試行錯誤をして、自分に合った勉強方法を確立させなければならない。
これは誰かが教えてくれるわけではない。予備校や塾、通信教材は良質な参考書や問題集を提供してくれるが、受験生に合った勉強方法は教えてくれない。
というか、人それぞれ自分に合った勉強方法は異なるのだから、教えようがない、というのが実情だろう。
確かに「こんな勉強方法があるよ!」みたいに紹介はしてくれるが、それが自分に合っているかはわからない。
勉強方法が確立できないと、どんなに良質な参考書や問題集をやっても、知識を身につけられない。
勉強方法を確立しているA君と勉強方法が確立できていないカオスなB君がいるとしよう。
その二人が『DUO』(英語の例文が載りまくった単語集)を使ったら、どちらが結果を出すのかは明らかである。
勉強方法を見つけ、それを確立することは難しい。でもいったんそれができるようになれば、あとはそれに則って勉強していくだけでいい。
最初は苦しいが、後々大きな恩恵を受ける、と言えよう。
勉強方法を身につけると、受験後の人生でも役に立つ。
筆者は英文科を卒業したが、大学の授業で単位を落とした科目は1つもなかった。英語系の授業に関してはB以下の成績を取ることはなかった。
確かCだったのは一般教養の授業の1つか2つだった。
これは大学時代の話である。
でも、大学時代だけでなく、現在の仕事でも、勉強方法を確立できたことは大変役に立っている。
現在私はプログラミング言語の勉強をしている最中だ。プログラミング言語はめちゃくちゃ難しい。
でも受験の時の経験が生き、自分なりの習得の仕方がある程度見いだせたのでそれに則って身につけられている。
したがって、勉強方法を身につけると後々の人生で大変役に立つ。
諦めない精神が身につく
受験勉強というのは努力の方向性が正しければ、報われやすいものである。
なのでたとえ勉強がつらくても、継続させていけば、第一志望に合格するかはわからないが、必ず何かしら結果がでる。
それに失敗したとしても浪人して翌年再チャレンジすることも可能だ。
(経済的理由で浪人ができないということも人によってはあるが、ここでそれを書くと本記事の趣旨からはそれるので書かない。)
諦めない精神を持つことで、「自分の望むものはラクをしては手に入らない。でも必死こいて努力すれば手に入る」という感覚を持つことができる。
昨今は根性論が否定されがちだが、手に入れるのが困難なものは根性がなければ、手に入れることができない。
ただ、ブラック企業とかで持ち前の根性を発揮しても社畜になるだけなので、そこはとっとと見切りをつけ「損切り」をして転職するなり独立するなりしよう。
リテラシー能力が格段に高くなった
受験勉強でリテラシー能力(読み書き能力)が高くなった。
読解力が上がったとか、論理的思考が身についたとか、確かにそれもある。
でも、今の社会状況、自分の状況を客観的に考えられるようになったというのが非常に大きい。
具体例を出すと、酒やタバコ、ギャンブル、ケータイのゲームなど自分にリターンがないものは一切手をださない。
行列に並ぶ・満員電車に乗る・歩きスマホをするといった自分にとって有害なことは一切しないなど。
受験勉強の内容それ自体とは関係がないが、物事を冷静に、客観的に考えられるという点は受験で身についたと思っている。
なので、受験勉強によってリテラシー能力が高まり、人生で損失を被ることには手を出さなくなった。
もしリテラシー能力が低いままだったら、今頃前職、前前職のブラックな環境から抜け出せなかったと思う。
ブラック企業はリテラシー能力が低い、かつ強い忍耐力を持つ労働者から時間とお金を搾取して成り立っているから。
これからの社会
学歴は重要ではなくなる
現在でもそうなりつつある。現在進行形。
確かに学歴は信頼を相手に持たせるという意味では重要である。それにイヤらしい話ではあるが、モテるし、世間ウケもよくなる。
私はモテないし、世間ウケはあまりよくないが。
全然関係ないが(なので興味なかったら読み飛ばしてください!)、私は北海道出身である。北海道民にとっては北海道大学に行くことはイコールエリートを意味する。
特に札幌南高校や札幌北高校→北大だともう神。
(筆者は違うが)
住んでいる地域がク〇田舎であればあるほど、北大合格でもてはやされる率は高くなる。なぜならそもそも大学の情報自体が少ないから。
悲しいことにそういう大学の情報が少ないク〇田舎な状況だと、一橋や東工大に合格しても、みんな知らないので、北大に合格するインプレッションと比べればかなり低くなる。
私の地元のマイルドヤンキーに「オレ、一橋大学!!」と言っても、彼らはそれを理解しない。
「一橋」という事実よりも「大学生」という事実に感動する。
悲しいことである。
で、話を戻すと、確かに学歴は人に信頼を与えるという意味では重要ではある。
でも、受験以後、勉強することを放棄し、流れに身を任すままに生きていたら、組織の奴隷となる。
そして「高学歴」という人生のプラチナチケットは効力を失い、その人はただの人になる。
逆に学歴がなかったり、そこまで学歴が高くない人であっても、自分なりの勉強スタイルを確立していて、それを継続させえいけば、人生においてかなりのチャンスが巡ってくる。
今はネットやSNSの発達があるのでもはや言うまでもない。
努力を放棄する人と継続する人、どちらにチャンスがあるかは明らかだ。
学歴社会ではなく、学力社会になる
そういうわけで学歴のみで輝かしい未来を得ることは今後できなくなる。
重要なのは自分で考えて行動し、主体的に勉強すること。私はそう考える。
まあそれでも伝統的な会社は相変わらず学歴採用を続けるかもしれない。
でも結局そういう会社は硬直化してくだらない不祥事を起こすような気がする。というか報道を見ていればそういう類いのニュースが多い。
学力社会の顕著な例として、ブロガーやユーチューバーの台頭がある(といっても結構みんな高学歴だが)。
相対的に高学歴な人が多いけど、根本をたどっていくと、自分で考え、試行錯誤ができ、それを行動に移せる人たちが第一線で活躍している。
このことからもわかるように、学歴は単なる飾りであって、重要なのは自分で勉強して行動できる人が生きぬくことができる、ということである。
まとめ
受験勉強で得たのは勉強する習慣及び自分なりの勉強方法である。そして諦めない精神。
それらは現在の自分の人生に絶大なる影響を与えている。
で、これからは学歴があるのみでは安定した人生は送れない。自分で積極的に勉強してそれを身につけ、行動できる人が周囲に差を付けられる。