Sakuはゆるく生きる

外国語系の記事が多くなりそうです。

何もしない時間を作らないことによって生じる3つの問題点

 今はやることが多い。学生なら勉強、部活、生徒会、社会人なら仕事とか仕事とか仕事。

 

 で、部活・勉強・仕事だけでなくLINEやTwitter、インスタなど、もうとてつもなく、we have many things to doだ。

 

 うへ~押しつぶされてしまいそう!

 

 テクノロジーの発展によって私たちはもっと生活がラクになるはずだったのに、かえって忙しくなっている。

 

 皮肉なもんだ。

 

 だから、そういう時代だからこそ何もしない時間が重要となってくる。

 

 今日書く内容→何もしない時間を作らないことから生じる問題・何かをし続けることの末路・まとめの2点

 

 大事な箇所は太字にしてあるので、太字の箇所を中心にサクッと読んでもらっても大丈夫です!

 

目次

 

 

何もしない時間を作らないことから生じる問題

1.何もしない時間を作らないと自分の生活・性格が破たんする

 何かをするというのはコストがかかる。金銭面はもちろん、仕事をする、勉強をする、モノを消費する、購入する、SNSをするなど。

 

 まあ仕事、勉強、SNSの発信は習慣化してしまえば、ラクではある。そういう人もけっこういるだろう。

 

 でも、習慣化しても必ずめんどくさいと思う時がある

 

 筆者もそこそこ継続的にブログを書いているが、たまにめんどくさいと思う時がある。

 

 そういう時は少し休む、というのが模範解答だ。

 

 疲れたら休む。そして疲れが取れたらまた再開する。

 

 この繰り返しによって継続はできる。

 

 でも、私たちは「とにかく休むことなく続けなければならない」という強迫観念めいたものがあるように感じる。

 

 私はブログをさぼるとアクセスが株価のごとく急降下するので、継続している。

 

 うぎゃー。

 

 でも、そういう心境の中で物事を無理に継続していくと、生活が乱れ、自分自身を見失ってしまう可能性がある

 

 とにかくやらなければならない!それをやるためには他の活動は犠牲にしなければならない!

 

 もう人になんてかまってられるか!

 

 そういう負のサイクルにハマり、焦りと不安で常に何かをする日々を送ることになる。

 

3.常に何かをし続けることで、自分に余裕がなくなり、他者に不寛容になる

 自分自身が何かをし続けている人間になっているので、なんにもしない人間には不寛容になる

 

 何かをし続ける人の典型的な例として、都会住みの、仕事に忙殺され、ブラック企業で消耗しているビジネスパーソンが挙げられる。

 

 彼らはとにかく人に対して厳しい。電車の中で子供(おそらく就学前)が泣こうものなら、露骨に不快な表情をするし、人によっては舌打ちをする人もいる。

 

 居酒屋で忙しくなく、厨房で談笑しているアルバイトにも厳しい視線を向ける。

 

 でも、子供(就学前の)は泣いてなんぼのものだし、「公共交通機関の中で泣いてはいけない。だから我慢しよう」という理性的判断を働かせる子供がいようものなら怖すぎだ。

 

 居酒屋で暇だったら、別にやることがなくても仕方がない。

 

 いちいち何もしない人たちに向かって厳しい視線を向けたところで何のメリットもない。

 

 それでも他者に対し、厳しくなるということは何かに追われて、何もしない時間をつくれていないことを表している。

 

3.消費社会に踊らされる

 何もしなければ金を使わずにすむ。家でゆったりくつろいだり、外を散歩したり。

 

 今はあまりに消費過多な時代だ。特に日本は、至るところに欲望を喚起させ、モノを買わせようとする広告などが溢れている

 

 その結果多くの人は消費をしないことに焦り、必要ないものを買ったり、特に気分が上々でもないのに無理にSNSリア充アピールをしようと躍起になる。

 

 

 まあでも生活費的な出費を除けば、そんなに買うものはないし、SNSで無理に発信しなくても人生終わるわけではない。

 

 インスタをやらなくても充実した人生は送れるのに、なぜかそれをやることが「充実した人生を送るための必要条件」みたいになっているフシがある。

 

 筆者はインスタはやっていない。ツイッターもあくまでブログに活かすためのツールとしてしか考えていない。

 

 何かをし続けなければならないというのは、何かを買わなければいけない、何かを発信しなければいけないという思考になり、結果この資本主義経済に踊らされることになる。

 

何かをし続けることの末路

思考停止になる

 「何かをするという行為は、考えることを必要としているんじゃない?」と思う人もいるだろう。

 

 確かに初期の段階ではまだ考える力がある。この商品はどれほどのパフォーマンスをもたらすのか?価格は妥当か?など。

 

 でも次の段階では考えることよりも買うことの欲望が強くなる。ずっと消費をし続けていたなら。

 

 そして今度はみんなが持っているから自分も、という思考になり、結果思考停止になる。

 

 で、最初は自分の考えでモノを買っていたのが、周りが持っているという理由でモノを買うことになる。

 

 これは商品を買う例だが、ソシャゲとかもみんなやっているから乗り遅れるのはイヤという理由でやっていることを考えれば、本質は同じだ。

 

 何かをし続けるというのは、思考が停止してしまう危険性をはらんでいる。

 

まとめ

 現代ではあまりにもやることが多すぎる。なので何かをすることが当たり前というのが暗黙の了解みたいになっている。

 

 でもそれが罠であり、無理に何かをし続ける結果、時間と金がなくなり、果ては思考停止になってしまう。