皆さん学生時代、塾とか予備校に行ってたりしました?
中には一貫して自分で勉強していた人もいると思いますが、多くの人は塾や予備校に通ってたりしていたのではないでしょうか。
私も学生時代、塾や予備校に行っていましたね。まあでも最終的に卒業した大学は独学で合格したのですが…。
考えてみると、塾や予備校って実は一番理想的な教育を実現していると感じます。
確かに費用が高かったり、やたら競争原理が機能しすぎて生徒が疲弊してしまっているという問題も確かにあるのですが。
でもそういうこと抜きにして考えてみると、私たちは塾や予備校の教育に学ぶべきことが多くあるんですよ。
今日はそんなことを書いていきます。
目次
塾や予備校が優れている理由
生徒の学力に合った授業を展開
塾や予備校って学力に応じたクラス分けであったり、個別指導であったりと、生徒の学力に合った授業を展開してるじゃないですか。
だから当然のことながら、その生徒の学力にマッチした授業を展開することができる。
生徒の学力にマッチした授業を展開できるから、効率よく苦手を克服して得意分野を伸ばすことができる。
生徒もそれで「勉強ができる!」みたいな気持ちになって学習意欲が高くなる。
言ってみれば正のスパイラルを作ることができる、と言えます。
確かに中には本当に勉強が嫌いでなかなか成績が伸びない生徒も一定数出てきますが、それでも「極端な落ちこぼれ」になるのを防ぐことはできます。
少なくとも学校の授業よりかは勉強の内容を身につけることができます。
その一方で学校はどうでしょう。
学校って私立はわかりませんが、公立の小中高は基本的には学力が高い生徒も低い生徒も同じ授業を受けることになります。
まあ高校に関しては偏差値である程度カテゴライズされているので、そこまで問題は生じないですが、小学校・中学校では勉強ができる子もできない子も基本同じ授業であることが多いです。
それってめっちゃキツくないですか?
だって、いつもテストで100点しか取らない生徒も、いつもテストで50点ぐらいしか取れない生徒も同じ授業を受けるんですから。
そうなれば明らかに理解度に差がでますよね。
教師だって大変です。様々な学力の生徒が混在する中で、彼らにとって「一応」はベストな授業を展開しなければいけないのですから。
テストで100点取りまくりの生徒とテストで50点ぐらいしか取れない生徒もいる中でどうやってベストな授業をすればよいのでしょうか。
確かに、「そういう状況であってもベストな授業をするのが教師の腕の見せ所」と考える人もいると思います。
でも明らかに効率が悪いです。
というか満点オンリーの生徒と半分程度の得点しかできない生徒だったらまだマシですよ?
さらに本当に勉強がムリゲーで0点に近い生徒だっているんですから。
本当に様々な学力の生徒がいる中でベストな授業をするのって、心掛けとしては重要だと思いますが、現実的には難しいです。
そういう現実を考えると、生徒の学力に合った授業を展開してくれる塾や予備校って理想的な教育だと思うんですけどね。
講師の質が高い
塾や予備校って民間だから、当然競争原理が働くわけじゃないですか。
競争する中で勝つためには授業の質を高め、進学実績を上げなければいけない。
それを実現させるために、勉強を教える能力が高い講師を選別しなければならない。
で、そういう講師が生き残っていく。
優秀な講師が生徒に勉強を教えるから、生徒も効率よく学力を伸ばすことができる。
教育の理想を実現していますよね。
でも学校だと、私立はわかりませんが、公立だと教師のアタリハズレが多いんですよね。
確かに真面目で熱心で親身になって勉強を教える教師もいます。
でも、一方で、公務員という身分なので(ここでは公立の教師を想定した上で話を薦めます)、「安定」目的で教師になっている人も一定数いるんですよね。
公務員なので、もちろんヘタに授業をしようとしなかろうと、生徒の成績を上げようと上げなかろうと、クビになることはありません。
そういう「甘い蜜」にすがり、クソみたいな授業をする教師もいるわけですよ。
いや、繰り返しますが、ちゃんとした教師の方もいますよ!
でも公立に関しては真面目な教師とクソ教師が混在しているんですよ。
その点、塾や予備校の講師は教える能力が高いこと、生徒に親身になる人しか生き残れません。理論上は(まあ塾とか予備校でもクソな人はいるんですけどね)。
それに学校の教師って勉強を教える事以外にもやること多いです。部活とかモンスターペアレントやモンスタースチューデントの対処とか。
部活とかはマジで大変ですよね。ただでさえ部活とか時間取られるのに、それに加えて自分のやってきた競技とは全く畑違いの競技の部活を担当してしまうリスクもあります。
つまり、今まで野球しかやってこなかった先生が、その学校の一存で囲碁部とかやらされる可能性もあるわけですよね?
(それはあまりにも極端ですが)
逆に将棋一筋だった教師がサッカー部とかの顧問させられる危険性もあるわけです。もしその教師がスポーツ音痴だったらマジで地獄ですよ。
(それも極端だが)
まあ言ってしまえば、自分の担当する教科の勉強に時間が割けないわけですよ。
そりゃあ授業の質を上げるのは難しい。
そういうわけで、予備校や塾の講師は競争原理の中で生きているので、必然的に質の高い授業を展開でき、かつ純粋に勉強を教えることに集中することができるのです。
学校は勉強をする場所ではない!?
学校は社会を知る場所
学校が理想的な教育を実現してないことを知ると、「そもそも学校って勉強する場所として適切じゃなくね?」と思う人もいるといるでしょう。
そうなんですよ。
学校って勉強する場所としては色々問題あるんです。
たぶんコストはかかるし、100%理想的な教育を実現することは確かに難しいけれども、やろうと思えばある程度は塾や予備校的な教育ってできると思うんですよ。
でもそれをやらない。
じゃあ仮に学校で塾や予備校のような「学力に応じたクラス分け・優秀な教師の選別」を100%実現することができたらどうなるでしょうか?
抽象的に言うと、社会が見えなくなります。
例えば、学力が優秀な生徒と優秀でない生徒を選別すると、学力が高い生徒は自分のいる場所が現実であると思い込んでしまいます。
つまり、勉強ができない生徒がいることを理解できなくなります。だって周りが学力優秀な人しかいないんですから。
優秀な教師だけにするとどうなるでしょうか。
まあそれが理想ではあるんですが ww
生徒たちは「世の中には素晴らしい大人しかいないんだ!!」というピュアな心の持ち主になってしまい、マジで『世界には愛しかない』みたいな欅坂みたいなことになってしまいます。
これがマズい。本当にマズい。
世の中とかマジで救いようのないクソ野郎の方が多いじゃないですか。
居酒屋に行ったら、ため口で「生!!!」とかいうビジネスパーソンもいるし、カラオケで酒に酔ってスーツ取っ払って全全全裸になって全力少年になるクソなビジネスパーソンはいるし(これは大学でやってたカラオケのアルバイトで出くわした)。
もう世の中クソ人間であふれているんですよ。
それなのに、清廉潔白で素晴らしい教師だけにしてしまったら、ゴミなやつに対する免疫ができないんですよね。
なので、100%優秀な教師のみを選別してしまったら、それはそれで弊害が起きるわけです。
したがって学校は勉強する場所というよりかは社会を勉強する場所なんですよね。
社会を知ることの重要性
社会を知るということは重要だと思います。
学校の例で言えば、学力が優秀な子もそうでない子も共存することによって、いろいろなことがわかるわけです。
世の中には勉強ができる人もいればそうでない子もいる。いや勉強は得意でなくてもスポーツが得意であったり、芸術に造詣がある人もいる。
コミュ力が高い子もいれば、口下手な子もいる。
いや能力の問題に限らず、各家庭の貧富の差などもわかるわけです。
医者の家庭で裕福な人もいれば、生活保護を受給して暮らして、生活に困窮してる人もいる。
そういうことがわかるんですよね~。
まあ生徒の例にとどまらず、教師の問題でもそうじゃないですか。
良い先生もいれば、クソみたいな教師もいる、みたいな。
そういう事実を知ることって大人になってから特に重要になってくる気がします。
今後の日本の教育はどうなるか
学校と塾・予備校の役割は別々
今は大人たちの無邪気な机上の空論によって大学受験のシステムが変わるような方向になっていますが(本来変えるべきなのは受験のシステムではなく、教育現場だから)、日本の教育事情はあまり変わらないように思えます。
まあ要するに学校という場所では社会を学び、勉強は塾や予備校、あるいは独学でやる、ということです。
今まで書いてきたことから、なかなか学校で理想的な教育を実現させるって難しいんですよね。
それなりにコストもかかりますし。
なので「学校と塾・予備校の奇妙な両立」は今後とも続いていくでしょう。