何日か前に人生の変化を受け入れる覚悟がある人者のみ、願いを叶えられるという記事を書きました。↓
でも、願いが叶うか叶わないか以前に人生が変わらないのってそもそもあり得ないです。
世の中は常に変化しています。人類の歴史が始まってから今に至るまで常に世の中は変化しています。
昔は京都、大阪から東京への移動手段が徒歩だったのが、今では新幹線や飛行機になっているし、連絡手段が手紙だったのが今ではスマホ1つで済ますことができます。
ビジネスの連絡手段が電話やファックスだったのが今ではメールやライン、slackなどになっています(それでもいまだにJapanはファックスや電話をやたら使う会社もあるが…。ファックスはさすがにやばいだろ…。私はFAXをfu〇kの複数形だと本気で信じている)。
こういう風に世の中は常に変化し、それと同時に人間の生活も変化しています。
それなのに安定した人生、つまり変化のない人生って一体何なんでしょうかね?それって正しい選択なんですかね…?
とりわけ日本の社会ってそういう「安定」を選ぶ傾向がかなり強いじゃないですか。
大学卒業後に起業したり、就職せずニートやフリーターになって様々な経験を積む人ってあんまりいないですよね。日本は。
本来はそういう人がもっと多くて良いはずなのに、「新卒切符」を逃すのを恐れ、皆どこかしら就職先を選ぶ。私も結局そうしてしまいましたが…。
もっと言うと、良い大学→良い企業みたいな考えがまだまだかなり強い。
確かに今は終身雇用が崩壊しつつありますが、それでも日本人の安定思考は根強いように感じます。
ネットとか見てたら「離職率が低い企業ランキング」やら「給与が高い企業ランキング」やらそういうク〇みたいなランキングがめちゃくちゃありますし。で、多くの人はその記事に煽られて動揺する。動揺し学生時代の友人が勤めている会社の給料が高いことやホワイトな労働環境に焦りまくる。
で、自分が望むと望まざるとに関わらず組織の中で生きていくことになる。
その後は流れるままに身を任せ「安定」した生活を送る。
会社を辞める、起業をする、という考えが脳裏にチラつきつつも行動には出ない。
そういう人が圧倒的多数を占めている。
「安定」に身を任せた生活をするとどうなるか。
それはもう変化のない人生を送ることになります。
世の中は常に変化している一方で、自分自身は変化のない生活を送る。
平日起きる時間も、土日の過ごし方も、みんな一斉に長期休暇(GWとか年末とか)のもほぼ同じ。
でも、そういう生活を何年もするってマジでキツくないですか??
というか私自身が結構今キツく感じ始めているんですよ。
生活リズムが固定された生活ってマジでしんどいです。
だって景色がほぼ変わらないんですよ!
なのであと何年かしたら次のステップに移行しようかと本気で考えています。
確かに会社員という身分なので一応「安定」はしています。ちゃんとまとまった給料は支払われていますし、土日祝日は休みですし。クレジットカードは作れますし、物件だって借りることができます。
でも、変化のない生活って本当に味気なく感じます。
アレです。生きることのバイタリティーがなくなっているような気が…。
不謹慎ですが、電車の中のビジネスパーソンを見ているとみんな同じ雰囲気なんですよね。スーツを着て、イラついた顔でスマホをいじったり…。表情も画一的。
そういう光景を見ていると本当に耐え難い苦痛を感じます。
変化のない人生、つまり「安定」に身を任せた結果、活力を失ってしまった…そんな感じがするんです。
変化のない人生を選択するということは、言ってみれば人生の退化を選択しているのと同じだと思います。
そもそも人生って不確実なものじゃないですか。将来何が起こるかわからない。
生きる過程で確かにリスクもあるだろうけど、だからこそ面白いと思うんですよ。
それを「安定」という言葉で将来を固定させてしまったら、人生におけるチャンスがなくなってしまうように感じます。
チャンスを逃すってマジでもったいなくないですか。
人生はたった一度しかありません(輪廻転生とかそういうのはなしで)
たった一度しかない人生を「安定」に飼いならされるなんて私はまっぴらご免ですね~。
自分でその「安定」を選ぶのなら問題はないと思うのですが、「社会一般の流れだから」という理由で選択するのは好ましくないです。
変化のない人生に身を委ねると、急激に老化が始まります。老化は年齢の問題でも食っているメシの問題でもありません(なくはないですが…)
老化というのは自分自身で何もしなくなった時に始まるものです。
自分で何もする必要がないのですから。
そう考えると人生に変化がないのって不幸じゃないですか?
みなさんは変化のない人生と変化のある人生、どちらを選びますか…?
今日はこの辺で。
以上。