世の中あまりにも意識が高い人が多い(意識高い系もまぎれていますが…)。SNS界隈を見ても、そのこと(=意識高い人が多いこと)が顕著にわかります。
Twitterを開いたら「月収数百万円稼いだぜ!」やら「会社なんて辞めて独立した!」やら、とにかくストイックな人たちで満ち満ちているんですよね。
いや、それ自体は別に悪いことではないと思うんですよ。目標を達成できたということは本人のたゆまぬ努力の結果なのですから。
私が心配しているのは、世の中がそういう意識高い人たちだらけになってしまい、人生目標を持たずにゆるーく生きていきたいという人たちに厳しい視線が向けられてしまうことです。
現にTwitterを見ていると、意識の高い人が「目標を持たないで生きるのはクソ。マジで生きる意味ない」みたいなことをツイートしているんですよね。
目標を持たないでゆるふわに生きることって悪いことなのでしょうか。
目次
目標を持たないゆるい人生を送るのは悪いの?
結論
ということでいきなり結論。と言ってもこれはあくまでも意識低い系男子の私の見解ですので、必ずしも正しいとは限りません。まあむしろ間違っているのかも。
目標を持たないゆるい人生を送るのって、全然悪いことではないです。
最初でも似たようなこと言いましたが、今って意識低い人に対する風当たりがものすごい強いじゃないですか。別にSNSに限らず、PRESI〇ENTO〇LINEや自己啓発の本とかも「仕事のできる人とできない人の違い」、「できるビジネスパーソンは…」みたいにやたら煽ってきます。
こりゃゆるく生きていきたい人たちは肩身が狭いですよ。日本は「一億総ストイック社会」になっているのですから。
当たり前ですが、全ての人間が日々をストイックに生きたいわけではない。
平日は勤勉に仕事にいそしみ、休日は自己研鑽を怠らない生活も結構だが、その一方で平日も休日もゆるーく過ごしたい人だっているはず。
にも関わらずストイック派が優勢になり、目標を持たないでゆるく生きたい派の人たちにとってはしんどい世の中になっている。
では今後このような風潮が続いていったら世の中どうなるのでしょうか。
目標を持ってストイックに生きる社会が正義になることの恐怖
他人に厳しい人間が増える
目標を持ってストイックに生きるということは、自分に対し、とてつもなく厳しくなることを意味します。
そういう生活を送ると、知らず知らずのうちに他人に対しても厳しくなっていきます。「自分に厳しく他人に優しく」という言葉がありますが、ぶっちゃけ本当にそんなことできるのか?と意識低い系の私は思ってしまいます。
自分に優しくなれない人間が果たして他人に対し優しく接することなんてできるのでしょうか。
それでも、自分に厳しくして成果を上げ、他人に優しく接することができる人もいますが、そういう人だって適度に自分に優しくしているように感じます。
徹底的に自分に厳しい人間は他人に対して優しくなれないです。
で、そういう自分にも他人にも厳しい人間が大量に増えると、社会的弱者に対しても冷たい眼差しを向けるようになる恐れがあります。
・できない自分が悪い。
・稼げないヤツが悪い。
・貧しくなってのは自己責任
おそらくですが、こういう考えを持つ人間が増えるのではないかと思います。というか現に日本は上記の考えを持っている人が結構多い気が…。
自分に優しくなれない人間が他人に優しくできるはずがありません。
視野が狭くなって人生詰む
当たり前ですが、目標を持ってストイックに生きることだけが人生ではありません。
適当に生きることだって人生です。時には諦めたり、撤退したり、休むことも必要です。
人生は多様性に満ちています。全ての人間が同じような人生を歩むわけではありません。世の中は私たちが思っている以上に色々な人がいます。ニートをやっている人やヒモな人だってきっといますし。
それなのに、「目標を持ってストイックに生きることが正義!」という考えに固執していると、世の中には色々な人生を送っている人がいることを自覚できなくなってしまいます。
結果視野が狭くなる。
視野が狭くなるとどうなるか。自分の人生の選択肢も狭まっていくでしょう。
生きていれば様々な生き方があるのに、ストイックに生きることのみを選択してしまう可能性がある。そうなると、もし目標が達成できないという事態になったら人生詰むと思います。
そう考えると目標を持って厳しく生きるというのは、融通が利かないんですよね。
ストイックに生きるというのは一見すると、正しいように思えるのですが、実は思わぬ落とし穴があります。
まとめ
世の中は「一億総ストイック社会」ですが、目標持たず人生ゆるく生きるのも全然アリです。
ストイックマンになると他人に厳しくなったり視野が狭くなったりと厄介な問題が生じます。
以上