Sakuはゆるく生きる

外国語系の記事が多くなりそうです。

人生に絶望した者は幸いである。

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 人生に絶望する、というともはや救いようのない、どうしようもないことだと考える人が多いと思います。というか絶望から立ち直ることはあっても幸せを見出すという発想自体ありえないかもしれません。

 今日書くのは人生で絶望することは、実は幸せなことであり、幸運なことだよーという内容です。

 

目次

 

 

人生に絶望する時

 世の中には人生に絶望したことがない、挫折したことがないリア充がいる一方で、何らかの原因で人生に絶望する人がいます。

 絶望するパターンは様々であり、受験でうまくいかなかった、就活でうまくいかなかった、恋愛がうまくいかなかった、職場の人間関係や上司がfu〇kだったなどがよくある例でしょう。

 人によっては上記のことだけでなく、身内の不幸や家庭の経済的な問題、大学に行きたかったけど経済的理由で断念したなど、本当に立ち直れないくらいの絶望を経験した方もいるかと思います。

 また人生に絶望することで自ら死を選ぶ人も世の中にはいます。

 

 人生で絶望する。

 メンタルが強い人ならばすぐに立ち直ることもできるでしょうが、多くの人はすぐに立ち直ることなんて到底無理でしょう。

 まあ後々幸せになり、「あの時の経験が今の幸せな人生につながっている!」と言う人もいますが、それは結果幸せになったから言えることであり、幸せになっていなかったらどうなっているんだっていう感じです。

 

 結局のところ、人生で絶望する経験なんてしない方がいい!というのが総意ではないでしょうか。

 でも生きていればしばしば絶望的な状況に出くわしてしまうんですよね。

 絶望は避けられない。

 

 ではどうするか。

 これはもう絶望の中に希望を見出すしかない。

 

絶望は幸せの始まり

 絶望は幸せの始まり

 こう書くと今人生に絶望している人は強い怒りを感じると思います。

 あまりにも耐えがたい経験を今しているのに、それを幸せだなんてこんなふざけた発言はないからです。

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 でも本当に人生の絶望は幸せの始まりなんです。

 なぜか。

 それは人生に絶望することで、この世界がいかに腐っているか、ゴミなのか、救いようのないものかがわかるからであり、そのクソみたいな世界にいる人間がいかに醜いか、傲慢か、哀れかがわかるからです。

 絶望のショックが大きければ大きいほど、より深く世界のクソ具合を理解することができます

 そもそも本当にこの世界、そこで生きている人間ってクソじゃないですか。

 クソだから戦争(というより今は紛争)がなくならないのだし、環境をガンガン破壊するのだし、犯罪に手を染める人間はいるし、労働者をモノのように扱うブラック企業が蔓延るんですよ。

 この世界は希望よりも絶望することの方が多いです。もし世の中が希望に満たされていたら、とっくに戦争や紛争なんてなくなっていますし、犯罪に手を染める人間なんて出てきませんし、ブラック企業はつぶれ、ベーシックインカムが普及し、国民はみなハッピーになっています。

 でもそんなユートピアなことは起きていない。世界は本当にクソ。この事実を知ることができたというのは人生において最大の収穫じゃないですか。

 

 ヤバいのは人生において絶望や挫折を一切経験しないことです。絶望や挫折を経験しなければこの世界、この人間がいかに愚かかを理解することはできません。

 挫折・絶望経験がないまま生きると、意識高い系リア充キャピキャピクソ野郎になってしまいます。

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 挫折・絶望した経験がない、というと確かにうらやましく感じるかもしれません。でもこの世界の真理(つまりこの世界・人間はクソ)を知らないまま生きることになるので、視野がとても狭くなる。

 視野が狭い意識高い系リア充キャピキャピクソ野郎の行動様式や発言というのはとてもとてもとても薄っぺらい。それはSNSを見ても明らかです。特に今はツイッターやインスタなどがあるから、その薄っぺらさが大胆に可視化されている。

 彼らは行動することが正義、儲けることが正義、会社を辞めることが正義、目標を持たないのは悪、ゆるく人生生きるのは悪、というような極端な二元論的思想を持っているので、融通が利かない。

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 そう、行動様式や発言や思想があまりにも極端で薄っぺらいので、人生そのものが薄っぺらい。一見すると人生が充実しているように感じますが、その実とても狭い世界で生きているんですよね。

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 その点、人生で絶望した経験を持っている人は強い。意識高い系リア充キャピキャピクソ野郎よりも人生経験が深くなっているので、世界を客観的に冷静に見ることができる。世界を冷静に客観的に見ることができるので、人生の数ある選択肢の中から、何が自分にとって最善なのかを考えることができる。

 人生に絶望する前と後では明らかに、その深みが変わっているんですよね

 人生に絶望して命を絶ってしまう人がいますが、とんでもない。絶望は幸せの始まりなのです。絶望を経験した分、その後の人生は一層楽しく充実したものになります。

 人生に絶望することで、この世界、そこに住む人間がいかにクソで愚かであるかを理解できます。

 人生に絶望することで、この腐った、穢れた、救いようのない世界・人間を冷静に、客観的に見ることができるようになり、何が自分の人生にとって幸せをもたらすのかがわかるようになります。

 絶望は幸せの始まりです。

 

絶望を経験せずに幸せにはなれない

 ということで、人生幸せになるためには絶望を経験することが必要になります(自分から積極的に人生絶望しにいくのは間違っていますが…)。

 絶望を経験することはその時はあまりにも耐えがたく、苦痛であり、この先生きるこことに希望を見いだせず死にたくなりますが、その絶望は未来の幸せにつながります。

 絶望・挫折をしたことのない意識高い系リア充クソ野郎どもは自分の幸せを見つけることができません。彼らの幸せは結局のところ、世間様の用意した「常識」に沿ったもの、「映える」ための幸せにすぎません。

 自分で熟慮して見出した幸せではないので、いつまでも満足しないまま人生を謳歌することになります。満足できないからしきりにSNSなどで「会社勤めはバカ」だとか「目標を持たない人生はアホ」などと騒ぎたてるのです。

 自分の人生を生きているようでいて、実は他人様の猿マネの人生なんですよね。

 

 そんな人生を送りたいでしょうか?

 絶望は自分自身で人生の幸せを創りだすために必要不可欠なのです。

 

まとめ

 人生に絶望するということはその時はつらくて耐え難いです。

 しかし、絶望を経験することによってこの世界・人間のクソ具合を理解することができます。そして、世界を冷静に客観的に見れるようになります。

 その結果、自分自身で自分にとって望ましい幸せを創りだすことができます。

 人生で挫折や絶望を味わったことがない意識高い系リア充キャピキャピクソ野郎は世界を知らないのでとても視野が狭いです。視野が狭いので、小さな世界で生きることになります。

 絶望のない人生は確かに苦しみは伴わないですが、その分満足度は低いでしょう。

 世間様が用意した「幸せ」と自分で作り上げる「幸せ」どちらが良いでしょうか。

 

 

 以上