Sakuはゆるく生きる

外国語系の記事が多くなりそうです。

自分の心に嘘をつくほど、人生は最悪の方向へと進む。

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 日本人は、自分の心に嘘をつくのが得意だと思います。それを世間では「協調性がある」とか「和を乱さない」などなんとも美しい言葉でごまかしているのですが…。

 

 自分の心に嘘をつくのは他人に嘘をつくのと同じぐらい罪深いです(嘘の度合いにもよりますが。例えば相手の作ったメシが露骨にマズいのにおいしい!と言うのは社交辞令上必要な嘘でしょう)

 

 

 

自分の心に嘘をつくとは?

自分の考えを押し殺す

 そもそも自分の心に嘘をつくとはどのような行為なのでしょうか。

 1つには自分の考えを押し殺し、相手の考えを全面的に肯定することです

 

 例えば、イエスかノーかで答えるAという問題があったとしましょう。

 自分はそのAという問題に対してイエスという見解を持ったのに、相手がノーと言った途端にそれが正しいと考える。

 で、ノーという人の数が多ければ多いほど、もはや自分のイエスという見解が間違いだと思い込む。

 まあもっと身近な問題にフォーカスすると、ランチへ行った際、自分は魚を食いたいのに、周りの人間が肉を食いたいということになれば、自分も肉を食うということになります。

 確かに周りの意見に耳を傾けるのは大事ですが、あまりにも意見に耳を傾けすぎるあまり、自分の考えを押し殺してしまったら、それは自分の心に嘘をついているということになります。

 上記の例を考えてみると、私たちは結構自分に嘘をついているように感じます。 

 ほんのささいなことでも、それが蓄積されていけば、取返しのつかない事態になります。

 全ての状況において自分の意見を通すことは難しいですが、それでもある程度は自分んの考えを尊重すべきです。

 

好きなこと、やりたいことを我慢し「世間体」を優先する

 自分に嘘をつくことのもう一つの例は、自分の好きなこと、やりたいことを我慢して「世間体」を優先することです。

 この例は進路を決める際によく起こります。

 

 自分(が中学生だったとして)は心底サッカーが好きで、高校もサッカーが強いところに行きたいとします。

 でも周りの人間(親や教師)が「いや。サッカーだけやっても『将来』どうなるかわからない。そんな不確実なものに情熱を注ぐよりも進学校へ行って勉強を熱心にやりつつ適度にサッカーをやればいい」と言えば、それに従ってしまうことが好きなことよりも世間体を優先することの例です

 絵を描くのが好きな、あるいは音楽が好きで芸大の進学を考えていたのが、周りの「『安定』した職につけるよう法学部や経済学部に行ったほうがいい」と言われ「安定」が確保された学部に進学するのも自分の好きなことより世間を優先することの例と言えます。まあサッカーの例と似ていますが。

 

 そうやって人は人生のターニングポイントで好きなこと、やりたいことを断念し、世間様にとっての「正しい道」へと進むのがスタンダードになっています。

 

 好きなことよりも「安定」を選んで幸せな人生を選んでいる人はどれくらいいるでしょうか。

 

自分の心に嘘をつき続けたらどうなるのか?

自分自身の思想・哲学がなくなる

 自分の心に嘘をつき続けると、私たちはどうなるのでしょうか。

 まあ最悪な結果になることは容易に想像つくでしょう。

 

 自分の心に嘘をつき続けると、自分自身の思想や哲学がなくなってしまいます。

 思想・哲学というとなんだか崇高なもののように感じますが、別にそんな難しいものではないです。

 例えば

 ・自分はどういうふうに人生を生きて行くべきか

 ・自分が目指すものは何か

 ・自分が好きなこと、やりたいことは何か

 ・それをやるためにはどうすればいいのか

 ・今の日本は本当に豊かなのか(物質的にではなく、精神的に)

 

 などです。最後の国が豊かとかはスケールが大きいですが、自分自身がより良く生きて行くためには必要な思考だと思います。

 

 言ってしまえば、自分自身の思想や哲学を持たなくなるということは、思考を放棄することを意味します。

 自分自身でものを考えるよりも周りや世間の行動様式をサルマネするようになる。

 

 思考放棄はある意味では幸せです。自分で考えなくても、人生を進めることができるのですから。

で、 国家が与えたもう「常識」を思考放棄した人々はありがたく頂き、それにすがって生きるようになる。

 

 自分自身の思想や哲学がなくなるというのはそういうことです。

 

自分が何者かがわからなくなる

 どんどんやばくなっていますね…。

 自分の意見を押し殺し、世間様が正しいという道を進む結果、自分自身の思想や哲学が滅失する。

 そんなことをしていたら、もう自分が何者かがわからなくなります。

 そりゃそうです。自分の意見を持たない、進むべき道は世間様の言うことに従う、そして思想や哲学を失う、もう自分のアイデンティティを形成する要素が何一つ残っていない。

 自分が何者かがわからなくなった状態で就活などでやる「自己分析」なんかやってももうますます意味がわからなくなるだけです。

 自分で自分が何者かがわからなくなるって私たちが思っている以上に恐怖だと思います。

 

結果、人生が破滅する

 で、自分自身が何者かがわからなくなると、その先にあるのは人生の破滅です。

 思想や哲学がない状態ですので、そもそも自分でモノを考えることができない、それでいて自分が何者かがわからない、だからもう国家が提供する「常識」を頼りにして生きるしかない。

 

 でも国家自体がオワコンだったら…。

 自分もオワコンですよね…。

 

自分の心に嘘をつかないためにやるべきこと

自分の心に素直になる

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 私たちは意識しなければ、いつのまにやら知らず知らずのうちに自分に嘘をつきまくる危険性があります。

 そうならないためにもやるべきこと、意識するべきことは自分の心に素直になることです。

 書いていること自体はとてもシンプルですが、実際に意識している人は少ないように思います。

 

 自分の心に素直になるということは、自分の意見をしっかりと持ち、自分のやりたいことを明確に思い描くことです

 最初らへんでサッカーや芸術の話を出しましたが、自分の好きなことには妥協せず、周囲になんと言われても我が道を進む、というのが自分の心に素直になることです。

 進路のレベルで自分のやりたいことを断念してしまうと、「世間様に従う習慣」が根付いてしまいます。

 そうなってしまうと、繰り返しますが、自分の思想や哲学が滅失し、自分が何者かがわからなくなります。

 したがって、自分の心に素直になる、というのが自分の心に嘘をつかないようにするために必要な意識です。

 

人間関係の衝突を恐れない

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 自分の心に素直になり色々決めると、周りの人と意見の違いが生じ、時に衝突してしまうことがあります。

 衝突と言っても別にタックルをするとかそういうわけではありませんが…。

 

 まあ口論になったりするとかそういうことです。

 

 日本人は「和を以て貴しとなす」的な文化があるので、人と衝突することを恐れる傾向があります。これにおびえてつい自分の意見を押し殺して相手の意見を「尊重」していまうというあまりよろしくないことをしてしまいます

 尊重に「」をつけたのもよろしくないという意味でつけました。

 

 でも、ある考えに対して意見が異なるのって全然おかしなことじゃないです。

 ふっつーのことです。

 むしろ意見の違いがあるから新たな発見ができる。

 

 それなのに、衝突をハナから恐れて「和を以て貴しとなす」のは愚行でしかないです。

 というか意見が違うだけで激怒したりいじめをしてくる人間なんて関わらないほうがいいです。

 

 思ったことを言うのに、人間関係の衝突を恐れるのはもうやめたほうがいいです。

 

まとめ

 自分の心に嘘をつくと、自分自身の思想や哲学を見失い、自分が何者かがわからなくなります。

 結果、人生が破滅してしまう可能性があります。

 

 そうならないためにも自分の心に素直になり、人間関係の衝突を恐れないことが重要です。

 

 以上