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【読書・アウトプット】施光恒著『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』|日本の英語ブームが国家にもたらす3つの深刻な問題

 今の日本って(今に始まったことではないですが…)やばいぐらい英語英語英語の狂騒曲じゃないですか。

 受験では「英語を制する者は受験を制す」とか言われていますし、ビジネスの場でもやたら英会話ができることを重要視されますし。

 街歩いていたり、電車に乗っていたらとにかく英語に関する広告が目に入ってきます。

 本当は日本語の読解力がない人間が圧倒的に増えているので母語の教育がとても重要だと思うんですが…。

 

 で、この本。『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』

 

 タイトルは煽っているように見えますが、書かれていることは至極全うです。なぜ英語化が日本を愚民化に陥れるのかを歴史的背景、言語学的な背景から説明しています

 

 私が今日書くのは、現在の英語ブームが日本という国家にもたらす深刻な問題です。それを3点。

 

 

 

英語ブームが国家にもたらす深刻な問題

1.思考力の弱体化

 最初に挙げられるのは思考力の弱体化です。

 日本語が発展してきたのって翻訳のおかげなんですよ。

 

 今日本人が普通に使っている「哲学」、「科学」、「経済」、これらの言葉ってもともと日本語には存在しませんでした。

 

 じゃあどうやって上記のような言葉ができたかというと、

 明治期に夏目漱石やみんな大好き福沢諭吉さんが「science」、「philosophy」、「economy」という英単語を日本語に翻訳してできたんですよね

 結果、私たちは社会、哲学、経済を学ぶことができている。

 

 ごく当たり前のように思えるかもしれませんが、これって実はものすごいことなんでよ。

 哲学や科学、経済って母語(つまり日本語)でもその概念を理解するのは難しいです。

 もしそれらの単語(というか概念)を英語のまんま理解しなければいけなかったらどうなると思いますか…?

 英語ができない人はその概念に触れることすらできないはずです。

 

 日本語に翻訳したおかげで、哲学や経済の概念を完全には理解できなくても、なにげなく会話で使うことができているのです。

 

 もし英語の翻訳がされなかったら、私たちは今頃チョンマゲ姿で「いみじうらうたし」、「いかでかまいらん!」みたいな会話を(きっと)していたことでしょう。

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 というか、翻訳しなければ「company」も「company」のままだったので会社すら存在しなかったかも(それはそれで嬉しい)。

 

 つまり私たちが今、高度な思考をすることができているのは、明治期に偉人たちが英語を日本語に翻訳してくれたおかげなんですよね

 だから哲学や科学というものを知ることができている。

 

 でも、今は翻訳することを軽視されている傾向があります

 それが端的に表れているのは「英語の授業を英語で」という学校の授業と「英会話ができないと外国人と話せません!」というビジネスの世界。

 

 まあ英語を話せることそれ自体は問題ないと思います。

 問題ありなのは日本語という私たちが話す母語が追いやられている点です

 「英語の授業を英語で」というのは母語が介在することがないので、深く考えることができない。

 そりゃそうですよね。

 母語とは異なる言語で深い思考をしろと言われても難しいです。

 

 こういうふうに母語で思考をする時間が教育現場でもビジネスの場でも減っているので必然的に思考力は弱体化します。

 

 まとめると、英語が日本語を駆逐しているので母語でモノを考える機会が少なくなっている。

 それゆえ思考力の弱体化につながっている、ということです。

 

2.自己主張が強い人材の大量生産

 次の問題点は、英語ブームによって自己主張が強い人材が大量生産されることです

 英語って自分の主張をしっかりとすることに重きを置いた言語なんですよ

 

 「私はこう思う」「私はこう考える」みたいに。

 一人称が「I」しかないことからもそれ(つまり自己主張に重きを置いていること)が明らかです

 だからまず周りがどういう考えを持とうとも、自分の考えがまず第一だ!ということが重要なんですよね。

 

 一方、日本語は他者との関係性が重視される言語です。

 日本語は英語と違い、一人称がたくさんあります。

 「わたし」「おれ」「ワイ」「ワシ」「小生」「吾輩」

 これらの一人称って関わる人間によって色々使い分けしますよね?

 

 友達や家族など自分と近しい人と関わるのであれば自分のことを「おれ」とか言いますし、

 会社の人間や公的な場では「わたし」と言います。

 ネットなどで、面白いことを言おうとする時は「ワイ」と言います(たぶん)。

 

 これらの一人称は関わる人間によって変わっています。

 だから日本語は他者との関係性が重要視されます。

 

 敬語だってそうじゃないですか。

 無駄に「尊敬語」とか「謙譲語」とかあります。

 敬語も他者との関係性を重視してますよね?

 英語も確かに敬語はありますが、日本語ほど厳密ではありません。

 

 で、今ニッポンはこの自己主張の強い言語、つまり英語を小学校からやらせようと躍起になっています

 というかもう実際に小学校からやっていると思いますが…。

 

 小学生というと、まだ母語で思考することすらまともにできないじゃないですか。

 ということはまだアイデンティティが形成されていない。

 

 アイデンティティが形成されていない状態で、

 日本語という他者との関係性を重視する言語がまともに使いこなせない状態で、

 英語の授業をして「英語的な思考」を植え付けたら必然的に自己主張の強い生徒がたくさん出てきます。

 そうなると10年20年スパンで見た時に、日本は超絶エゴイストな人間で溢れかえることになる危険性があります。

 

 というか、今でもエゴイストが跋扈しているじゃないですか

 日本という国なんてどうでもいい!

 日本はオワコンだから海外に出るしかない!

 自分で金を稼げないヤツはバカ!オレはこんなに稼いでいる!

 みたいな主張をTwitterをやっている人だったら目にしたことがあると思います。

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 これらの主張、おそらく「英語的な思考」があるから出てくるんですよ。

 つまり自分の主張、自分の立場を優先する考えが根底にある。

 

 こういう考えを持った人間で溢れかえったらまた戦争するんじゃないですかね…?

 

 英語母語話者の国って(アメリカやイギリス)って「一人称的な思考」が根底にあるとしても、哲学や宗教、それにロジカルシンキングの教育が充実しているから他者との関係性はなんやかんや大切にするんですよ。

 

 でも日本ってそんな(哲学や宗教やロジカルシンキング)授業シャレオツな私立の学校でもないかぎりないじゃないですか。

 一般的に日本の学校で重視されているのは、いかに思考停止をさせ、国家に都合の良い人材を生産するかどうか。

 

 だからひとたび「英語的な思考」が暴走してしまうと、ひたすら利己主義、拝金主義に走ってしまう。

 上記の利己主義者の例もそうですし、金に目がくらんでいる昨今の日本社会を見てもそれは明らかです。

 

 哲学や宗教、ロジカルな思考(一応はやっているが残業をしないための思考とかくだらないものばかり)を省いて「英語的な主張」を植え付けるから拝金主義の利己主義者が大量に生産される。

 

 本来ならアイデンティティが形成されていない小学校の段階では、他者との関係性を重視する日本語の教育を充実すべきなのですが

 政治家や財界の人間が利益を貪りたいがために(英語は最高のビジネスになるので)徹底的に英語の授業を推し進めるという哀れな教育現場になっているんですよね。

 

 で、ここでまとめると英語という自己を中心に置く言語が教育現場でも徹底的に推し進められているので、エゴイストな人材が大量に生産されている、という現状になっています。

 これが深刻な問題の2点目。

 

3.格差社会が拡大する

 まあこれは言うまでもないでしょう。

 今は英語ができるかどうかで稼げる年収も社会的地位も大きく変わってきます

 

 間違いないです。

 世界は英語中心に動いていますし、有益な情報はたいてい英語で書かれています

 CNNとかBBCとか。

 

 日本語の情報なんてマスコミの有害無益な記事ばかりです。

 日本語で情報摂取するか、英語で情報を摂取するかで情報格差は広まっていきます

 有益な情報を得られないということはそのまま貧困状態にもなる危険性がある。

 情弱になると貧しくなるという記事も書きました。↓

www.penserblog.net

 

 英語ができない人はどんどん取り残されることになります。

 で、恐いのはこういう格差社会が堂々と正当化されていることです

 

 日本は今、「貧困になるのはその人の責任」「情報を摂取しないやつが悪い」「全ては自己責任」みたいな考えがとても強いです。

 完全に「勝ち組」の論理が正当化され、社会的な弱者が放置されています。

 

 これは既に述べた「英語的」思考です。

 自分がまず第一という。

 

 英語ができるかできないかで生じる格差社会を「英語的」思考でそれを正当化する。

 こうなると、社会的な弱者は泣き寝入りするしかありません。

 

 で、こういう現状に社会に対して怒りを抱く人が暴徒化する。

 今の英語中心主義が広まっていけば、日本は日本人同士の争いが絶えない社会になっていくように思います。

 

 この章はちょっと短いですが、まとめると、

 英語で情報摂取することができるかどうかで、収入や社会的地位が変わっていく、

 その現状を「英語的」思考が正当化する。

 ゆえに格差社会が広がっていきます。

 

 以上が英語ブームが日本に与える深刻な影響です。

 

母語の発展なくして国家の発展なし

 今って日本オワコン論が強いじゃないですか。

 当たり前ですよ。

 日本語がオワコン化しているのですから。

 

 自国の母語を軽視して国家の発展はありえません。それは経済とか文化とかあらゆる面において言えます。

 フランスとかドイツとかイタリアとかスペインとか中国とか韓国とかイスラエルとか、これらの国は自分たちの母語を大切にしています。

 (確かに英語も話せると思いますが)

 で、今それらの国は国民としてのアイデンティティが確立されている。

 

 おそらく日本ほど自国の言語を軽視して、しかも自分の国をdisる国は存在しないような気がします。

 日本語という自分たちの母語があるのにも関わらず、「英語ができるかどうかで受験を左右する」とか英語ができるかで選択できる職業が変わるとか、考えてみれば実に滑稽な話です。

 

 日本語を蔑ろにした結果、日本人の文盲率が高くなり、読解力思考力が低下し、それでいて拝金主義に走り自己中とかマジで噴飯ものです。

 ホリエモンも本で日本人の文盲率が高いと言っていますしね。↓

 

 今の日本のオワコン状態を是正するには「英語なんて勉強するな!」とは言いませんが、もう少し日本語の教育に力を入れたほうがいいんじゃないかと思います。

 母語は思考力を決定づける重要な要素です。

 英語ブームに流されず母語をしっかりと勉強することが今日本がすべきことだと思いますね。

 

 めちゃくちゃ長くなってしまったので今日はここまでにします。

 長くなってすいません(>_<)。

 

 

 以上