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外国語系の記事が多くなりそうです。

「大学の授業はムダ!ww 切り捨てろ!」とのたまう人たちの意見を鵜呑みにしてはいけない

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 世間では、特にSNS界隈では

 「大学の授業なんてムダ!授業なんてとっとと切り捨ててろ!

 みたいに煽る人が多いです(SNS意識高い系ウォッチャーの私の独断と偏見ですが)。

 

 彼らの主張は

 実社会において何の役にも立たない大学の授業なんて受けるよりも、とっとと行動してビジネスを立ち上げ、金を稼げるようになるべき。

 ということらしいです。

 

 だから「大学の授業はムダ」という主張以前に「大学進学はムダ」と唱える人も一定すいます。

 そのことについては過去に書きましたが、↓

www.penserblog.net

 

 今回はむやみやたらに大学の授業を切ってはいけない理由を書いていきます。

 

 

大学の授業を切ってはいけない理由

学費がムダになる

 「大学の授業はムダだ!役に立たない大学の授業は切り捨てろ!

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 とのたまう人間の意見を鵜呑みにしてはいけない最初の理由は、学費がムダになるからです。

 

 授業はムダ!

 と切り捨てる結果、学費がムダになってしまう。

 

 大学の学費というのはたいていの場合、親が支払ってくれます

 

 (たまに自分で学費を払う学生もいますが、そういう学生はそもそも授業はムダとかいって切り捨てないんですが。

 私が大学生の時、自分で学費を払っている友人がいましたが、授業はムダ!なんて一度も言わなかったですね。)

 

 その学費はとてつもなく高額です。私立なら1年間で100万円以上かかります。

 それだけの金を支払うのは、一般的な家庭ではかなりの負担です。

 親が苦労して稼いだ金です。

 それを自分のためではなく、子供のために払ってくれています。

 

 それにも関わらず、

 「大学の授業なんてムダっしょwwww!とっとと切り捨ててビジネスを立ちあげて金を稼げるようになったほうがいいぜ!」 

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 だなんて超絶親不孝ドラ息子クソ野郎じゃないですか。

 

 確かに在学中にビジネスを立ち上げ、金を稼げるようになるに越したことはないですが、それで授業をブッチして、果たしてそのドラ息子のスポンサーである親は良い気持ちになるのでしょうか。

 

 何も親が喜ぶようなことをしろとは言いませんが、自分で学費を払ってない人間が「授業を切り捨てろ!」と言うのはお門違いも甚だしいように思えます。

 

 したがって、授業を切り捨てると、親が支払ってくれている学費が無駄になってしまいます。

 そういうわけで大学の授業を切り捨ててはいけないのです。

 

 まあだからと言って自分で学費を払っているから授業を切り捨ててもいいというわけでもないですが。

 そもそも大学の授業をムダムダ言うような人間は大学に行く必要がないと思うんですよねぇ。

 

知的好奇心が広がらない

 大学の授業、というか学問全体に言えることですが、大学の授業というのは実社会の役に立つという側面だけでなく、個人が持っている知的好奇心を満たしてくれるという側面もあります。

 

 「実社会の役に立つ」勉強というのは、わざわざ大学に進学しなくても今は情報が溢れているので、独学でも十分に対応することができます。

 

 独学では対応することができないのが大学の学問です。

 私の経験ですが、大学に進学したことによって、今まで知ることのなかった学問を知ることができました。

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 私、大学は英文科だったのですが、そこで英語の言語学や英語史、英米文学などの勉強をしました。

 これらの学問は、おそらく独学では到底できなかったように思います。それどころが大学に進学していなければ、知ることすらなかったでしょう。

 

 だっていくら英語が好きであっても、言語学や英語史、英米文学なんて勉強しようだなんて普通思わないじゃないですか。

 

 で、結果として上記の勉強をしたことによって、英語という学問が一層面白く感じることができるようになりましたし、英語に対する視野が広がったように思います。

 

 これは何も英文学だけでなく、法学や経済学、理学、工学、医学、芸術、あらゆる学問についても、知的好奇心が満たされることによって視野が広がることは同じことだと思います。

 

 そのような知的好奇心を満たすことができる環境が大学にはあるんですよね。

 なので「大学の授業を切り捨て」ると、独学では出会わないような学問を学ぶ機会を失ってしまうわけです。

 

「大学の授業はムダ!」と言う人の特徴

 「大学の授業なんてムダだ!切り捨てちまえ!」と言う人たちは、一部の例外を除いて勉強が嫌いな人が多いように思います。あとは、これもまた一部の例外を除いて、人として薄っぺらいです

 

 そもそも論ですが、勉強が好きな人は、学問が「役に立つか・立たないか」みたいな二元論的な考えはしないです。

 ただ目の前の勉強が面白いから、それに取り組む。それ以上でもそれ以下でもない。

 

 それにも関わらず、「大学の勉強なんてムダだ!」と切り捨てる人はマジで勉強が嫌いなのではないかと思います。

 だから、受験勉強の段階で学歴を得る手段と完全に割り切って取り組む

 そして、いざその目的を果たやいなや(つまり受験で成功する)、一気に大学の勉強をしなくなる。

 で、たいして勉強もやっていないのに、SNSなどで

 

 「大学の授業なんてムダだ!切り捨てちまえ!

 オレは大学の授業を切り捨て、ネットビジネスに取り組んだ結果、月収〇〇万円を稼げるようになった!

 

 みたいなマウンティング野郎が現れる。

 というかマジでSNSでそういう人多くないですか?

 

 「大学の授業を切っ」って、「ビジネスの取り組み、月収〇〇万円稼いでい」る人間は結局のところ勉強が嫌いなんですよね。

 でも勉強はできるから、稼ぐ方法もすぐに理解できる。

 とてつもなく厄介です。

 

 んで、そういう人ったたいてい人としてとてつもなく薄っぺらいんですよね。ツイートの内容を見てると。

 なぜ薄っぺらいかというと、既に述べましたが、知的好奇心を満たす学問を軽視しているから。

 

 学問は役に立つか立たないかに関係なく、取り組んだ分だけ、知識に対する視野が広くなります。

 そういう機会を自分からブッチしているのですから、そりゃあ薄っぺらくなります。

 

 薄っぺらい発言をし、薄っぺらい人間関係を構築し、薄っぺらい人生を歩む。

 で、本人自身はそのことに気づかないという滑稽な事態が生じます。

 

 なので思想が薄っぺらい。

 

 

  それでも「大学の勉強は役に立たない」という人の中でも、例外的な存在はいます。

 それはホリエモンのような人です。

 ホリエモンは著書でもTwitterでも「大学の授業は役に立たない」的なことを言っていますが、彼のような超絶ハイスペックな人間ならばその主張にも説得力があります。

 

 1年そこらの受験勉強で東大に合格し、現在ビジネスにおいても劇的な成功を収めている。

 そういうレベルの人からすると、大学の授業は実践的なものではなく、学費をムダにするものである、というのもわかります。

 

 でも、世の中見渡してみると、「大学の授業はムダ!」と発言している人たちは、ホリエモンに感化されただけで、たいしてスペックの高くない人たちばかりです。

 

 そういう人たちはちょっと成功しただけで、ちょっと稼げただけで承認欲求を満たすべく、SNSなどでマウンティングしまくっている。

 

 で、それが社会全体に蔓延して、「大学の授業はムダ」という考えが、さも正しいかのようになってしまっている。

 

 だから今の日本は危機的な感じがするんですよね。

 

 少し話が逸れましたが、「大学の授業はムダ」と主張する人たちは一部の例外を除いて、薄っぺらく、勉強嫌いな人が多いです。

 

まとめ

 「大学の授業はムダwww!」

 という意見を鵜呑みにすると、学費がムダになるだけでなく、学問に対する知的好奇心を満たす機会を損失することにもなります。

 

 まあ結局授業をムダにするか有益にするかは本人次第なんですけどね。

 

 以上