Sakuはゆるく生きる

外国語系の記事が多くなりそうです。

努力しない人間に不寛容な社会になっている

 自分の成すべきことを達成するために、努力をするのはとても大事なことです。

 

 試験や資格の勉強をするにしろ、仕事ができるよいになるためにしろ、全ての物事はある程度の努力なしには達成することができません(天才を除いて)。

 

  したがって努力なくして成功するのは困難なことです。人生においては。

 だから努力という行為それ自体は悪いものではない。

 努力したければ個人で勝手に頑張ればいい。

 

 しかし、今の日本は努力に対してあまりにも強い信仰を抱きすぎている人が多いように感じます。

 

 努力に対する信仰があまりに強すぎるがゆえに、努力しない人に対してやたら非難の眼差しが向けられているように思います。

 

 Twitterとか見てると、

「努力しないで会社の給料だけを当てにしてる人間はマジでヤバい」

 「努力しない人間はこれから人生詰む」

 みたいな「努力しない人間煽りツイート」が多く見受けられます。

 

 でも、努力するかしないかなんて所詮個人の問題じゃないですか。

 いちいち他人がどうこう言う必要がない。

 にも関わらず

「俺はこんなに努力して月収○○万円稼いでいる!これからは努力する人間としない人間が二極化していく!」

 みたいな努力マウンティングをしている人がめちゃくちゃ多い。

 

 で、そういうのが社会に深刻な問題を与えているように思います。

 つまり努力しない人間に対する風当たりがとても強い。

 でも全ての人間が努力するのが当たり前、みたいな価値観が形成されると世の中とてつもなく息苦しいものになってしまいます。

 

 フリーターとかニートをしている人はまさにそういう風潮(つまり努力するのが当たり前な社会)に息苦しさを感じているのではないでしょうか。

 

 社会は労働環境が改善されたり、最新テクノロジーの導入によって業務が効率化され良い方向に向かっている。

 それなのに努力を他人に押し付ける人間によって、社会に対する息苦しさがな根強く残ってしまっている。

 

 厄介なのは、努力を他人に押し付けている人たちが自分のしていることが正しいと信じて疑っていないことなんですよね。

 だから社会的に立場の弱い人をどんどん窮地に追い詰めている。

 で、ますます生きづらさが増すっていう。

 

 「努力教」の信者が減らない限り、社会が良くなることはないでしょう。

 正義を押し付ける人間こそが最大の悪人なんですよね。

 

 努力は個人の問題であって他人に押し付けるものではない。

 そのことを自覚しない限り社会は良くなりません。

 

 以上。

 スマホからの投稿でした。