いじめをいかにしてなくしていくか
ということについては、いつの時代においても重要な関心事だと思います。
日本でもいじめ対策をあれやこれやとやっていますが(例えば道徳でいじめは悪いものです!と教え込む)、イマイチうまく言ってませんよね…。
でも、なぜいじめはなくならないのか!?ということを考えると、実はいじめというのは人間が生きていくために必要な行為だということがわかるんですよね。
中野信子さんの『ヒトは「いじめ」をやめられない』という本になぜいじめが起きるのかが脳科学的な視点で書かれていました。
今日はこの本の知識+私の意見で、なぜいじめがなくならないのかを書いていきます。
いじめがなくならない理由
集団で生きていく必要性
なぜいじめがなくならないのか?
その理由は、人間は集団で生きていかなければならないからです。
人間は他の動物と違って、脆弱な生き物です。
一人では生きていけないです。
例えば、トラやライオンにターゲットにされたら、戦うこともできないですし、逃げることもできません。
自然災害に襲われようものなら、たとえ生き延びたとしても一人ではなす術もなくきっと死んでしまいます。
(たまに一人でも生き抜ける生命力が強い人がいますが…)
したがって一人でこの世界を生き抜くことができません。
ではどうすれが生存できるのか?
一人では生きていけない。
ということは集団を形成する必要があります。
集団を形成すれば互いに協力することによって世に立ちはだかる困難を乗り越えることができます。
実際に人間は集団を作り、その仲間と協力することによって自然災害に対処してきましたし、それと同時に科学技術も発展させてきました。
それが人類の歴史です。
確かに人間以外の動物の集団を形成しますが、そのスケールが違います。
人間の場合、何千何万という規模の集団を形成しますし、思考することもできるので、世の中を変える力を持っています。
人間以外の動物はそんなことできませんよね!?
したがって人間は脆弱な生き物であるがゆえに、集団で生きていく必要がありました。
ではそのことといじめがどう結びつくのでしょうか?
集団を脅かす存在の排除
人間は集団で生きていく必要があるということは既に述べました。
ということは、集団が脅かされると生命の危機にされされることにもなります。
集団を脅かす存在とは何でしょうか?
そう、集団の和を乱そうとする人間です。
集団の和を乱す人間がいると、共同体を維持することができなくなります。
ゆえに集団の和を乱そうとする人間は排除しなければいけない。
と、普通だったらそういう方向に進みますよね?
それが現代で言ういじめです。
いじめは組織の中で「異質な存在」がいる場合に起きます。
例えば、空気を読まない、周りにペースを合わせない、落ち着かない人などがいじめのターゲットになる傾向があります。
なぜそのような人たちがいじめのターゲットになるかというと、集団を脅かす存在になりかねないからです。
空気を読まなかっり、周りにペースを合わせなかったり、常に落ち着かなかったりしていると、組織の和が乱れます。
ということは、人間が生存するうえでの支障となる。集団の和が乱れますから。
ここまでまとめると、
人間は脆弱な生き物であり、それゆえ集団を形成して生きていかなければならない。
だから集団を維持するうえで厄介な存在は排除しようとする。
それが現代でいういじめ。
ということになります。
いじめによって集団の結束力が強くなる
いじめの恐ろしい点は、いじめによって集団の結束力が強くなることです。
集団というのは、自分たちの組織を脅かす敵がいることによって強くなります。
例えが良いか悪いかは別として、チームってスポーツでも会社の組織でも強い敵(ライバルと言い換えてもいいかもしれません)がいるからこそ、結束力が高まり、発展しますよね?
それはいじめでも同じです。
敵(つまり集団を脅かす異質な存在)を倒すことによって、かえっていじめた側の人間たちの仲が深まってしまいます。つまり集団としての結束力が強くなる。
日本の学校ってそんな感じですよね。
だいたい加害者側のグループって傍から見て仲良いですよね。
で、その加害者側のグループの中に罪を感じる人がいたとしても、今度は自分がターゲットになるのではないかという恐怖があるので抜け出せないという…。
いじめの回避策
学校編
最後にいじめの回避策について書いていきます。
最初に学校から。
学校でのいじめの回避策は、人間関係を固定させないことです。
人間関係を固定させると、仲が良い者同士の結束力が高まります。
結束力が高まることによって、集団の和を乱そうとする人間に対する圧が強くなります。
で、いじめがなくならない。
それが昔から今に至るまでの日本の学校の構造です。
したがって、いかに人間関係を固定させないか?ということが重要になります。
具体的には、クラス単位においては、席替えを積極的に行うことが挙げられます。
席替えを頻繁に行うことによって、ある特定の人間との関係が強くなることがなくなります。
次に授業を習熟度別に分ける。
授業を習熟度別に分けるというのは、生徒の学力の応じて指導することができるメリットもありますが、同時に「クラスの同じメンツで授業を受ける」ことも防ぐことができます。
これもまた人間関係を固定化させないというメリットがあります。
なので、どのような手段であれ、生徒同士の人間関係を固定化させないということが重要になります。
まあ究極的な理想はクラス替えを1年おきにすることなんですけどね…。
授業を習熟度別に分けるというのは教師の人数も確保しなければならないなど課題は多いと思いますが、席替えを頻繁に行ったり、クラス替えを1年おきに行うというのは現実的に可能だと思いますが、学校関係者のみなさんはどうお考えですかね?難しいですかね…?
社会人編
社会人が組織でいじめにあったら(ってかいい年こいた大人がいじめとかするのか?)、担当部署を変えてもらうなどの処置を取りましょう。とにかく人間関係を変えることが重要です。
いっそのこと会社を辞めろ!
会社はクソゲー!
と意識高い系自分で金稼いでいる系の人間はのたまうかもしれませんが、人間関係だけが問題ならうかつに辞めるのは危険です。
収入もゼロになりますしね。
人間関係で解決できる問題なら、そこにフォーカスしたほうがいいと思います。
あとは、相手と自分の感覚の違いを知ることも重要です。
これは個人でできることです。
社会というのは、色んな人間がいます。
コミュ力が高い人、会社に飼いならされて社畜になっている人、居酒屋やコンビニの店員にストレスを当たり散らす人、and so on…
こういう人たちは自分とは全く違う感覚を持っています。
なので、自分の価値基準のみで関わると、たぶんトラブります。
そうならないためにも相手を観察して、どういう感覚を持っているのかを知り、自分と感覚が違う人間に対しては、柔軟に態度を変える必要があります。
社会人の人間関係がイマイチわからん!
うまくいかない!
という人は、元外務省勤めで現在作家の佐藤優氏の本を読むことをおススメします。
彼は官僚としての経験を通して色んな人間を見てきた方なので、人間関係に関してはかなり深い考察をしています。
最後に
昨今(というか昔から!?)の日本の学校では「みんな仲良くしましょう!」ということを言っていますが、それこそがいじめの原因になっているんですよね。
本来、人間関係は仲良くなりすぎず、適度な距離感を保っていた方がうまくいくことが多いのにも関わらず、いまだに学校は同じ場所に同じ時間に同じ人間を集め、必然的に他者との関係性が深まる教育システムをとっています。
学校からいじめをなくすためには、そのような教育システムを変えなければいけないはずなんですが、どうして文科省は授業時間がどうのこうのとか些末なことを気にしているんですかねぇ…?
ということで今日は以上です。