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「ご迷惑をおかけします」という言葉の狂暴性について考える【工事の騒音のストレスに関する簡潔な報告】

 ご迷惑をおかけします

 

 という言葉を最近やたら耳にします。

 自宅近くで建物の建築工事や水道の工事やらが多いので…。

 

 自宅ポストに工事業者の工事の通達が書かれた紙切れがけっこう入っているんですよね。

 「ご迷惑をおかけします」って。

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 ご迷惑をおかけします

 この言葉は一見すると、謙遜しているように感じます。

 悪意なんてものは見当たりません。

 タイトルにもあるような狂暴性など感じないですよね?

 

 でも、私は「ご迷惑をおかけします」という言葉にある種の狂暴性を感じてしまったのです。

 ひねくれまくってますね~。

 

 この言葉、主導権が全面的に「ご迷惑をおかけする」側にあると思うんですよ。

 つまり、迷惑をかけれられる側には何も主導権がない。言ってみれば、なす術がない。

 

 あなたが住んでいる自宅の近くで、業者が規模の大きい建物の建設をするシチュエーションを考えてみてください。

 規模が大きい建物を建てるということは、当然騒音がひどくなりますし、建設するのに時間がかかるので、騒音などで苦痛を受ける時間も長くなります。

 

 そういう場合、建築業者は周辺の住民の住宅ポストに、たった一枚の紙切れで「ご迷惑をおかけします」と入れて、通達します。

 (私はそういうふうにされました。わりとでかめの建物を建て、騒音がひどいのに…)

 

 こういう場合、私たちが周辺住民と結託して反対でもしない限り(反対をしても)、建築業者は建物を建築するのを止めません。

 

 つまり、「ご迷惑をおかけします」という通達文からは、

 

 これからオレたちは、建物の建築による騒音、揺れなどでめちゃくちゃ迷惑をかけるけど、何も文句を言わないでねー!!!!!

 ウェーイ!!!!!!!!

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 お前らがどんなに苦痛を受けたとしても、知ったこっちゃないよー! 

 だってオレたちは既に「ご迷惑をおかけする」って通達してるからねー!!!

 ウェーイ!!!

 

 というような感じを受けてしまいます。

 

 一応何か不利益を被った場合、建築主に電話ができるように、工事中の看板には電話番号が書いてますが、実際クレームを入れたところで、工事による騒音や揺れなどは解決しません。

 

 私、工事の騒音があまりにもうるさくて、建築業者ではないですが、警察に電話して問題解決してもらうように頼んだことがあるのですが、何も解決されませんでしたからね。

 

 だから、「ご迷惑をおかけします」という言葉は、謙遜しているように感じますが、その実まったく謙遜などしていないんですよね。

 いったんその言葉を使えば、「ご迷惑をおかけする」側が主導権を握り、何をしても許されるようになる。

 つまり相手に対する配慮などつゆもない。

 

 まあケースバイケースですが。

 少なくとも、建築工事に関しては完全に「ご迷惑をおかけする」側が主導権を握っています。

 

 建物を建てると決まったら、どんなことがあっても中止することはできません。

 そりゃわかってます。

 莫大な金が動きますからね。労働者の給料などもありますし。

 だから、建物を建てること自体に善悪はないです。

 

 でも、そうだとしても、建築業者の「ご迷惑をおかけします」ってあまりにも一方通行だと思うんですよね。

 老害的に言うと、全く誠実性がない。

 別に一件一件家をまわり、周辺住民に丁寧に説明しろとは言いませんが、それでも「迷惑をかけられる」住民のことを考えてほしいものです。

 明らかに「迷惑をかけられる」側の視点が欠けていると思うんですよねー。

 

 というか、今の日本ってそういう傾向が強いように感じます。

 つまり、自分本位で相手がどうなろうと知ったこっちゃないみたいな。

 相手の配慮よりも、まず利益ありきというような組織が多い。

 

 元外務省官僚で現在は作家の佐藤優氏は、『メンタルの強化書』という本で、「現代では他人を貶める「下品力」が高い人ほど成功する社会になっている。一方繊細で優しい人ほど社会でのし上がっていくのは難しい」と言っていましたが、まさに今の日本社会そのものだと思います。

 今日ブログネタにした工事による「ご迷惑をおかけします」という言葉の狂暴性に限らず、社会全体として、自分本位な考えが増えているのは嘆かわしいことです。

 

 他人のことを考えるなど、キレイごとを言うつもりはないですが、それすらもできなない社会になっているのはなんだかなーと思います。

 

 以上