よく日本人は宗教をもたないと言われます。
確かに欧米や中東の国々の人たちとは違い、ある特定の宗教(キリスト教やイスラーム、仏教、ユダヤ教など)を持っている家庭はほとんどないです。
仏教徒は多いですが…。あとはキリスト教もちらほら。
まあでも日本人の中で特定の宗教を持っている人は少ないですよね。
でも、特定の宗教を持っていない分、実は多様な「宗教」が存在しているのではないかと思います。
今日はそのことについて書いていきます。
日本に蔓延る「多神教」
「会社教」
今は終身雇用や年功序列が崩壊しつつあり、また成果主義が導入されるなど、昔の会社とは変わってきていますが、それでも日本の会社は社員の帰属意識をベースにして成り立っていることが多いです。
その帰属意識が良い方向に行けば、会社の雰囲気も良くなりますし、生産性も高くなるでしょう。
しかし、その一方で帰属意識が悪い方向に行き、会社が宗教化してしまうケースも多々見受けられます。日本の会社は。
「会社教」に染まったビジネスパーソンは会社の常識が全てだと強く信じます。
会社が「定時を守れ!絶対だ!1分でも遅刻したら許さん!」と言えば、社員はそのことに疑いを持たず、時間厳守を必ず守ります。
でも、今の社会状況からして定時を厳守しなければいけない職種なんて結構限られてきます。社会インフラとか医療従事者とかそれぐらいです。
他にも満員電車に乗ることが当たり前(会社ではない?)、上司より遅く帰るのは当たり前、スーツを着るのは当たり前など社会の常識に懐疑的な思考を持たずにひたすら会社の言うことを信じるようになってしまう人が多いです。
明らかに達成不可能なノルマを達成することを会社から指示されて、それをした結果、精神肉体やられる人もいますが、それも「会社教」に染まったことの結果と言えるでしょう。
会社から指示されたことは遂行しなければいけないですが、それでも日本の会社はどう考えてもおかしいと思うようなことを会社員に押し付け、それを習慣化させてしまう悪しき傾向があります。
それが結果として会社の言うことは絶対だという「会社教」へと変貌していくんですよね…。
「努力教」
たぶんこの「努力教」が日本で圧倒的に多いんじゃないですかね。
Most日本人は努力というものに絶対的な信仰を持ちます。
「努力は必ず報われる」という言葉が強く支持されるように。
で、SNSを見たらこの「努力教」の信者がたくさんいることがわかります。
本人はその自覚がないままに。
Twitter界隈の「努力教」の信者はこのようなことをツイートします。↓
努力しないヤツはマジで人生つむよ!
稼げるようになるためには死にもの狂いで努力しなければならない、稼ぐ以外のことは全て犠牲にしろ!
会社の給料をアテにして自分で稼ぐ努力をしないやつとかバカ!?
みたいに「金を稼ぐこと」をベースにした「努力煽り」をしてくる人が多いです。まあこんな言い方ではないですが。
Twitterやってる人だったらなんとなくわかってもらえると思いますw。
しかし、本来重要なのは努力それ自体より、努力によってどれぐらいの成果が出せたかじゃないですか。
いくら1日10時間勉強してもテストの点数が1点も上がらなければ意味がないです。
営業をしてる人が契約を取るための努力をしまくっても1件も契約取れなかったら意味がないです。
にも関わらず、日本人は成果よりも努力それ自体に絶対的な信仰を見いだしている。
努力することは重要だと思いますが、それを過剰に信仰したり、他人に押し付けたり、努力しないヤツはやばい!とか煽るのは、もう「努力教」に染まりまくっていると思います。
「拝金教」
「拝金教」などと言ったら、「え?日本人がカネの亡者だなんてありえなくね?だって貯金して倹約に努めて投資にも手を出さないし、大事なのは金じゃないとか言うぐらいだから…」と思う人もいるでしょう。
いや、それがもう「拝金教」であり「カネの亡者」ですよ。
貯金をして金を残すというのは持っている金を手放したくないということを如実に示しています。
本来貯金しても銀行の利率があまりに低いから増えないので貯めるメリットがないです。それなのに金を手放したくない気持ちから金を残しておくというのはカネに対して異常な執着があるということです。
それに今日本は空前の「稼ぎ方ブーム」です。
副業をして○○万稼いだ!とか転職をして、年収うんぜんまんになったとかネットを見ればそういう情報に溢れています。
今月オレは100万稼いだ!
とか、
稼げないやつはバカ!
とか収入のマウンティング合戦が繰り広げられています。
その思想の根底にあるのは、他人が損をしていても、貧困で生活苦になっている人がいようと、そのような人たちを出し抜き、とにかく自分が誰よりも稼げればいいという優越意識だと思います。
自分だけが誰よりも稼げればいい。稼げないで貧困に陥る人間は野垂れ死ねばいい。
そんなのは自己責任だ。オレの知ったことではない。
こういう思想を持っている人が今日本に溢れています。
実現の可否はともかく、ベーシックインカムを導入して野垂れ死ぬ人をなくそうという発想をする人はほとんどいません。
金金金金。
どれぐらいのしないのは金を持てるかが、「拝金教」の信者の階級になっています。
最後に
今回「取り上げた」、「日本の3代宗教」だけでなく、日本にはまだまだたくさんの宗教に満ち溢れています。
「塾・予備校教」、「受験教」、「学歴教」など。
日本人はキリスト教やイスラーム、ユダヤ教など伝統的な宗教を持たないからかそ滑稽な宗教を作り出し、それによって不幸になっているのではないかと思います。
宗教というのは、本来、「どのような生き方」をすればいいのかを示し、人生の悩み、苦しみを解決してくれるものです。また誤った道へに行かないように生活規範などもあります。
それなのに、日本人が信仰する「宗教」は悩み多き人生をさらに悩み多きものにし、良心の呵責を感じることなく、無邪気に平然と悪の道へと進めるように後押ししているように感じます。
「会社教」、「努力教」、「拝金教」、「受験教」、「学歴教」、「オウム真理教」、果たしてこれらの宗教が人を幸福にしたのでしょうか。
伝統的な宗教に入信する必要はないですが、宗教に対する知識は深めておいてほうがいいと思います。
この本は池上彰氏と元外務省主任分析官の佐藤優氏との対談本ですが、難しい用語は使わずわかりやすい口調で現在の宗教の状況について書いています。
宗教の知識をつけておかしな宗教に惑わされない人生を歩みたいですね。
以上。