以前にも教養について書いたのですが(後でその記事紹介します)、日本は今ヤバいほどに教養がブームです。
教養がないと出世ができない
教養がないと大金を稼げない
教養がないとグローバルな社会では生き抜けない
教養がないと恥をかく
と、とにかく教養がないとヤバいみたいな風潮があります。
私もそのことに危機感(!?)を覚え(!?)、どうしたら教養を身に着けることができるのかを考えてみました。
ちゃんと辞書で「教養」の意味も調べてね。
ということで書いていきます。
これから書いていく教養の実践方法は即効性があり、誰でも簡単にできます!
教養を身に着けるために実践すべきこと
1.自分が身に着けた知識や経験をシェアする
「教養」とは『デジタル大辞泉』によれば「教え育てること」という意味だそうです。
この意味を私的に解釈するなら、自分が今まで身に着けてきた何か、例えば勉強やスポーツ、芸術などを他人とシェアすればよいというふうになります。
シェア(share)と教える(teach)とでは意味が違いますが、人に伝えるという点では本質的には同じだと思います。
自分の知識や経験をシェアする相手が自分と同等かそれ以上の能力を持っていれば切磋琢磨し、お互いに能力を高め合うことができます。
自分の得意分野が簿記で相手も簿記を得意としているのなら、お互いの知識を教え合い、学習効率が飛躍的に高まります。
自分の知識や経験をシェアする相手が、素人であれば、自分のスキルを教えてあげればいいです。
自分がめちゃくちゃ野球が得意で相手が野球がうまくなりたいと思いつつも下手なままだったら、うまくなるノウハウを教えて、その人の能力を高めてあげればよいのです。
別に勉強とかスポーツとかじゃなくてもいいのです。
自分が過去に人生でつらい経験をしたのなら、今人生つらいと感じている人にどうすればいいのかを教えてあげればいいのです。
自分の知識や経験を他人と共有し、教え合う。
教養を身に着けるための方法その1です。
別にきれいごとを言っているわけじゃないですよ!?
辞書に載っている意味を解釈し、考えた結果がそうなったというだけで。
2.心を豊かにする活動をする
デジタル大辞泉によれば、「教養」の第2の意味は「学問や知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力」だそうです。
字面だけ見たらなんか難しそうですね…。
要は自分にとって心から好きなことに没頭すればいいんです。
好きなことに没頭すれば知識は勝手に増えていきますし、その過程で創造性が生まれます。そしてそれが結果として「心の豊かさ」につながる。
あなたの好きなことがピアノなら、ピアノにはまりまくればいいし、旅行が好きなら旅行をすればいい。
テニスが好きならテニスにはまればいいし、食べることが好きなら色んなものを食べればいい(暴飲暴食しない程度に)。
自分の好きなことに心を解放し、没頭すれば、心を豊かにすることができるのです。
それが辞書的な意味における「教養」なのです。
あとは人と関わるのもいいかもしれませんね。
できれば自分とは考え方や人生のバックグラウンドが違う人。
自分と考え方が真逆の人と関わることによって、新たな何かを発見することができ、それが心の豊かさに繋がり、「教養」となるのです。
好きなことに没頭し、心の豊かさを養う。
これが教養を身に着けるために実践するべき2つ目の方法です。
繰り返しますが、これはきれいごとではなく、辞書に載っている意味を解釈した結果の考えですからね!
教養を身に着ける目的
上の実践すべき2つのことのまとめ的な感じにもなりますが、教養の本来の目的とは自分が身に着けた知識や経験を他人とシェアし、そのことで精神や心が豊かにするためなんですよね。
だからもし日本人が教養を身に着けたのなら、人々は憎しみあい、誹謗中傷することなんてなくなるでしょうし、自殺者数が年間3万人前後になんてならないはずなのです。というか日本はとても豊かな国になっているはず。
でも、実際はどうかというと、SNSを見れば誹謗中傷が後を絶たないし、そのことで自殺する人さえいます。
SNSでなくても、仕事で鬱になって電車に飛び込む人だってかなりいます。
知識や経験をシェアするどころか、自分だけが知識を独占し、その知識で金を儲け、「給料だけにすがって副業をしないヤツはヤバい」とか、「これからは自分で稼げないヤツは死ぬ」とか「オレは今月数百万円稼いだ!どうだ!すごいだろ!」みたいなことを言う人がたくさんいます。
言ってみれば完全なる自己責任論。
稼げないやつは野垂れ死ね!
という風潮になっている。
まあそういう社会が健全かどうかはその人次第ですが、「教養」からはあまりにもかけ離れていますよねー。
日本で流行る「教養」の正体
「教養」の本来の意味は「人に教えること」、「学問や知識、精神の修練などで身に着ける心の豊かさ」であることは既に述べました。
だから、日本で今流行っている教養はそもそも「教養」ではないんですよね。
だって上2つの意味の条件を満たしていないのですから。
人に教えるのではなく、自分だけが得た知識を独占し、それを金にする。
知識を身に着けるのは心の豊かさではなく、高い年収を得たり、出世をするため。
だから、あえて「日本的」な「教養」の意味を定義づけるのなら、
「自分だけが成功するために学ぶこと。そこから得られる知識」
「他人を蹴落とすための知恵」
言ってみれば、『蜘蛛の糸』のカンダタのようになれ!!ということです。
現にカンダタのような人間がたくさんいるからこそ、誹謗中傷する人がたくさんいるのだし、他人を騙して多額の金を奪い取る人間がいるのです。
ネットに「高学歴・大企業が勝ち組」だとか「年収1000万円を稼ぐ方法」的な記事がたくさんあるのも、要は「カンダタ志向」の人が多いからこそ需要があるのです。
「日本的」な「教養」の意味を知ると、なぜ俗物的な内容の本や記事があるのかがわかってきます。
そのような記事に魅力を感じているのなら、あなたは「日本的」な「教養」を身に着けようとしているのかもしれません。
まとめ
教養というのは簡単に誰でも身に着けることができます。
それは「自分の知識や経験を他人とシェアする」、「心を豊かにする活動をする」、 たったこれだけです。
本屋に行ったりネットサーフィンしてれば、「ビジネスパーソンが必要な教養」とか「グローバル社会では教養が不可欠」みたいな内容のものがたくさんありますが、それらは「教養」ではなく、「自分だけが成功し、他人を出し抜くため」の方法を身に着けけるためのハウツー本なのです。
真に教養を得たいのなら、利他的に生きないとですね。
以上です。