ちょっと前になりますが、RADWIMPSの野田洋次郎さんツイートが炎上したらしいですね。↓
前も話したかもだけど大谷翔平選手や藤井聡太棋士や芦田愛菜さんみたいなお化け遺伝子を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして国が専門家を集めて選定するべきなんじゃないかと思ってる。
— Yojiro Noda (@YojiNoda1) 2020年7月16日
お父さんはそう思ってる。#個人の見解です
要は
優秀な遺伝子を組み合わせて意図的に優秀な子供を誕生させよう。
それを国家プロジェクトでやったほうがいいんじゃない?
ということです。
まあ野田さんも冗談と言っていたので別に本気ではないと思います。
それに本気か冗談かは、ともかく、意図的に遺伝子を組み合わせて子供を誕生させるのは倫理的問題があるので、賛成できるものでもないです。
でも、子供が先天的に持っている才能(つまり持って生まれた才能)を伸ばしてあげることはとても大事なことだと思いました。
野田さんの炎上ツイートとは論点は違いますが…。
人間はみな、必ずなんらかの才能を持っています。
身体能力が異常に高くスポーツが万能な人やスポーツは不得意だが、勉強はめちゃくちゃ得意な人。
ピアノがうまい人や歌がうまい人。
絵を上手に描ける人。
コミュ力が高い人。
など様々な才能を持っています。
そのような本人が最初から持っている才能を伸ばしてあげると、自分に自信を持つことができるでしょうし、その能力を高めることで、将来メシを食っていくことだってできるはずです。
現にプロのスポーツ選手やアーティストは生まれつき持った才能を最大限に伸ばして結果を出しています。
例えば、野田洋次郎さんが言及したメジャーリーグの大谷選手やプロ棋士の藤井聡太さん、タレントの芦田愛菜さんなど。
というか野田洋次郎さんだって。
確かに本人たちは才能だけでなく、努力もしていると思いますが、それでも先天的な能力なしでは才能が開花しなかったと思います。
みんながみんな努力したところで、大谷選手のようにはなれませんし、藤井聡太さんのように将棋を打てるようにはなりません。
一方で大谷選手がいくら頑張ってもプロ棋士にはなれないですし、藤井聡太さんがいくら努力してもプロ野球選手にはなれません。
したがって持って生まれた才能を生かしたからこそ、今の地位があるんですよね。
なので、人が持って生まれた才能を伸ばしてやることはとても大事なことなのです。
でも日本の学校教育ってマジで価値観が画一的じゃないですか。
昔よりかはマシにはなりましたが、スポーツが得意な子も芸術が得意な子もなぜか「主要五教科」ができないと賞賛されることは少ないですし、進路面においても「勉強が得意な生徒」よりも不利になることがあります。
確かに今は大学入試でも「特異な才能」を持った人に門戸は開いていますが、「主要五教科ができるのが正義」みたいな風潮は根強いように感じます。
いや、制度としては、スポーツや芸術ができる人にも門戸が開いているのですが、学校という閉鎖的な空間だと、まだまだ才能に対する価値基準みたいなのは一律な気がします。
だから、勉強と野球、両方得意な生徒がいたとしたら学校側はだいたい進学校をゴリ押しします。
でもそのことによって、実は野球の才能があったはずなのに、それを伸ばすことを諦めて、才能ではなく努力で身につけた勉強を選んでしまうと、本人にとっては不幸なんじゃないかなと思います。
もちろん、進学校に進んでも野球をやればその才能が開花してプロの注目を浴びることがあるとは思いますが、やはり才能を伸ばすための環境が整っている場所を選ぶのは人生の成功において必要不可欠なように思います。
なんか話がぶっ飛びましたが、重要なのは画一的な価値観を植え付けるのではなく、人が持って生まれた能力を尊重し、それを伸ばしてあげるような環境をつくることだと思います。
今は世の中が急激に変化しています。
昔のように高学歴→大企業→出世→定年という勝ちパターンは崩壊しています。
COVID-19によって(マスコミが新型コロナ脳ウィルスをばらまいたせいで)、生き方や働き方もかなり変わってきています。
そういう変化が激しい時代だからこそ、人が持って生まれた能力を最大限に発揮させることができるような社会にしていくことが大事だと思います。
以上です。