現代日本においては「地頭の良さ」なるものが重要視されています。つまり少ない知識量でクリエイティブな発想をしたり、問題解決することができるのが好ましいとされている。要は持っている知識は最小限でよく、いかにそれを使いこなすかが大事という考えが支配的になっています。
その影響からか大学入試においても、知識を詰め込むことが必要な一般入試は否定的にとらえられ、課外活動や学校の成績が重視される推薦入試が広がりつつあります。
このように知識の獲得が否定されつつある日本社会ですが、『論理的思考のコアスキル』という本においては知識を増やすことの重要性が説かれています。
知識ばかり詰め込んでも考える力が無ければ無益であるとよく言われるが、豊富な知識は豊かな思考を行うための材料である。菜の花が咲く季節も、菜の花が多く植えられている環境も、菜の花の色や形も知らなければ、目の前に広がる一面の黄色い花が何の花なのかを分かることはできないのだから。
『論理的思考のコアスキル』p.16
この本の著者波頭亮氏は東大の経済学部を卒業しており、「知識量を増やさなければ豊かな思考はできない」という論には一層の説得力があります。
上記の例では花の例を挙げていますが歴史でも数学でも英語でも芸術でも知識量が多いほうが思考の幅が広がるので、「地頭の良さ」というものは実は思考の幅が狭いんですよね。持っている「武器」(知識量)が少ないので使用用途に限りがあるのです。知識量少な目で要領良くこなせる人は一見すごいように見えるけれども、しょぼいものをすごく見せているだけであると言えます。
以上のことから思考力を高めるためには知識量を増やさなければいけません。知識量を増やすことで「思考の幅」が広くなり様々なことを考えられるようになる。
しかし、知識量を増やすだけでは当然不十分であり、知識と情報を加工しなければいけません。波頭氏は「思考とは情報と知識を加工すること」であると主張しています。
「情報と知識を加工する」とは今自分の身に起きていることを持っている知識を活用して知ろうとすること。その行為が思考であると波頭氏は述べています。
人は色々なことを分かろうとする。目の前にモノが置かれた時には「これは何だろう」と知ろうとするし、風邪をひいた時には「なぜ風邪をひいたのだろう」と分かろうとする。
そういう時、目の前のモノの色や形や大きさなどを観察して、それと似たようなモノに関する自分の知識と照らし合わせて、目の前のモノについての情報と符合する知識が自分の中に見つかれば「それは〇〇だ」と分かるし、情報と知識が全く同じでなくてもだいたい同じであれば「それは〇〇だろう」「それは〇〇かもしれない」というメッセージを得ることになる。このような、情報と知識を照らし合わせたり繋ぎ合わせたりしてい何らかのメッセージを得るプロセスが「思考」なのである。
同上p.14-15
もし知識がなければ、風邪をひいたとしても「なんで風邪ひいたんだよぉぉ!あぁぁムカつくぅぅぅぅ!」とただイラつくばかりで思考ができないですよね。治そうにも知識を持っていなければ適切な治療を行えず、もだえ苦しむことになります。
知識があると外的情報を分析したり、問題の解決を図ることができますが、なければ感情の赴くままにただムカつくだけになってしまいます。
知識獲得が否定的にとらえられる現代日本ですが、知識獲得は思考力を養うのに必ず必要となる要素なのです。
まとめると、
・知識を獲得することで思考の幅が広がる
・知識と情報を加工することで思考力を高めることができる
・地頭の良さを信奉し、知識獲得に努めないのはオワコン
ということになります。