願いを叶えられる人と叶えられない人の決定的な違いは何か?
と問われれば、私は人生の変化を受け入れる覚悟があるかどうかの違いだと考えます。
多くの人には「努力の向性」だとか「強い信念」だと考えるでしょう。
確かにそれらも間違ってはいないです。単なる気合と根性じゃあ願いなんて叶わんし、かと言って気合と根性を無視してスマートに物事を進めてもどこかで限界が来るでしょう。
でも、それ以前に問題なのは変化を受け入れることができるかどうかなんですよね。
変化を受け入れないと願いは叶わない。
たぶんこれだけ言っても意味がわからん!という人もいると思います。
なので例を挙げて説明していきます。
例えば田舎の偏差値50の高校の、実際に学力が偏差値50程度の受験生がいるとしましょう。で、その受験生の志望校が東大だったとする。
もしその受験生が実際に東大に合格したらどうなるか。
合格して入学して、その後東大を卒業したら…。
人生は劇的に変化します。関わる人間、就く職業、稼ぐ収入(イヤらしい話ですいません…)、生活する場所。ありとあらゆることが変わります。
もし東大を目指さず、普通に偏差値50の高校を卒業していたらどうなっていたでしょうか。たぶん関わる人間、就く職業、生活する場所も「偏差値50の高校の延長線上」だったことだと思います。つまり劇的な変化は起きていない。
なんか偏差値とか学歴とかくだらん話をしてすいません…。決して学歴が良いとかそういうことを言っているわけではないのです。あくまで例です。
でももし自分がそういう立場だったら(つまり偏差値50から東大挑戦)恐くないですか?
だってもし東大に合格したら、置かれている環境が劇的に変化するんですよ!?
既に述べましたが、人間関係、職業、収入、住む場所、ありとあらゆる全てに変化が起きます。
願いを叶える途中で心が折れる人って実は変化することに内心恐れていると思うんですよ。
本当は今の生活が変わるのを恐れている。
会社とか公務員から独立をして失敗する人もそう。
本当は今の生活が変わるのが恐くてしょうがない。だから失敗してしまう。
本当は組織の居心地がよく安定した環境を手放すのが恐い。
こういう心理があるから失敗するように思えます。
組織に帰属している場合と自分で金を稼いでいるのとではあらゆる点において環境が異なります。関わる人間、仕事に対する重圧など。自分の人生が変わっていくことって考えてみるとかなり怖いんですよね。
受験にしろ、ビジネスにしろ、願いを叶えれられる人というのはそういう劇れるな環境の変化を受け入れる覚悟を持っているんですよね。だから目標に向かって突き進むことができる。
変化することは恐い。でもその変化を受け入れないと願いを叶えることができない、という感じに。
変化を恐れていては願いを叶えることは絶対にできません。
努力とか強い意志とかの問題もありますが、まず自分の人生が変わっていくことを受け入れなければ目標を達成できません。
おかしな言い方ですが、ぶっちゃけ願いなんか叶わないほうが人生ラクなんです。
人間関係、仕事、収入、結婚相手、などなど。全てが「予定調和」の方が大きな痛みや苦痛を伴うことがありません。
流れに身を任せ、慣性の法則に従うがままに人生生きてたほうが人生ラクなんです。
でも願いを叶えた人は例外なく、その慣性の法則に抗っています。
確かに何一つ変化がない人生の方がラク。でもそれだと大きな痛みや苦痛を味わわなくてすむが、同時に大きな喜びも得ることができない。
願いを叶える人はその大きな喜びのために自分の人生が変わっていくことを受け入れて突き進みます。
安定した人生を選ぶのか、安定に抗う人生を選ぶのか人それぞれだと思いますが、私は安定に抗う人間でいたいですね。そういう人生を選んだ場合、確かに道は険しいかもしれない。でもその先に今までみたことないような景色が広がっているのを考えるととても魅力的に思います。
人生が変わっていくことを受け入れる。
これこそが願いを叶えられるか叶えられずに終わるかの差だと思います。覚悟さえ決まれば勝手に前進しますし、その過程で「正しい努力」の方法論などもわかってくると思います。
あなたの願いが叶わないのはもしかしたら、自分の人生が変わっていくことを受け入れられていないからかもしれません。
高い目標ほど達成した時に人生は変わります。それもゆっくりではなく急激に。
人間関係、仕事、収入、住む場所全てが変わります。そのことに耐える覚悟があるのかどうかが重要となります。
今日はこれまでです。
以上。