現代はよりどころというものが昔よりもなくなっていると思う。まあ簡単にいうと何を信じればよいのかわからなくなっているということだ。今回はこのよりどころについて考えていきたいと思う。
目次
1.近代以前のよりどころ
近代以前はなにをよりどころとしたのか考えると、神の存在が大きいだろう。過去においては、欧米ではキリスト教の存在が大きかったのは周知の事実だ。日本においては仏教であろう。で、中東はイスラームだが、今も健在である。なのでちょっと例外になるかもしれない。あとはユダヤ教だろう。
これらの宗教がある意味、国家をまとめるのに必要不可欠であった。宗教の権威によって、国民を統治するができていた。
しかし、この宗教で国家を統治するということは時代の経過とともに、困難になっていった。なぜか。それは、一部の人間に独占されていた情報が広く国民に知れ渡ったからだ。
例えば、グーテンベルクの活版印刷術の発明がある。このイノベーションにより、ドイツ語訳の聖書が広く国民にいきわたり、宗教改革が起こることになる。
http://www.y-history.net/appendix/wh0902-084.html
そして、時代が進みデカルトの心身二元論の考えが広まる。http://www.y-history.net/appendix/wh1003-017.html
要するに情報が広く流通したこと、そしてそれまでの「常識」というのが根底から覆された結果、もはや神の、教会の存在は重要ではなくなったのである。この後は、もう知っている人が多いと思う。ガリレオやダーウィンの登場によって、ますます、常識というものが「変化」していくのである。
2.近代以降に直面した問題
結果、人々は自分自身のもつ理性を信じるようになった。確かに今でもキリスト教やユダヤ教は世界でも重要な存在だ。が、過去に比べると影響力は強くない(それでもユダヤ教はやはり強い)。
日本においてもおよそ明治時代あたりからは急速に近代化が進み、仏教の力は落ちていった。
では、どのような結果をもたらしたか。確かに人々は宗教によって自分の運命は支配されないとわかった。理性こそ人生において必要不可欠だ。
そのような「正しい」考えを身に着けた結果、世界から戦争はなくなったのか。人間関係など自分の悩みは解決するようになったか。世界から貧困がなくなったか。
まあこれらを問うのはちょっと過剰かもしれない。しかし世界から、戦争(というより今は紛争といった方がよいのか)や貧困がなくなったわけではない。あらゆる問題が解決したわけではない。
確かに医療技術の進歩によって病気や貧困は解決するようにはなってきたが、それでもいまだ問題は山積している。そう考えると必ずしも理性の力が頼りになるとは限らないことがわかる。
で、「神不在」になった結果、どうなったか。いわゆるカルト宗教が跋扈しはじめた。日本でもそれで多くの犠牲者がでたことは周知の事実であろう。また世界でも誤った考えを教わり、宗教を大義名分とし、争いが起こっている。
これは、何を信じてよいかわからなくなったことの弊害であるとおもう。そうなると今の自分にとって都合のよいものを信じるようになってしまう。
3.今後の方向性
で、まとめるとどうなのかというと、何を信じてよいかわからなくなったゆえ、おかしなものでも平気で信じるようになってしまった。
考えると、結構これは怖い。別に宗教に限ったことではないが、例えばマスコミで報道されている、ほんの一面に過ぎない事実も疑うことなく信じてしまうこともある。
そもそもテレビで報道されていることなんか、ほんの一面に過ぎないのだ。それなのに私たちはそれを当たり前のように信じてしまい、いつしかまた「人類の過ち」を繰り返すかもしれない。
そうならないためには、どうすればよいのか。過去に戻り、宗教の権威に再び頼らねばならないのか。それは現実的でないことはいうまでもない。そもそも現代の人たちの宗教に対する見方は過去の人たちのそれとは違う。
で、どうすれば良いかだが、現代ではSNSなどのコミュニケーションツールを使い、より直接的な人間関係を構築していくことだろう。いまではSNSなどでもコミュニティを作れる時代である。これらを使い、自分には信じられる人がいるという自覚をもつことである。また、それに加えて、自分の存在意識を再認識することも可能になる。このような直接的な人間関係を構築し、相手と自分の存在を認識することが必要だ。
このような関係を構築していけば、おかしな宗教やあまりにもかたよったメディアの情報に自分の価値観や人生を翻弄されることは少なくなることだろう。
したがって、何をよりどころとしてよいのかわからなくなった現代において、人間の直接的な関係を構築していくことは重要になるだろう。
今日はここまで!