Sakuはゆるく生きる

基本なんでも。

合理化社会における趣味の重要性

 社会で効率化や合理性が進められているのは言うまでもない。けれどもなかなか進まないと思うが。

 

 効率性や合理性を追求することで起こることは、余暇の時間が増える、ということである。

 

 しかし私たちは余暇の時間が増えることへの「準備」ができているだろうか。いまだ仕事に時間を追われ、趣味を持てないのが(というか持つ時間がない)現状なのではないか。

 

 

 

趣味を持たないと暇な時間が苦しくなる

 人間何が辛いかと言われれば、何もしないことだろう。確かにやりたくもない仕事をやらされたり、「勤労の美徳」の名の下に長時間働かされることもつらいが、そのようなことは時代の流れでなくなりつつある。

 

 そのような時代背景を考えるとこれから私たちが直面する問題は余暇の時間をどうするかということだろう。おそらく「働き方改革」の名の下でちまちまと労働時間は減っていくはずだ。

 

 

 今までのようなルーティンで固められた生活からは解放される。そうなると自分でスケジュール管理する時間が増えていく。

 

 学校の時間割や会社、役所の勤務時間に心地よさを感じてきた人はフレキシブルに対応できるのだろうか。

 

 短くなった労働時間の後はどうするか。増えた休日はどうするか。これらのような問題が相次いで私たちにふりかかってくる。

 

 そうなってしまうと仕事一筋で生きてきた人たちは生きがいややりがいを失ってしまう可能性が高くなる。もう暇な時間が苦しくて苦しく震えるような生活になってしまう。

 

 そのためにも私たちは今から趣味を持つ必要がある。

 

趣味なんてなんでもいい

 しかし今まで仕事しか頭になかった人がいきなり趣味を見つけろと言っても難しいことだろうと思う。

 

 ただ趣味なんてなんだっていいのである別に金だってかけなくていい。むしろ最小限のコストでどれだけ自分の欲望を満たすことができるか、と考えることも趣味っちゃ趣味である。

 

 

 というか学生時代にはまったことを趣味にするのが一番良いんじゃないか。私たちは社会に出る前までは全力少年だったはずである。必ず何かのめりこんでいたものだあったはずだ。

 

 まさか「受験勉強しかやってませんでした。私の青春はそれです」みたいな人はいないだろう。仮にそうだったとしても読書という知的好奇心を満たすものがある。

 

 そうやって自分の興味関心からいろいろ広げていって趣味をもつのが一番上等な手段である。

 

 何もしないことほど苦痛なことはない。趣味を見つけよう。

 

遊びが文化を発展させる

  実は文化を発展させるのは遊びだったりする。働くことが当たり前になっている社会ではあまり信じられないし、実感がわかないかもしれないが、事実そうなのである。

 

 例えば学校でやる確率なんて頭の良いギャンブラーがどうやってギャンブルで勝てるかを考えた結果生まれたものだ。

 

 古文とかだって昔はめちゃくちゃ時間有り余ってたからあんなん書くことができたのである。松尾芭蕉だって「日々旅にして旅をすみかとす」と言っているが、要は住所不定無職である。それが今では私たちの習う勉強の一部になっているのだ。

 

 伊能忠敬だって現代のような社畜ライフを送っていたら日本地図を作れていなかっただろう

 

 もっともっと昔の話をすると、昔々ギリシャという国でソクラテスとかいう頭の良い暇人が「あーでもないこーでもない」と言っては周囲の人を困らせた結果、哲学という学問が生まれた。「あーでもないこーでもない」と人々を困らせた人が歴史上の人物になったのである。そして学問が生まれたのである。

 

 そう考えるとイノベーションが生まれないのは、今のような休みがほとんどない労働社会に原因があったりする。

 

 つまり言えることは遊ぶことを忘れると老いて枯れるんだぜ!ってこと。これからの合理化社会に向けて自分の好きなものを見つけ、イノベーションを起こそう。