日本人はドイツという国に対し強い理想があるようだ。特に労働環境に対しては。
よくドイツの労働環境を引き合いに出し、日本の労働環境をdisるのが定番である。例えば「ドイツは効率的に生産的に働いて残業をしない。それに比べ日本は…」みたいなのがよくあるdisりだ。
私自身もドイツの労働環境は理想的であり、日本の労働環境はオワコンだと思っていた。しかし『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』という本を読んでその考えが間違いではないにせよ、誤解があることがわかった。
そもそも残業のない国家はあるのだろうか。皆が一か月休むとは一体どのようなことを意味するのか。日本の労働環境は本当にオワコンなのか。
ドイツの労働環境にも残業はある
ドイツの労働において、残業がないと思っている人がいれば、それは誤った認識である。
いくらドイツだからといっても、終わらせなくてはいけない仕事があるのにみんな仕事を放り投げて家に帰るだろうか。さすがに、そんなことはない。いや、できなくはないが、そんな人に仕事を任せたいだろうか。-『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』p.114より引用
仕事が残っているのに露骨に帰るのは、さすがにドイツでも好ましくない行為である。私たちはそのことをちゃんと理解しているだろうか。あまりにも日本の労働環境が特殊だと思い込み、仕事を丸投げして定時に帰るというようなことをしてる人はいないだろうか。
そのような行為はどこの国でもおそらくヒンシュクを買うだろう。効率的に働いている、生産性が高いことは間違いないかもしれないが、だからといって残業ゼロということはありえないのだ。
それなのに今日本は残業を全くしないことを美徳としノー残業デーというようなものまでできている。確かに労働環境を是正することは大事だし、極力残業をしないような効率的に働くことは必要なことだ。
だが、ただ無思考にドイツの労働スタイルを模倣したところで中途半端になるのは目に見えている。ドイツの労働環境を礼賛するのは結構ではあるが、それが完全なものではないということも認識すべきである。
ただドイツは労働時間貯蓄制度という「今日1時間残業したから明日は1時間早く帰る」みたいな柔軟な働き方はあるようだ。
1か月の長期休暇が意味すること
ドイツは1か月の長期休暇が取れることは事実らしい。だが私たちは、つい良い部分にしか目がいかない。「1か月休めるなんて天国に違いない!」、こう思っている人もいるだろう。
確かに1か月休んでいる自分はまさに天国にいる心地である。しかし皆がそのようなことをすればどうなるだろうか。
仕事が回らなくなる。これに尽きる。なので飲食店がどこもやっていない、病院もやっていない、なんてことはざらになる。サービスを受ける側からすると、不便なことこの上ない。
それに比べて日本はどうか。確かに1か月単位の休暇はないが、飲食店や病院がやっていないことなんてないし、受けたいサービスはいつでも享受することができる。コンビニなんて24時間営業である。
そう考えると1か月の休みを取れることは果たして良いことなのか、という疑問が生じるが、この点に関しては好みが分かれるところだ。不便になってもいいのならドイツのような長期休暇は魅力的に感じるし、サービスを受けられない不便さに耐えられないのなら長期休暇は断念するしかないだろう。
日本とドイツの就職活動
日本の就職活動に対する印象は結構好みが分かれるところだ。おそらく大部分の人は本音と建て前をわけ、うまい具合に就職活動をする(現在進行形でしている)だろうと思う。
つまり本心ではこんなバカバカしいことをやる意味があるのか(皆同じ画一的リクルートスーツや型どおりの面接など)と思いつつもそのような心情は押し殺し、しっかりと内定先を決める。そういう人が多数である。
しかしその一方で、本音と建て前を区別できず(というか割り切れずといったほうが正しい)、就職活動に積極的になれない人も一定数いる。
『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』の著者はそのパターンだったらしい。そもそも日本の労働環境に良いイメージを持てず、画一的なリクルートスーツ、マニュアル通りの面接の就職活動にやる気を失ってしまったようだ。
実は私自身もそのような考えを持っていた。皆同じような服装をし、同じようなことを言って内定を取る、もうサイレントマジョリティー以外の何物でもないと思っていた。そして電車の中の大多数のスーツ姿のビジネスパーソンを見て絶望的な「未来予想図」しか描けなかった。
話を戻すと、要は日本の就職活動というのは本音と建て前さえ区別できれば(それが難しいんだな~、私にとって笑)まあなんとかなるようにできている。
そのような日本の就職活動ではあるが、ドイツの就職はかなりシビアであるようだ。ドイツの就職活動は日本の新卒一括採用と違い、欠員補充が原則であるという。つまり会社のポジションに空きができたら、採用するという形式である。
で、しかもそれはちゃんとスキルがあり即戦力であると判断された場合において入社を許可される。日本的な本音と建て前的な就職活動は存在しないが、その分実力が重んじられるというのだ。
それに比べると日本は恵まれている。何のスキルも経験もないピュアな学生を採用し、しかも入社後に教育してくれるのだから(そんなことをしないブラックな企業もあるが)。
日本とドイツの働き方
日本の企業での入社後の一般的な働き方はまず「純粋無垢」な新入社員を社畜マインドに染め上げ、従順なサイレントマジョリティーに養成する。それはウソ(あながち間違ってはいないが)。
真面目に話すと、社内教育をしつついろいろなポジションを経験しゼネラリストに(人によっては特定の部署)養成する。何をやらされるのか不安定な状況ではあるが、いろいろなポジションをやらせるので柔軟性がある。
ドイツではそのようなゼネラリストではなく、基本ポジションは同じままである。集中してキャリアアップを目指せるが、「一刀流」なので柔軟性がない。
日本とドイツではこのような違いがある。したがってひとえに「日本の労働環境はおかしい!!!ドイツに学べ!!!」というのは少々乱暴な考えではある。日本の会社にも良い部分があり、その逆にドイツの会社にも悪い部分があるということも理解しておくべきである。
重要なのはドイツの働き方を「おいしいとこどり」するのではなく、日本の会社とどのような点が違うのかをしっかり理解することだろう。
わたしたちはどう生きるか
以上みてきたようにドイツの労働環境にも良い点、悪い点の両方があるのだ。そういうことを考慮せず「ドイツはなんと素晴らしい労働環境なんだ!!!」と手放しに礼賛するのは良いことではない。
確かに日本と比べれば優れている点はあるが、日本にも日本なりの優れている点はある。既に述べた「純粋無垢」な学生を社畜マインドに染め上げるなどはその例である(これはウソ。完全な間違いではないが)。
つまり何のスキルや経験もない学生を教育してくれる点など。というかだからこそ、画一的でマニュアル通りの面接が就職活動で行われるのだが。従順な学生でないとそのような教育を施すことは困難なのだ。
私みたいに「サイレントマジョリティーみたいな就職活動なんて、『僕は嫌だ!』」という不協和音を恐れたりはしない人間は教育しずらいのだ。
まとめるとドイツの労働環境は必ずしも理想郷ではないということだ。私のこの記事を読むより、実際にドイツで生活している方の本を読むのがいいでしょう。↓