ドゥ・ラ・リュミエール

英語や自分の考えていることを書いていきます。

アラサーになり、「死」というものがリアルに感じ始めた。

 私、年齢的にアラサーなんですよ。

 つまり30歳前後。

 別にアラサーだから、というわけではないのですが、年を重ねるごとになぜだか「死」というものがリアルに感じ始めるんですよね。

 他人の死はもちろん、自分にもいつか訪れるであろう死も。

 特にニュースなどを見ていて、自分と同い年ぐらいの人が死んでいるのを聞くと、「ああ、いつか自分も死ぬんだ。人に訪れる『死』というのはその時期が早いのか遅いのか、その違いでしかないのだ…」

 という悲観的、厭世的な気持ちになってしまいます。

 で、自分はいつどのように死ぬのか?について考えてしまいます。

 平均寿命まで生き、そして最後は老衰で死ぬのか

 それとも病気にかかり若くして死ぬのか

 事故で死ぬのか

 殺害されて死ぬのか(事故も同じようなもんですが)

 自殺して死ぬのか

 結局のところ、上記のいずれの可能性があるわけです。

 ということは、ある意味、私なぞいつ死んでもおかしくないわけです。

 運命に抗い、自ら死を選択する可能性だってありますし、運命に従い天寿を全うする可能性もある(それが病気で死ぬのか老衰なのか事故なのかは知りませんが)。

 言ってみれば今日死ぬかもしれないし、明日死ぬかもしれないし、1年後死ぬかもしれないし、10年後に死ぬかもしれない、いつ死んでも決しておかしくはないのです。

 だから希望を持って生きようとか悔いのないように日々を過ごそうとかそういう高尚なことではなく、本当に人間はいつ死んでもおかしくはない、それ以上でもそれ以下でもないのです。

 20代前半までは「死」なんて自分にとってリアルには感じませんでした(まあ自殺したいと思ったことは何度もありますが)。

 ネットやテレビで人が死んでも、自分と年が近い人が死んでも関心の対象にはならなかった。

 でも30歳前後という人生の節目では全くないですが、いろいろ世の中のことがわかってくると、世間で何気なく起きている出来事が決して自分と無関係ではないことを感じ始めてしまうんですよね。

 年齢を重ねるごとに身近な人間の死に直面する機会が増えるでしょう。

 それと同時にいつか自分にもその時が必ず訪れるということを一層実感するでしょう。

 人間はいつ死んでもおかしくはない。

 若くして死んだとしても、早い段階で「死」というイベントが訪れただけ。

 人によっては不謹慎に聞こえると思いますが、それでも「死」というものは常にリアルであり続けるのです。

 アラサーになり、そんなことを思ったのでした。

 以上です。