Sakuはゆるく生きる

外国語系の記事が多くなりそうです。

ジコチューで生きよう!

 『ジコチューで行こう!』は乃木坂の曲だけどね。

 


ジコチューで行こう! (TYPE-A)(DVD付)

 

 私たちはジコチューに生きられているだろうか。

 

 否、生きられていない。自己を犠牲にして他者(組織)を第一に考え生きている。特に日本人は。

 

 が、もう少し自分のことを考えてもいいのではないかと思う。

 

 今日はそんなことを書いていく。

 

 

 

ジコチューな生き方に対する一般的認識

 私たちは自己中心的に生きることに対し、悪い印象を抱く傾向にある。

 

 それは自分のことしか考えず、他者を思いやっていないことと受け止めているからだと私は思う。

 

 確かに物事を自分中心に考えることはいいことではない。この世界は常に誰かと関わっていけないからだ。そんな状況で自分中心で物事を考えていては自分自身が人生において不利になるだけである。

 

 そういう考えが私たちにあるからジコチューで生きることは常に悪いことであるという考えが支配的である。

 

 

ジコチューに生きることはやはり悪いことなのか

 ジコチューに生きることは結局、悪いことなのだろうか。私たちはこれからも自分のことよりも他人や組織のことを考えて生きていかなければならないのだろうか。

 

 日本では学校でのいじめ、会社での過労自死などを理由に命を絶つ人が多い。

 

 上のような理由で命を絶ってしまった人はきっと自分よりも周囲のことを大事にするような人だったと思う。

 

 そのようなことを踏まえて改めて問い直そう。

 

 ジコチューに生きることは悪いことなのか

 

 私は悪いことではないと考える。

 

 確かに最初でも述べたように他者のことを考えず、自分のことのみを考えるジコチューは良いことではない。

 

 というか、こういうジコチューの人間のせいで多くの心優しき人々は自ら命を絶っている。

 

 そう考えると周囲のことをあまりにも考えすぎるのは危険である。自ら死を選択するような危険性がはらんでいる。

 

 とりわけ日本人はあまりにも周囲のことを気にしすぎているのではないか。

 

 だから自殺の例もそうだが、他にも「会社を辞めたら周りに迷惑がかかる」とか「できないことをできないと言ったら上司からの評価が下がってしまう」とか「ノーと言ったらクビになる」というようないらん心配事ばかりに気を煩わしてしまうのではないか。

 

 もしかしたらこのブログを読んでいる人のなかにもそういう考えを持っている人がいるかもしれない。

 

 言っておくが会社に迷惑をかけたところで、上司の評価が下がったところで人生なんてびくともしない。

 

 会社をクビになったところで人生が終わるわけではない。人生は相変わらず続いていく。

 

 収入源が途絶えたところで、心臓が止まるわけでも、死ぬわけでもない。

 

 というか、たった一人の人間のミスや迷惑で会社の経営が傾くようならそれはブラックであること必須。

 

 今すぐ辞めたほうがいい。

 

 そもそもあなたは人生で何をしたいのか。

 

 毎日毎日着たくもないスーツを着て、乗りたくもない満員電車に乗り、会社ではいちち上司の顔色を窺って、やりたくもない仕事をやって。

 

 こんなことを人生でやりたいのか。

 

 そうではないはずだ。

 

 本当は明確にやりたいことがあるはずだ。それにも関わらず、学校や会社のくだらない常識(社畜マインド)を植え付けられ、自分のことを考えられずにいるのだ。

 

 あなたは真面目で勤勉なhard workerである。

 

 しかし、もっと自分ことを考えない限り、相変わらず何の変化もない日々を送ることになるだろう。

 

 そして気づくと定年である。

 

 これって想像すると恐ろしくないか。

 

 せっかくの人生なのにおよそ40年から半世紀何の変化もなく、自分のやりたいことができないだなんて。

 

 もちろん会社や役所などの組織で生活することにやりがいや生きがいを感じ、毎日充実した日々を送っている人なら何の問題もない。

 

 問題はジコチューに生きることにためらっている人である。

 

 あなたは十分に周囲のことを考えて生きてきたと思う。だからもうジコチューに生きたところで、不利益を被ることはない。

 

 いますぐに行動することはできないかもしれないが、いずれどこかのタイミングで自分の心に素直にならなければ、この先の人生を変えていくことはできない。

 

 神は行動する人間に味方する(私は特定の宗教に信仰心があるわけではないが)。

 

 求めよ、さらば与えられん

 

 確かに行動することは大きなリスクを伴う。これまで築きあげてきたものを失ってしまうかもしれないし、成功する可能性だってあるかどうかわからない。

 

 だが、行動しなければ何も起きないのだ。

 

 たとえが適切かわからないが、私だって一度大学に入ったのに再受験しようと決心した時あまりにもリスクが高かった。

 

 学費は高いし、受験に失敗したらもう今後どうなるかわからない。

 

 そういう状況の中で再受験を決行した。

 

 第一志望は受からなかったが、第二志望の大学で人間関係に恵まれ良好な4年間を過ごすことができた。

 

 再受験とかあまりにジコチューでリスクの高いものだったが、結果良い現実を引き寄せることができた。

 

 なので、ジコチューに生きることは悪いものではないし、人生を変えるために必要な行動なんだ。

 

 

この瞬間を無駄にはしないこと

 人生あっという間だ。周りなんて関係ないのだ。

 

 そう人生なんてすぐ過ぎ去ってしまうのだから、いちいち周りのことなんて考えている時間なんてない。

 

 年を重ねるにつれて特にそれを感じるだろう。

 

 私たちはあまりにも協調性を重んじすぎている。そのせいで自分自身で行動することのリミッターを外せないでいる。

 

 他人と同じような選択肢を選んで、自分自身の個性を失ってしまっている。

 

 自分のやりたいことに目を向けられないでいる。

 

 そうやって自分に正直にならず、他人と同じような道を歩むことによって、結果辛い思いをするのだ。

 

 やって後悔することよりもやらないで後悔することの方が人生の損失は大きい。

 

 人生あっという間だ。

 

 すぐに行動することは難しいかもしれない。それでも行動することによって、結果がどうであれ、人生が変わることは間違いない。

 

 自分の心に素直になり、行動しよう。

 

 

みんなに合わせるだけでは生きている価値も意味もない

 もうわかっただろう。

 

 他人に合わせたところであなたの人生は幸せにはならないのだ。

 

 繰り返し言うが、ジコチューになってもなんら問題はないのだ。

 

 他人に実害を加えたりしなければ。

 

 自分の人生は自分で決めていかなければならない。そのためにも周囲のことを考えすぎるのをやめジコチューになることが必要だ。

 

 少しでもジコチューに生きることの誤解がなくなっていけば、私たちはもっと豊かに幸せに生きることができるだろう。

 

 本当に私たちは世間体とか、くだらない見栄とかプライドを気にしすぎている。そのせいで私たちはいつの間にか周りに同調することに何の疑問も抱かなくなる。

 

 そういう生きかたのほうが、何か行動することのリスクよりも大きいのだ。

 

 何もしなければ、相変わらず単調で変化のない、周囲の顔色を窺うだけの人生になってしまう。

 

 時代の流れは確実に変化している。

 

 既存の常識はもう通用しなくなっている。

 

 昔のように「社会のレール」に乗るような人生はもはや時代遅れになっている。

 

 そんなことをしても人生は変わらない。

 

 人生あっという間だ。

 

 

 自分のこと、考えようぜ!

 


(146)自分のことだけ考える。: 無駄なものにふりまわされないメンタル術 (ポプラ新書)