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通勤ラッシュと日本の教育

  昨日仰天ニュースを見た。内容はいじめに関するものだった。

 

 が、それ以上に私の関心を引いたのは司会の中居正広氏の発言だった。

 

 その発言をもとにいろいろ書いていく。

 

 

 

通勤ラッシュの時間帯の電車に乗る人々

 中居正広氏の発言はこうだ。

 

 ・自分の周りには大卒はいない。みな地元の会社へ就職。家から職場まで車で通勤。だから通勤ラッシュの電車にそもそも乗る必要がない。

 

 ・一方、中高大と受験を経験した人は都心部の会社に就職し、通勤することになるケースが多いので通勤ラッシュの時間帯の電車に乗ることになる。

 

 こんな感じだ。本人はそんなに深い意図をもって発言したつもりはないと思うが、私にとってはとてもとてもとても重要な指摘に思えた。

 

 だからこうやって記事にしているのだけど。

 

 もちろんこの発言が全ての場合を言い表しているわけではないことは十分承知のことだ。

 

 都会の偏差値の高い大学を卒業後、地元へ戻り、通勤ラッシュとは縁のない生活を送っている人もいるし、地方の高校・専門学校を卒業し都会に上京し通勤ラッシュに巻き込まれている人もいる。

 

 だがラッシュアワーの時間に電車に乗っているのは中学から高校、大学まで受験を経験した人が圧倒的多数だろう。

 

 こういうことから受験というのは私たちの必ずしも恩恵をもたらしているわけではないのだ。

 

 電車に乗っている彼らの表情はどうであろうか。皆不満げで、中には露骨にむかつきながらスマホをいじっている人がかなりの割合を占めているのではないだろうか。

 

 電車の遅延にいらつき、さらにストレスが増えていく。

 

 受験の経験とは一体なんだったのか。豊かに生活を送るための手段ではなかったのか。

 

 世間の教えと自分が直面する現実にあまりににもギャップがありすぎるのではないか。

 

苦労の先に待ち受ける現実

 

 

 着たくもないスーツ(特に今のくそ暑い時期とか最悪)、乗りたくもない満員電車、非効率な労働がいくらでもまかり通る職場、そういう経験をさせられて「一体受験での苦労は何だったのか」という疑問を抱かずにはいられなくなる。

 

 一般的に考えれば、受験を経験することのメリットは大きい。その点に関しては私も過去の記事で書いている。

 

 

www.penserblog.net

 

 

 長いので日本の大学のところだけ読んでいただければ。

 

 ざっくり受験の良いところを述べると、勉強方法や知識を身につけられること、計画を立てそれを遂行していこうとする力もつけることができる。

 

 ある程度のレベルの知名度のある大学へ進学すれば周りのウケがいい。

 

 しかし、誤解を恐れずに言うとその程度なのだ。勉強方法を身につけるのはあくまで手段に過ぎない。

 

 それに気づいていない人が結構多い。

 

 自分で人生どうにかしていこうとしなければ、結局「宝の持ち腐れ」となってしまう。その「宝の持ち腐れ」を集約したものが日本の通勤ラッシュなのである。

 

 今までは「試験などでいかに点を取るか」ということを考える機会が多かったと思う。

 

 だが人生をどう生きるかということについては深く考えてこなかったのではないか。

 

 その結果が通勤ラッシュだ。

 

 日々このような「地獄」を見せつけられ、経験させられ、「あ、自分は人生についてしっかり考えてこなかったんだな」と痛感する。

 

 その一方で受験レースに参加せず、地元にとどまった人はラッシュアワーの「被害者」になることは避けられたのである。

 

 彼らが人生についてどれほど深い思考を巡らしていたかはわからない。

 

 わからないが受験レースに参加し、都心へと進出すると苦しい思いをするだろうなとは直感的に感じていたのではないか。

 

 彼らの直感は見事に的中したのだ。

 

 大事なので繰り返していうが、「高学歴のチケット」を手にして地元へ帰って生活する人もいる。

 

 だが人生について深く考えずに高学歴→都心の企業というレールに憧れを抱くと、あまりに残酷な現実に直面することになる。

 

思考をさせない、理不尽に対する耐性を身につけさせる日本の教育

 若干通勤ラッシュの話題からそれてしまう。

 

 

 私たちは社会人になると意味不明な理不尽さに苦しむのか。

 

 その答えを明快に示してくれている本があるそれが堀江貴文氏著の『すべての教育は「洗脳」である』。

 

 読んだことがある人は多いだろう。まだ読んだことのない人はぜひ一度読んでみることをおすすめする。

 

 教育に対するエッセンスが書かれているからだ。

 

 本に書かれている内容はこうだ。

 

 ・国家が学校という教育機関に要請していることは「従順な家畜」を生み出すこと

 

 家畜と聞いて不快に感じる人もいるだろう。だが、私たちは現に「従順な家畜」になっている。

 

 「上司に思った事をストレートに言ってはいけない」、「どんなに非効率な労働が職場内でまかり通りまくっていたとしても、それを言ってはいけない

 

 こういうことを暗黙のうちに受け入れている。

 

 そもそも就職活動の段階で「福利厚生はどうなのか」とか「転勤を拒否するのはNG」とか「クソファッキンなパワハラ上司がいるかどうかも聞くこともNG」ということをレクチャーされ受け入れること自体、もう「従順な家畜」だろう。

 

 本当に興味があるのはそういうところなのに聞いてはいけないことになっているのだ。

 

 こういう「従順な家畜」を生み出す「政策」は学校の教育から既に始まっている。

 

 「廊下を走ってはいけません」、「教師とすれ違ったら挨拶しましょう」、「給食を残してはいけません」というもはや人権侵害に等しいようなことを言われ続け、私たちは育ってきた。

 

 詳しくは『すべての教育は「洗脳」である」を読めば全貌がわかる。

 

 何も疑いもせず、言われたことを当然だと思い込む。

 

 「従順な家畜」になるのも無理はないだろう。

 

 だから明らかに狂っているとしか思えない就職活動だって何の疑問も抱かずにすることになる。

 

 非効率な労働がまかり通る日本の会社であるが、もう学校から既に始まっている。

 

 例えば掃除当番。

 

 どんなに効率的にやり、早く終えたとしても、「労働時間」がある程度決まっている。ゆえに効率的にやることに無念を感じる。

 

 これが残業などを生みだすルーツになっているのではないかと私は推察する。

 

 他には給食。

 

 全部そろった人から食べればいいのに、みんなに給食が行き渡り「いただきます」を言わなければ食べることができない。

 

 食後も食べた人から片づけ、とっとと昼休みにすればよいのにみんなで「ごちそうさま」を言わないと終えることができない。

 

 身柄を拘束されているといっていいだろう。

 

 これら一連の動作を協調性とか「和を以て貴しとなす」となすのは完全に思い違いである。

 

おそらくこんなことを信じている人間が職場で非効率を生んでいるのだが。

 

 こんな無様なことはないだろう。「大不正解」である。

 

 

 この非効率を遂行させようとする学校の延長線上にあるのが会社なのだ。

 

 なぜこのような非効率、「従順な家畜」を養成するかというと、支配する側の人間がラクだからである。

 

 言われたこと、やらされていることに何の疑問も抱かない人間ほど使い勝手の良い存在はいないだろう。

 

 こんなこと書いてる私みたいな人間はやっかいだろうし、ホリエモンのような人が世の中にあふれかえったら、働かないおっさんは地に堕ちることになる。

 

 一方支配される側も学校の教育によって受動的に行動することに慣れてきたので、命令されて動く方がラクなのだ。

 

 このような奇妙なwin-win関係を築いているのが日本の社会なのだ。

 

 その社会の縮図が日本の通勤ラッシュ、満員電車なのだ。

 

 関係ないが、最近になってようやく国家ぐるみの教育がおかしいと気付く人が増えてきた。

 

 そのようなことと、道徳がわざわざ成績評価の対象に格上げされたのは決して無関係ではないと私は考える。

 

 もう道徳規範を無理にでも植え付けなければ、「危険」だと国家は考えたのだろう。

 

 日本の教育はあなたを自由にさせるわけでも、豊かにさせるわけでもないのだ。

 

自分で勉強し自分の頭で行動し、大人たちが振りかざす常識は疑え!

 通勤ラッシュ、暑苦しいスーツ、非効率がまかり通る職場、知性なき上司、メールで済むことをわざわざ電話で連絡してくる思考レベルが旧石器時代の人間。

 

 

 私たちはこれらの問題にどう対処していけばよいのか。

 

 自分で勉強し、知性を鍛錬し、自分の頭で行動する。これに尽きる。この勉強、行動力を上げていけば、上のようなうざい職場や電話大好き野郎からエスケープできるし、新しい環境でもやっていけるからだ。

 

 これからの時代、能動的に行動することができる人が人生を優位に進めることができる。

 

 特に行動することは重要である。もし今、自分が理不尽な状況に置かれているとしたら、とっとと退職して転職するなり、独立の道を模索すべきである。

 

 

 それを可能にするのが行動力だ。

 

 受験勉強で培った思考力はそういう場で生きるのだ。

 

 そもそも知識や思考力がなければ、自分がおかしな状況に置かれていることにすら気付かない。

 

 なので、日々貪欲に知識を磨いていこう。

 

 知識を磨いていけば、大人たちの振りかざす常識がいかにナンセンスなものかがわかるだろう。

 

 そういう意味では受験での思考力を磨いた経験は間違いではないのだ。

 

 だが、受験を経験せず、あまり勉強をしてこなかった人もいるだろう。

 

 心配は一切いらない。

 

 今はインターネットの発達で情報だあらゆる人たちにオープンになっている。

 

 本などもブックオフなどで安価に売られているので簡単に有益な情報を手に入れることができる。

 

 それも厳しいようであれば、図書館に足を運び本を借りることだってできる。

 

 情報はあなたに対して常にオープンなのだ。

 

 だから今まで勉強をあまり熱心にやってこなかった人でも十分勉強する環境が整っている。

 

 様々メディアツール、つまりネットや書店、ブックオフ、図書館などを利用し、知識をフルに磨いていこう。

 

 そうすればあなたの人生は実り多いものになる。

 

 なにより大人たちの常識がまったく意味のないものだとわかるはずだ。

 

 あとは学校~会社で植え付けられた「家畜マインド」を取っ払い、自分で行動していくことだ。

 

 求めよさらば与えられん