「全力少年」ですね。身に着けたものを取っ払いたくなったのでしょう。
— penser(パンセ) (@NEETkei_penser) 2018年10月31日
宮腰沖北相、過去に裸で議員宿舎の部屋訪ねる 「反省」:朝日新聞デジタル https://t.co/Vdn6a6YVBj
何日か前の記事だ。政治家が「前前前世」(movie.ver)に酒に酔って、身に着けたものを取っ払って「全全全裸」(そんな曲はない)になり、「全力少年」になったらしい。
翻訳すると、過去に酒に酔って服を脱ぎ、その状態で他の議員のもとへvisitしたらしい。
まさに一億総活躍社会にふさわしい。政治家がまず活躍の手本を示してくれるなんてこんな国は他にはない。「ハレンチ国家」と世界から呼ばれるのもそう遠くないだろう。
そういえば去年は確か復興大臣が過去に女性の下着を盗んだという報道があった。
高木前復興相の“パンツ泥棒逮捕”がいまさら事実認定! 安倍政権への配慮で追及しなかった新聞・テレビの責任|LITERA/リテラ
スピッツの曲に『運命の人』というのがある。その曲の歌詞に「変な下着に夢がはじけてたたき合って笑うよ 余計な事はしすぎるほどいいよ」という一節がある。
総じて言えるのは政治家は余計な事はしすぎない方がいいぜ!
こういう事実を目にすると強い憤りを感じる人もいるだろう。
・おい、「全員野球内閣」って「9番指名打者」のやつばっかかよ!
・9番に指名打者置くんだったら指名打者外してピッチャーに打たせろや!!
こんな感じで怒る人もいるだろう。野球経験者なら、経験者でなくても「9番指名打者」がどれほど不要な存在なのかがわかるだろう。「打てない・走れない・守れない」のトリプリスリーと言っているようなものである。
ただ、感情論だけで終わってはもったいない。なぜなら酒を飲む人なら誰でも政治家のような失敗をしてしまうことがあるからだ。私たちは失敗から学ばなければならない。
政治家すら酒で失敗をする。いわんや国民をや。受験勉強の漢文の勉強で「AすらかつB。いわんやCをや」をやった記憶がある。
酒と上手に付き合わなければ取り返しのつかないことになる
酒の失敗談は誰にでもあるだろう。私だって今までの人生で通算4,5回ぐらい駅で「描いた夢への放物線」を描いてゲロッたことがある。あの時は「全力少年」だったのだ。
ただ公的な場で吐いたことがある人は割合多いと思う。
ところで酒を激しく飲むと、人は2つのパターンに分かれる。1つは上記の政治家のように「全全全裸」になる人。もう1つは性格が変わる人。
致命的なのは、脱ぎたがりなパターンである。素っ裸は私たちのビジュアルに強いインパクトを残す。もし公的な場でそのような素っ裸になったらどんなことになるか容易に想像がつくだろう。
まず公然わいせつ罪で警察に捕まる。これは当然の流れであるが、それ以上に危険なのはみんなが見ているという事実である。現代はスマホですぐに写メれるし、動画だってすぐに撮ることができる。
もしあなたが公衆の面前で素っ裸になったら、それは人々の「データ」として保存されることになるのだ。これは生涯を通じて不名誉なことになる。普段人は他人に対して無関心だが、そういう時に限って他人を気にするのである。
したがって致命的なのは酒を飲んで脱ぎたがりな人である。まあどっちが致命的とかは比較できないのだが。
一方、性格が変わるというのは人を巻き込む。もし酒を飲んで暴力的な性格になったら、関わっている友人や職場の人との関係が悪化してしまう。
いくら酒のせいだとはいえ、周囲に迷惑をかけるような人とは付き合いたくないだろう。しかし脱ぎたがりな性格とは違い、ハレンチなデータとして保存されることはない。
最悪、本当に最悪全面的に謝罪をすれば、かろうじて周囲との関係を修復できる可能性はわずかだが残されている。
というか仮に「やたらキレてるやつ」として他の人に写メられたり、動画を取られたりしても素っ裸を取られるよりはましだろう。
そういうわけで酒を飲みすぎて素っ裸になることの方が危険である。
私のアルバイト時代の客の話
私は以前カラオケでバイトをしたことがある。その中で酒を飲みまくり脱ぐお客と性格が豹変しめちゃくちゃやばいお客の両方に出くわしたことがある。
酒を飲みまくって服を脱ぐ「露出教」は二大宗派に分かれていた。1つが「全部派」、もう1つは「下半身派」。
私は「下半身派」の信徒と出くわしたことがある。ドリンクを持って部屋を開けた瞬間、スーツの上だけを着たビジネスパーソンが熱唱していた。何を歌っていたかは記憶していないが、とにかく熱唱していたことだけは記憶している(『吾輩は猫である』風)。
(もちろん1人ではなく複数でイラッシャッテタ)
「全部派」は女性クルーが出くわしていた。まあ説明するまでもないが、彼女が部屋を開けた瞬間、そこにはエンジン全開の「全部派」のオッサンが熱唱していたという事実だ。ありのーままの姿見せるのよー。
こんなんだから日本の労働環境が良くならないのだし、セクハラもなくならないのだ。若者が会社を嫌う理由もわかるだろう。
で、酒を飲みまくり性格が変わる客もやっかいだった。ウィスキーを飲みまくり、仲間同士で喧嘩を始め、殴り合うわ、ゲロ吐くわ、血を流すわで大変だった。結果警察を呼んだんだが警察の人たちも手を焼くほどの惨事だった。
大事なことなので繰り返すが、「露出教徒」は頻繁に来ることなんてないし(地域による)、性格が荒れ狂う人もそんなにいない(地域による)。
そういうのはまれな事態なのだが(地域による)、インパクトが強すぎるゆえ、印象に残ってしまうのである。
日本人としての問題
『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』という本に興味深い内容が記述されていた。そのまま引用しよう。
ドイツはレストランでもバーでも、あくまで「外」である。個室はないし、飲みすぎて店内で寝るのもありえないし、千鳥足で歩くような人もいない。そういった振る舞いは大人として恥ずかしいとされる(ただし、サッカーの試合のあとなら何でも許される)。『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』p.27より引用
「大人として恥ずかしい」というのがぐさりと刺さるのではないか。
日本人は居酒屋において周囲の目をあまり気にしない。いったん店に入ってしまえば周囲の目を気にすることなくどんちゃん騒いでしまう。
で、その中でもモラルのない人たちがさらにエスカレートして、酒酒酒に溺れていって最後は悲劇的な結果となる。
私たちは、学校や職場では礼儀を徹底的に重んじるのになぜか居酒屋などの「私的」空間ではあまりマナーを重んじない。マナーを重んじるとしてもせいぜい座る位置の上座とか下座とかその程度だろう。
ここで気付くことがある。日本人がやる居酒屋などのマナー(上座の位置とか下座の位置とか)は上の人間をたてるがそれ以上の意味はない。
つまり他の客に迷惑をかけないだったり、他の客が静かに食べているのに大声を出さない、というようなマナーはあまり行われていない。だからこそ居酒屋やカラオケなどで暴れる人がいるのである。
内部の人間同士でマナーを守る(というか上の人間をたてる)ことはあっても、外部の人間にも配慮するという考えはあまりない。
結果、仲間内どうしだったら何をしても良いということになり、酒を飲みまくり、酔っぱらって周囲の人にも迷惑がかかるということになってしまっている。
確かに上の人間をたてることは重要だが、自分たち以外にも客がいて、みんなそれぞれの時間を大切にしているということを自覚しなければならない。
酒で人生狂わないために
酒は飲み方次第で天国にも地獄にもなる。
特に大学生や新卒の社会人は酒の飲み方に注意すべきである。まず自分はどの程度でやばくなるかを把握すること。最初は、飲める人はつい調子こいてがぶがぶ飲んでしまうが、「自分は思っている以上に酒に強くない」という事実を駅でゲロって突きつけられるだろう。
その際、自分は酒に酔ったらどのような人間になるのかを把握する必要がある。既に述べたが、酒に酔ったら、脱ぎたがる人と性格が豹変し周囲に迷惑をかける人に大体は分かれる。
まれに脱ぎたがりになり性格が変わりゆく人間もいるが。
そのパターンを把握しておけば、後々最悪な事態を避けることができるかもしれない。あまり聞きたないだろうが周囲の人に自分がどのように変わったのか聞くのもありだろう。
根本的なことを言うと、若い時なら(というか私もまだ20代だが)、最悪「若気の至り」という大義名分の下、どうにかなるし、世間からもお許しいただけるだろう。
取り返しがつかなくなるのはある程度の年齢になって身分もそれなりになった時である。
上記の政治家は安倍政権でなければとっくにクビがすっ飛んでいたことだろう。安倍政権という極めて特殊な状況下であったからこそクビがすっ飛ばずにすんだのである。
一般的なビジネスパーソンであれば、たった1回の酒の失敗が命取りになりかねないだろう。
だからこそ居酒屋でもカラオケでも周囲の目を意識し、冷静でいなければならないのだ。確かにむかついて不満が爆発しそうになるかもしれないが、「周囲の目」というものに絶えず注意を払わないと自分の社会的地位を落とすことになりかねない。
ここで『ユダヤ5000年の教え』からとっておきの言葉を紹介して終わろう。
・‟善行”よりも‟悪事”の方が速く広まる(『ユダヤ5000年の教え』p.47)
・‟酒”が入ると‟秘密”が出ていく(p.56)